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【Bar風花】第二章 櫻庭家三人、角打ちでほろ酔いゼロ次会

前書き


午後三時、Bar風花の仕込みを早めに切り上げた櫻庭家三人。

商店街裏の老舗『天野酒店』角打ちコーナーへ。

椅子なし・キャッシュオン・棚が特等席。

大瓶ビールとなみなみの地酒、缶詰と冷奴の素朴なつまみで、

ほろ酔いの極上ゼロ次会。

夜の営業までの、わずか二十分の粋な時間です。

ドラマも恋愛もありません。

ただ三人で肩の力を抜く、風花町らしいゆるい日常をお届けします。


第一章:十五時の暖簾と、櫻庭家の「元祖」


 『Bar風花』の仕込みをあえて早めに切り上げた、午後三時。

 初夏の強い日差しを避けるようにして、櫻庭天、美和、そして千草の三人は、風花町の商店街の裏手にひっそりと佇む老舗『天野酒店』の暖簾をくぐった。

 ここは、美和や千草と付き合いの深い皇グループ傘下の「天野家」が、昔ながらの体裁を守り続けている歴史ある酒屋だ。その店内の奥には、夕方の配達が始まるまでのわずかな時間、地元の人々に一杯やれるスペースを提供する「酒屋方式」の元祖立ち飲み屋――角打ちコーナーがあった。

「大将、こんにちは。三人、いいかしら?」

 いつものクラシカルなメイド服を脱ぎ、上質な私服のブラウスに身を包んだ千草が、慣れた足取りで帳場に声をかける。

 美和も白のバーコートではなく、薄手のサマーニット姿という、可憐な若妻の佇まいだ。隣を歩く夫の天は、カメラバッグを肩にかけ、あたかもルポの追加取材の途中のような顔をしていた。

「おゥ、いらっしゃい! 櫻庭の旦那に、美和さん、千草さんかい。珍しいね、三人が揃って角打ちなんて。適当にそこらの棚、使ってやってよ」

 椅子がないというのが立ち飲み屋の大前提だ。

 三人は、一般の客が通る陳列棚の間をすり抜け、ビールケースが積まれた壁際の、少し広めに作られた木製の棚スペースを陣取った。軽くヒジを付きながら一杯やるには、絶妙な高さの「特等席」である。




第二章:キャッシュ・オン・デリバリーの流儀


「天ちゃん、まずはビールで一息つきましょうか。ここはね、その場で代金を払うのがルールなのよ」

 美和が、右のワインレッドと左のアンバーの異色瞳を柔らかく和らげて、小さな木箱を指し示した。棚の上には、百円玉や五百円玉が入った年季の入った平皿が置かれている。

「なるほど、仕事帰りの軽い一杯のための、無駄のないシステムだね。自販機で缶ビールを買うより、ずっと血が通っている気がする」

 天は穏やかに微笑むと、自分の財布から小銭を皿に出した。

 千草は手際よく大型冷蔵庫を開け、大瓶のラガービールを一本、そして自分用に地元の蔵元の純米酒の一升瓶を持って帳場へ向かう。

「大将、ビール一本と、このお酒をコップに注いで頂戴」

「あいよ! なみなみ注ぐからね!」

 大将がガラスのビヤタンに、表面張力ギリギリまで日本酒をなみなみと注ぎ込む。これがおおよそ一杯分の角打ちの様式美だ。

 天が栓抜きでビールの王冠を小気味よく抜く。黄金色の液体がコップに注がれ、三人は静かに乾杯した。

「……ん、生き返るわね。やっぱり、この仕事の合間のビールと、なみなみの地酒は五臓六腑に染みるわ」

 千草は溢れんばかりの日本酒を唇から迎えに行き、喉を鳴らして半分ほど干した。普段『Bar風花』の厨房で見せるプロの矜持とは一味違う、ざっくばらんな大人の色気が、薄暗い酒屋の空気の中に溶けていく。




第三章:偵察と、引き算のつまみ


「天ちゃん、初めての角打ちなら、まずは周りの常連さんたちのメニューをさりげなく見てみるのも愉しみの一つよ」

 美和が天の耳元でクスクスと囁いた。

 見れば、近くの棚でヒジを付いている職人風の先客が、焼き鳥の缶詰を小さなロースターで温めてもらっている。別のサラリーマンは、冷奴に卓上の醤油を回しかけ、ちびちびとお酒を転がしていた。

「ジロジロ見ちゃ失礼だけど、確かにみんな、自分だけの小さな『宇宙』を棚の上に作っているね。面白いな」

 天は観察眼を輝かせながら、棚のカゴから味付け海苔のパックと、イカの燻製、そして美和のために山﨑豆腐店の冷奴を一つ選んだ。

 美和は冷奴に少量の醤油を落とし、小さな割り箸で上品に口へと運ぶ。

「……うん、サラリとしていて美味しい。お姉ちゃん、そのイカの燻製、少し頂戴?」

「いいわよ。その代わり、天ちゃん、私にも海苔を一枚頂戴。これをお酒で追いかけるのが、たまらないのよね」

 Barのカウンターではバカラのクリスタルプレートにロックフォールを並べる彼女たちだが、この角打ちの棚の上では、プラスチックのパックのままのつまみを実に楽しそうにシェアしている。

 天は、昼間のがっつりとしたお昼ご飯のことも少し頭の隅に追いやり、二人の雑多で粋な食べっぷりを愛おしそうに見つめていた。

第四章:二分間のレクチャーと、粋な引き際

 ビールの大瓶が綺麗に空になり、千草のコップの日本酒も半分ほどになった頃、西日が少しずつ傾き、夕方の配達のためのトラックが店先に止まる音が聞こえてきた。

「基本理念は『仕事帰りの軽い一杯』。長居はせずに、さっさと店を去るべし、だね」

 天が、ルポライターとしての知識を少しだけ披露するように呟いた。

「あら、天ちゃん、よく知っているじゃない。角打ちはね、ダラダラと泥酔するまで飲む場所じゃないの。ほろ酔い程度で、すっと席を譲るのが一番の美徳。……混んできたから、私たちもそろそろ『河岸』を替えましょうか」

 千草が最後の一滴をキュッと干し、衣服の裾をスマートに整えて立ち上がった。その間、わずか二十分足らず。まさに完璧な引き際だった。

「大将、ごちそうさま。お皿の小銭、足りてるわよね?」

「へい! 千草さん、いつもぴったりだよ。美和さんも、旦那さんも、ありがとね!」

 大将の威勢のいい声に見送られ、三人は暖簾をくぐって、まだ空が薄明るい風花町の路地へと出た。

「ふう……美味しかった。天ちゃん、角打ちはどうだった?」

 美和が、サマーニットの袖を揺らしながら、天の腕にそっと自分の腕を絡ませて覗き込んできた。ほんのりとお酒で桜色に染まった彼女の頬が、夕暮れの街灯の下でひときわ可憐に見える。

「最高だったよ。さあ、僕たちの『本番』の時間だね。美和さん、今夜も最高のカクテルを、カウンターの特等席で見せておくれ」

「はい。喜んで、天ちゃんのための特別な一杯を紡ぎますね」

 夜の聖域である『Bar風花』の開店まで、あと一時間。

 肩の力を抜いた極上のゼロ次会を終えた櫻庭家の三人は、心地よい風に吹かれながら、自分たちの愛する止まり木へと、足取りも軽く歩みを進めるのだった。

あとがき


櫻庭家三人での角打ち、最高にいい雰囲気になりましたね。

美和さんの上品な冷奴の食べ方、千草お姉ちゃんのなみなみ日本酒、

天ちゃんの観察眼……全部が愛おしくて、書いていてほっこりしました。

短い話ですが、Bar開店前の「ほろ酔いゼロ次会」の心地よさが伝わったら嬉しいです。


天照(Bar風花)


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