第七話「怪しい任務」
朝のギルドは、静かだった。
昨日よりも早く着いたせいか、冒険者たちの姿もまばらだ。いつもは騒がしい酒場のような空間も、今はほんのりとパンの香りと焙煎豆の匂いが漂うくらいだった。
永和とユーニスが受付に近づくと、制服姿の受付嬢が目を丸くした。
「あっ……おはようございます。えっと……あなた方に、指名の依頼が入っています」
「……は?」
永和が思わず声を漏らした。
「指名……ですか?」
「はい。個人宛の依頼で、しかもお二人の名前が明記されていました」
「俺たちが……?」
そんなはずがない、と内心思った。昨日初めて依頼をこなしたばかりの新人冒険者だ。顔も名前もほとんど知られていないはず。
けれど――
受付嬢が差し出した依頼用紙には、確かに二人の名前が記されていた。
――『村上永和、ユーニス=アーベント 両名へ』
「……ほんとだ」
永和は唾を飲み込む。
「内容は……薬草の採取、ですか」
ユーニスが横から読み上げる。
薬草の名前は“セリン草”。効能は解毒、出血止め、軽度の魔素沈静。街でもよく流通している、特に珍しくもない草だ。
が、問題はその「採取場所」だった。
「……指定されてる。以前の森の奥、あの小さな池」
「妙ね。普通、薬草採取なら範囲指定のはずよ。なんで場所まで?」
「しかも指名……」
「そして、報酬が……」
ユーニスが目を細める。
「五十銀貨」
「っ!」
永和は思わず二度見した。
昨日の依頼は三銀貨。それが、今回の依頼では五十。
およそ十六倍の金額だった。
「破格すぎる……」
「ええ。薬草一種でこの額は異常。しかも、指定場所も普通じゃない。おまけに指名依頼」
「……怪しいですね」
「当然よ。これは何かある」
そう、分かっていた。ここまでくると、不自然に感じるのは当然だった。
だが、それでも――永和の心はぐらついていた。
(……でも)
彼の視線が、ふとユーニスの腰元の革袋に向く。あの袋には、昨日の報酬が入っていた。
彼女はずっと、永和にお金を使わせなかった。装備品も、食事も、宿代も。気づけばほとんど全部を出してくれていた。
そのたびに、申し訳なさを感じていた。
(だからこそ……この報酬は大きい)
少しでも、返したい。
せめて、役に立ちたい。
「……やりましょうよ」
ユーニスが目を向ける。
「本気で言ってるの?」
「もちろん、怪しいのは分かってます。でも、見たところ魔物退治じゃない。薬草採取で、場所も知ってる森です。慎重に行けば……大丈夫なんじゃないかなって」
彼なりに、真剣だった。
その顔を、ユーニスは黙って見ていた。
静かに、深く息を吐く。
「……ああ、もう。ほんと甘いんだから」
「えっ?」
「いいわよ。受けましょう。ただし、いつでも撤退できるようにしておくこと。わかった?」
「はい!」
その返事に、受付嬢がにっこりと笑った。
「では、こちらに受注のサインをお願いします。それと……」
彼女がカウンターの下から、金属製の板を取り出した。
長方形の、少し粗めの鉄板。それを紐で吊るせるように加工したもの。
「冒険者ランクがアイアンに昇格した証明のプレートです。お首にかけてください。冒険者としての正式な“証”になります」
「おおっ……!」
永和は、それを手に取ってしばらく眺めた。
光沢も装飾もない、ただの鉄。
けれど、自分の“冒険者”としての第一歩が、形になった気がして嬉しかった。
「似合ってるわよ。爆破師さん」
「だから魔術師だって!」
◇
翌朝。
ふたりは再び森へ足を踏み入れた。
空気は澄み、鳥の声が遠くに聞こえる。
先日とは違い、奥の奥――小さな池を目指す。
そこは、森の中でもやや開けた静かな場所だった。
水面には薄く霧が浮き、周囲の木々が逆さに映り込んでいる。
「綺麗な場所だな……」
「ここまで指定する依頼って、やっぱりおかしいわよ」
ユーニスは剣の柄に手を添えたまま、辺りを注意深く見回していた。
それでも、今のところ気配はない。
「薬草、見当たらないね……」
「ええ。生えてるはずの“セリン草”がどこにもない。変ね」
茂みをかき分け、木の根元を探すが、薬草らしい姿は一切ない。
「手分けして探しましょう。この池を集合場所にして、あまり離れすぎないように。いい?」
「うん、わかった」
ユーニスが東の方向へ、永和は北の方向へそれぞれ散っていく。
森の空気は静かで、どこか不気味だった。
(こんなに静かだったかな……)
湿った土の感触、風の音、遠くの小鳥の鳴き声。すべてがどこか遠く感じた。
数分が経過。
セリン草は、どこにもない。
(やっぱりおかしいな……)
池の周辺で草が見つからないなら、依頼自体が偽りだったのかもしれない。
そう考えた、その時だった。
森の奥――木々の影に、動くものを見つけた。
ただの動物ではない。
人だった。
全身、黒い甲冑。
装飾のない、無骨な鉄の鎧。頭部も完全に覆われ、顔すらわからない。
体格からして男性とも女性とも言えず、ただ、腰に下げた巨大な剣がやけに目立っていた。
(……誰……? あれ……冒険者……?)
しかし、その姿には、ただならぬ緊張感があった。
まるで、ずっとそこに立っていたかのように。
視線が――合う。
いや、気のせいだ。多分、まだバレていない。
(……離れよう)
永和は、ゆっくりと後ずさる。
その時だった。
――パキッ。
小枝を踏んだ。
音が、森の静寂に響いた。
(あ――)
黒い鎧が、こちらに顔を向ける。
目は見えない。けれど、確実に視線を感じた。
(ま、まずい……!)
永和は、瞬間的に足を踏み込もうとしたが、身体がこわばって動かない。
鎧の人物が、一歩、こちらに近づいた。
(え……な、なんでこっちに――)
鼓動が、ひどく早くなった。
全身が冷えていく。
怖い。
怖い。
その姿には、確かな“殺気”があった。
(動け……動け、俺……!)
刹那。
黒い騎士が、剣に手をかけた。