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【Bar風花】第二章 美和さんの秘密の間食〜淑女のベタカタ、姉妹の共犯〜

まえがき


午後四時、Bar風花開店前。

美和さんが家族に内緒でこっそり抜け出し、路地裏のとんこつラーメン屋へ。

上品な佇まいのまま「ベタカタ!」と注文し、替え玉まで平らげる完全犯罪を計画するが——店で千草お姉ちゃんにばれてしまう!

美しいバーテンダーの意外なラーメン愛と、姉妹の微笑ましい秘密の時間です。

ドラマも恋愛もありません。

ただ可愛くて美味しい、ゆるい日常回をお届けします。


第一章:午後四時の完全犯罪

 

 『Bar風花』の開店を二時間後に控えた、午後四時。

 夕方のひんやりとした風が路地を吹き抜ける頃、櫻庭美和は自宅の裏口から音もなく滑り出た。

 長いダークブラウンの髪はまだ下ろしたまま。いつもの白のバーコートではなく、私服のサマーニットにロングスカートという、どこからどう見ても普通の若くて綺麗な女性の装いだ。美和はリビングの方角を振り返り、誰も追ってこないことを確認して小さく息を吐いた。

(よし……天ちゃんはルポの原稿に集中してる。お姉ちゃんはバックキッチンでハモンのカッティングに夢中……今なら行ける)

 実は美和には、家族に隠している密かな秘密があった。

 凛としたバーテンダーであり、皇グループ会長の直系の孫。そんな彼女が、何よりも愛してやまないもの——それが、地元のとんこつラーメンだった。

 お昼ご飯はさっき、三人で体に優しい和食を普通に食べたばかりだ。しかし、仕込みの合間のこの時間になると、どうしてもあの極細麺の誘惑に抗えなくなる。

「ちょっと、お散歩に行ってきますね」

 誰もいない空間に言い訳のように呟き、美和は足早に風花町の商店街へと向かった。目指すは、路地裏にひっそりと暖簾を掲げる『元祖 一の風』だ。



 

第二章:カウンターの淑女と、長浜の流儀

 

 ガラガラ、と引き戸を開けると、店内には豚骨をじっくり炊き上げた濃厚で香ばしい匂いが充満していた。

 先客はまばらで、夕方の気怠い空気が流れている。

「へい! いらっしゃい!」

「こんにちは、大将」

 カウンターの端の席に腰掛けた美和は、普段の聖域で見せるプロの顔を完全にオフにしていた。

 右のワインレッドと左のアンバーの異色瞳が、キラリと輝く。

 息を吸い込み、常連の男たちに負けない澄んだ声で、彼女は長浜の暗号を口にした。

「大将! ベタカタ!」

「おう、ベタカタね! 任せときな!」

 大将が嬉しそうに顔を綻ばせ、手際よく平網を動かす。

 ベタカタ——スープの脂を多めに、麺を硬めに、という本場を知る者だけが許された粋な注文だ。あんなに上品で美しいお嬢さんが、迷いなくその言葉を放つ。そのギャップだけで、大将の職人魂に火がつく。

 一分と待つことなく運ばれてきたのは、無骨な丼だった。

 スープの表面に上質な豚脂の層がキラキラと浮かび、その下には極細のストレート麺が美しく折り重なっている。具は薄切りのチャーシューとネギのみ。引き算を極めた長浜ラーメンの正統だ。

 美和は器から直接ずず、とスープをすする。

 脂は多めなのに、ベースの豚骨スープは驚くほどサラリとしていて、シャープな塩気が全体をきゅっと引き締めている。

「……ん、これこれ。やっぱり美味しい」

 続いて極細麺をズズッと音を立ててすすり、満足そうに目を細める。

 Barで見せる凛とした気品はそのままに、一切の気取りを捨ててラーメンに向き合う彼女の姿は、見惚れるほどに美しく、そしてどこか愛おしかった。



 

第三章:替え玉の誘惑と、想定外の目撃

 

 圧倒的なテンポで最初の麺が器から消えた。

 残ったスープを見つめながら、美和の胸の内で天使と悪魔が激しく争う。

(だめよ美和、もうすぐ開店なのに……でも、長浜ラーメンに来て替え玉を頼まないなんて、大将のスープに失礼よね……)

 ごくり、と喉が鳴った。結局、誘惑には勝てなかった。

「大将、すみません。替え玉を『ナマ』で半分だけ……」

「へい! 替え玉半分、ナマね!」

 大将が秒単位の湯切りで、美和の丼へと直接麺を滑らせる。

 美和は嬉しそうに卓上のラーメンダレをひと回しし、二回戦へと突入した。小麦そのもののガシッとした食感を楽しみ、最後は丼を持ち上げてスープを最後の一滴まで飲み干す。

「ぷはぁ……ごちそうさまでした。本当に幸せ……」

 大満足の溜息を漏らし、お財布から小銭を出して立ち上がろうとしたその時だった。

「——あら。随分といい食べっぷりじゃない、美和。ベタカタにナマ半分だなんて、すっかり長浜のツウね」

 背後から響いた、聞き覚えのありすぎる低くて艶のある声。

 美和の背筋に、氷水を流し込まれたような衝撃が走った。

 恐る恐る振り返ると、そこには老舗和菓子屋の紙袋を片手に持ち、クラシカルな黒と白のメイド服のまま、呆れたような、しかし最高に楽しそうな笑みを浮かべて立つ女性がいた。

「お、お姉ちゃん……!? なんでここに……!?」

 千草だった。



 

第四章:完璧な共犯者

 

「ちょっとお散歩にしては、随分と香ばしい匂いのする場所で行き倒れていたのね、うちのオーナーバーテンダーさんは?」

「う……っ。あ、あのね、お姉ちゃん、これは、その、大将のスープのブレンディングの勉強というか……」

 美和は両手をあわあわと動かしながら、顔を真っ赤にして弁解する。家で見せる甘える普通の女の子の顔のまま、お姉ちゃんに完全に御用となった妹の姿がそこにあった。

 千草はふふっと鼻で笑うと、メイド服の裾を翻して美和の隣の席へ滑り込んだ。

「大将、私にもラーメンをベタカタで一杯。それと別にチャーシューと瓶ビールも頂戴」

「へい! 千草さんいらっしゃい! ベタカタと別皿チャーシューとビールね!」

 美和は目を丸くした。

「お姉ちゃん、食べるの!?」

「当たり前じゃない。妹があんなに綺麗にラーメンのスープを飲み干しているのを見せつけられて、我慢できるわけないでしょ?」

 運ばれてきたビールをトトト、とグラスに注ぎ、キュッと干す千草。

 美和は、自分の完全犯罪が失敗した焦りから一転、お姉ちゃんの圧倒的な胃袋の大きさに、ただただ脱帽するしかなかった。

「……天ちゃんには、内緒にしておいてあげるわよ。男の子っていうのは、妻にはいつまでも少食で可憐な妖精さんでいてほしい生き物だからね」

「う、うん……ありがとう、お姉ちゃん……」

 千草は届いたラーメンをフーフーと冷ましながら、粋にすすり始める。

「その代わり、美和。今夜の営業が終わったら、バックバーの奥にある『とっておきのウイスキー』、私に一杯飲ませなさい」

「……はい。喜んで、最高の状態でお出し致します」

 夕暮れ時のラーメン屋のカウンター。

 豚骨の白い湯気の向こうで、秘密のおやつを共有した櫻庭家の姉妹は、お互いに顔を見合わせて、クスリと悪戯っぽく微笑み合うのだった。

 

 二人が店を出た後、大将は奥の厨房から顔を出した女将さんに、満足げに言った。

「なぁ、女将。あの二人、相変わらず仲がいいな。美和さんはあんなに上品なのに、ベタカタをガッツリ食う姿が可愛くて仕方ないし、千草さんは大盛りでも平気で平らげてくれる。うちのラーメンをあんなに美味そうに食べてくれるお客さんがいると思うと、明日も張り切れるわ」

 女将さんは笑いながら頷いた。

「あの姉妹が来ると、店全体が明るくなる気がするわ。……今夜のBar風花も、きっと賑やかだろうね」


あとがき


美和さんの「ベタカタ&替え玉ナマ半分」が可愛すぎました(笑)

完璧超人の彼女がラーメンをずずずっと食べるギャップと、千草お姉ちゃんの優しい共犯っぷりが最高です。

短い話ですが、櫻庭姉妹の仲の良さとほんわかした空気を感じていただけたら嬉しいです。


天照(Bar風花)


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