【Bar風花】第二章 天ちゃんの秘密の完全犯罪パフェタイム
前書き
午後三時過ぎ、Bar風花の仕込み中。
美和さんと千草お姉ちゃんがバックキッチンに夢中になっている隙に、
天ちゃんがこっそり裏口から抜け出した先は——
町一番のパティスリー奥の喫茶コーナー。
スペシャル・カザハナ・パフェ、ピスタチオのタルト、
アールグレイのアイスティー……
原稿を書き終えたご褒美に、甘い糖分の濁流を堪能する完全犯罪。
でも、帰宅した瞬間にバターと紅茶の残り香で即バレ!ドラマも恋愛もありません。
ただ可愛くて甘くて、ほっこりする午後の秘密タイムです。
第一章:十五時十五分の潜行
『Bar風花』の夜の営業に向け、妻の美和と千草お姉ちゃんがバックキッチンで慌ただしく仕込みに追われている、午後三時過ぎ。
フリーランスのルポライターである櫻庭天――通称、天ちゃんは、書斎の机に広げていた資料を丁寧に整えると、音を立てずに椅子から立ち上がった。
リビングから聞こえてくるのは、千草がハモンをミリ単位の薄さで削り出す規則正しいナイフの音。そして美和が柑橘のコンフィの仕上がりをチェックする静かな片付けの音だ。二人の意識が完全に手元の仕事に集中しているのを、天ちゃんは長年の感覚で察知した。
(……よし。締め切りの原稿も一本、先ほど無事に送った。今なら、完全に一線を超えられる)
天ちゃんはカメラバッグを肩にかけ、「これから町へ追加取材に出かけます」という顔を作って、裏口から静かに外へ出た。
実は、天ちゃんにも二人には絶対に言えない密かな秘密があった。
お昼ご飯はさっき三人で普通に食べたばかりだ。しかし頭をフル回転させて原稿を書き上げた直後の身体は、今、猛烈な「糖分」を求めていた。気が遠くなるほど甘くて美しい、極上の洋菓子を。
普段、二人がおやつ代わりに蕎麦屋やラーメン屋へ密かに行くことなど、天ちゃんは知らない。自分だけが禁断のスリルに胸を躍らせながら、彼は風花町の中心部へと急いだ。
目指すは、フランス仕込みの若きシェフが営む、町一番の洗練されたパティスリー『パティスリー・カザハナ』。その奥にひっそりと設けられた、大人のための上質な喫茶コーナーだった。
第二章:特等席の至福と、三種の神器
チリン、と繊細なドアベルの音が響く店内は、焼き立ての焼き菓子の甘いバターの香りと、ショコラの芳醇な匂いで満たされていた。
天ちゃんは、奥の西日を遮るレースカーテンが引かれた、一番目立たない壁際のボックス席へと滑り込んだ。
「いらっしゃいませ、櫻庭様。本日はお一人ですか?」
店員が、声を落として微笑みかける。
「はい、今日はちょっと、自分へのご褒美に……。スペシャル・カザハナ・パフェと、今日の気まぐれケーキのピスタチオのタルトを。それと、アールグレイのアイスティーをセットでお願いします」
数分後、運ばれてきたのは、まさに「贅沢」を具現化したような三種の神器だった。
中央に鎮座するのは、特注の細長いクリスタルグラスに盛られた豪華スペシャルパフェ。地元うきは産の完熟イチゴとベリーが宝石のように散りばめられ、その下には濃厚なバニラアイスとピスタチオジェラート、サクサクのフィアンティーヌとキレのあるシャンパンジュレが幾層にも重なっている。
その傍らには、職人がエッジを効かせて焼き上げたツヤツヤのピスタチオのタルト。
そして、涼しげなガラスのデカンタに注がれた、琥珀色に輝くアールグレイのアイスティー。
天ちゃんの穏やかな目が、この時ばかりは獲物を前にした少年のように輝いた。
第三章:糖分の濁流と、完璧な計算
天ちゃんは長いパフェスプーンを手に取ると、まずは一番上のバニラビーンズが香る極上の生クリームと自家製アイスをひと掬いし、口へと運んだ。
「……っ、美味い……!」
脳の細胞一つひとつに、上質な糖分がじゅわっと染み渡っていく。
スプーンを進めるたびに、ベリーの鮮烈な酸味、ジェラートの濃厚なコク、クランチの香ばしい食感が完璧なリズムで押し寄せてくる。
続いて、美和さんが好きそうなピスタチオのタルトにフォークを入れる。しっかり焼き込まれたタルト生地のバターの風味を楽しみ、すかさず冷たいアイスティーを口に含む。アールグレイのベルガモットの爽やかな香りが、口の中の甘みをリセットし、次のひと口への架け橋となる。
パフェを頬張り、ケーキを嗜み、アイスティーで締める。
「ふう……最高だ。原稿を頑張って、本当に良かった……」
最後の一滴のジュレまで綺麗に掬い取り、天ちゃんは深い満足感の中で溜息を漏らした。お財布からスマートに代金を支払い、「大満足です」とシェフに目配せをして、彼は余韻に浸りながら店を出た。
第四章:残り香の結末
夕方の少しひんやりとした風が、満足感で火照った天ちゃんの身体を優しく包み込む。
平屋の裏口へと戻り、何事もなかったかのように「ただいま」とリビングのドアを開けた。
バックキッチンからは、夜の営業のために純白のバーコートに着替えた美和と、クラシカルなメイド服のままの千草が、ちょうど仕込みを終えてお茶を淹れているところだった。
「あ、天ちゃん、おかえりなさい。追加の取材、お疲れ様でした」
美和が、右のワインレッドと左のアンバーの異色瞳を柔らかく和らげて、温かい緑茶を差し出してくれる。
「うん、ただいま美和さん、お姉ちゃん。今日も良いお話が聞けたよ」
天ちゃんはいつもの穏やかな笑顔で緑茶を受け取り、一口すすった。――が、その瞬間、隣にいた千草お姉ちゃんが、ふんわりと鼻をくんくんと動かし、ニヤリと妖艶な笑みを浮かべた。
「……? ちょっと、天ちゃん。随分と『可愛い取材』をしてきたのねぇ?」
「えっ……?」
天ちゃんの手がピクリと止まる。
「天ちゃんの身体から、もの凄く濃厚な最高級バターの香りと、爽やかなアールグレイの匂いが漂ってくるのだけれど? ……美和、あなたはどう思う?」
さすがは味覚とお酒の化身、そして香りに敏感な千草お姉ちゃん。天ちゃんの衣服や吐息に残った、パティスリーの決定的な残り香を一瞬で見抜いてしまった。
美和も天ちゃんに一歩近づき、小さく鼻を鳴らすと、ふふっと悪戯っぽく微笑んだ。
「本当ですね……。天ちゃん、これは、商店街のパティスリーの前を通ったら、甘い風が吹いてきた……という言い訳かしら?」
どこかで聞いたことのあるようなフレーズで追い詰められ、天ちゃんはあわあわと両手を振って、顔を真っ赤にした。
「あ、あのね、美和さん、お姉ちゃん、保存、これは、その……原稿が終わって、どうしても頭が糖分を求めていて……つい、奥の喫茶コーナーで……」
「ふふ、いいのよ天ちゃん。頑張ったご褒美ですものね」
美和は天ちゃんの真っ赤な顔が愛おしくてたまらないというように、優しく微笑んだ。
「その代わり、天ちゃん。今度のお休みの日は、私とお姉ちゃんをその席に連れて行って、あなたが食べた『スペシャルパフェ』を、今度は3人で一緒に食べましょうね?」
「うん……! 喜んで。僕が最高の特等席を予約するよ」
夕暮れ時の櫻庭家。
秘密のおやつは一瞬で御用となってしまったけれど、ほんのり甘い香りが残るリビングには、夜の『Bar風花』の開店を告げる、世界で一番優しくて温かい風が、静かに吹き抜けていくのだった。
あとがき
天ちゃんの「完全犯罪パフェ」が、香りで一瞬で御用になるの可愛すぎました(笑)
普段クールにルポを書く天ちゃんが、少年みたいにパフェを頬張る姿と、
美和さん&千草お姉ちゃんの優しい追い詰め方が最高です。
短いけど、櫻庭家の甘くて温かい日常が伝わったら嬉しいです。
天照(Bar風花)




