約束してくださらない?
シルヴィオが次に来たのは、二年後。
前回と違い、アルベルティーネが住む家に自力でやってきた。
いや、自力でというのは少し違うかもしれない。アルベルティーネがわざわざ動物たちを使って誘導してあげたのだから。
バーンという盛大な音ともにドアを開け放った彼は、開口一番に、
「約束通り、殺しにきたぞ、この鬼畜魔女! というか前回はよくもやってくれたな!? お前が飛ばした場所、噴水の真上だったんだぞ!? おかげさまで翌日熱を出して寝込んだんだからな!! というかここまで運んでくれたあの見たことのない生き物何、ものすごいスピードで走るし振り落とされそうになるしで、怖かったんだがッッッ!?」
そんな長ったらしい文句を、間に呼吸を挟むことすらなく言い放った。
それを聞いたアルベルティーネは思わず口元を押さえ、笑いをこらえる。
――二年前のことなのに覚えてるなんて律儀ね。そしてそれをわざわざわたくしに言ってくるなんて……やっぱりこの子、面白い。面白すぎるわあっ。
二年前と性格が全く変わっていない。
しかし声は幾分大人びたし、身長もだいぶ伸びたように思う。見た目にはまだ幼さが残るが、だいぶ男らしくなったのではないだろうか。
何よりの違いは、その腰に長剣をぶら下げているところだ。
――前まで、短剣しか握れなかったのにねえ。
アルベルティーネはお菓子の乗った皿でいっぱいになったテーブルの隙間に頬杖をつきつつ、手招きをする。
「ほらほら、そんなところに突っ立ってないで、こちらにお座りなさいな」
「いや、それは……」
「だって、話はそれからでもいいでしょう? それとも、目の前にこんなにも美味しいものがあるのに、食べないのかしら? 今回のお菓子たちは、割と自信作なのだけれど」
この二年、アルベルティーネは料理と菓子作りの腕をさらに磨いている。落ちていた人間たちからも話を聞き、改良に改良を重ねたからだ。
さらに言うなら、これらを作った材料の元となった動物たちの餌にもこだわってみた。そしたら味が驚くくらい変わったので、前よりも美味しいお菓子が出来上がったとアルベルティーネは思っている。
その証拠に、盛り付けられたお菓子はどれも宝石のように綺麗で、甘くていい匂いを漂わせている。
シルヴィオはそれを見て押し黙り、つかつかと歩み寄ってどかりと椅子に腰を下ろした。
――口は減らないけれど、行動は割と欲望に忠実というか……素直なのよねえ。
そう言ったら言ったで面白い反応を返してくれそうだったが、ぐっとこらえる。
そして、シルヴィオがお菓子を食べる姿を、じいっと見つめた。
シルヴィオの口が開き、一口サイズに切られたショートケーキが吸い込まれていく。
ぱくり。
口に含んでから数瞬もしないうちに、シルヴィオの表情が緩んだ。
アルベルティーネがいるからか、それとも前よりも成長したのか顔や声に出さないよう努めてはいたものの、雰囲気と黙々とお菓子を食べていっている姿を見れば、美味しかったということなどバレバレである。
――ほーんと、かーわいい。
両手で頬杖をつきながら足をぶらぶらさせて温かい目を向けていると、胡乱げな眼差しを向けられる。
「……なんだよ」
「んー? いいえ? なんでもないわよお?」
「……なんかむかつく」
そう言いながらも、シルヴィオは一通りのお菓子を自分の皿に盛り、それら全てを完食した。
思わずにやにやしてしまう。
「ところでシルヴィオ、一つ聞いてもいいかしら?」
「なんだよ」
「また、わたくしのことを殺しにきたの?」
シルヴィオが押し黙った。
片手が剣の柄にかかる。
「……ああ、そうだよ」
瞬間。
シルヴィオが剣を抜き去り、テーブルの向かい側にいるアルベルティーネ目掛けて振り下ろしてきた。
「今度こそお前を殺す――!!」
面白い子だと、アルベルティーネは思う。
そう、本当に面白い子だ。食べたり殺そうとしたり、行動がコロコロ変わって見ていて飽きない。
――一体どういう頭の構造をしているのかしらねえ。覗けるなら覗いてみたいものだわ。……だけれど。
「残念だわあ――それじゃあわたくしは殺せない」
――カーンッ!
甲高い音を立て、剣が弾かれる。
弾かれた剣はシルヴィオの手からすっぽ抜け、背後の天井に突き刺さった。
剣の行く手を阻んだのは、アルベルティーネが展開した防御魔術による光の壁だ。
――まあそんなものなくても、彼はわたくしを殺せなかったと思うけれど。
だってシルヴィオは、アルベルティーネを本気で殺す気などないのだから。
「ねえ。この二年で何があったのかしら?」
シルヴィオは一瞬口を引き結ぶと、ポツリとつぶやく。
「……れた」
「ん?」
「父上に、ものすごい剣幕で怒られたんだよ!!! 黒の魔女を殺すなんて言語道断だってさ! おかげさまで父上からは見捨てられるし、兄弟たちからはバカにされて笑われるし! さいあくだ!」
アルベルティーネは口をぽかんと開けてから、
「あは、あはははは!! あったりまえじゃない!」
テーブルを叩きながら爆笑した。
皿が床に落ちそうになるのを魔術で浮遊させて回避しつつ、アルベルティーネは涙目になる。
シルヴィオは顔を真っ赤にして叫んだ。
「ど、どうしてだよ!!?」
「だって……わたくしがここにいるのは、あなたたち王族の命令を受けたからだもの!」
「……は?」
「あなたのお父様、いや、あー今代国王陛下? のほうがいいかしら?」
――まあどちらでもいいわ。わたくしにとっての国王は、二百年前の彼以外にいないのだし。
「とにかくあなたのお父様としては、わたくしに生きていてもらわないと困るのよ。わたくしはこの森で、役目を果たし続けているだけだから」
「な、なんだよ、それ……役目ってなんだよ」
「いやだ、教えなーい」
「はあっ!?」
シルヴィオは口をわななかせながらアルベルティーネに向けて人差し指を突きつける。
「そ、そんなこと言ってると、もう来ないぞ!?」
「あら、それは寂しいわ。こんなにからかい甲斐があるの、あなたくらいだもの」
「くっ……ぼ、僕は王族なのに、なんでこんなにも舐められてるんだ……!」
最後にはよく分からない言葉をつぶやき、そっぽを向くシルヴィオ。
――もしかして、約束を律儀に守ってくれたのかしら? それとも、わたくしのことを心配して? もしくは……お城に居場所がないからかしら?
どれもありえそうな辺り、王族に向かなそうな性格をしている不憫な少年だなと思った。
ただからかいすぎたせいか、かなり拗ねているようだ。両腕を組んで頑なに動こうとしない。
アルベルティーネは浮遊している皿の一つからスノーボールクッキーを一つつまむと、シルヴィオの口に押し込んだ。
「むぐっ!?」
「ごめんなさいねえ、からかって。ほら、これで機嫌を直して?」
「むう。ふぉくはひょんなものひひゅられるほろ、はんふふへは(僕はそんなものにつられるほど、単純では)」
続けざまにもう一つ。
今度はパクリと、自分から口にした。
面白いのでもう一つ、もう一つと与えてやる。
――あ、これ見たことあるわ。確か、そう……雛鳥が親鳥が餌を持って帰ったとき、口を開けてぴいぴい鳴いている、あれ。
なるほど。親鳥はこんな気持ちで子供に餌をあげていたのか。
そう思いながらしばらく繰り返していると、シルヴィオがむせ始めた。どうやら詰め込みすぎたようだ。
「ごめんごめんーほらーこれ飲んでー?」
冷えた紅茶の入ったグラスを差し出せば、シルヴィオはそれを一気飲みする。
「ぷはーっ! お前! そんなに押し込むなよ!」
こんなときでも文句を言うシルヴィオは、それ以降特に何も言わず口をへの字に曲げていた。
そんなシルヴィオの頭を、アルベルティーネは優しく撫でる。
「ごめんなさいねえ、つい楽しくて。でも、寂しいのは事実よ?」
「……え」
「だって他のお客様は、あなたみたいにわたくしに軽口叩いたり文句言ったり、気軽に話しかけてきたりしないもの。だいたいみんな怯えたような顔して、でもお菓子が美味しいから食べて、その後神様を見るような目でわたくしを見るの。それ、すごくつまらないのよねえ」
だから、また来てくださらない?
首をこてりとかしげそう言えば、シルヴィオはうろたえた。うろたえて、少し逡巡した後、頬をうっすらと赤らめながらボソッと。
「……頼まれたなら、仕方ないな」
「あら、嬉しい」
「当たり前だ。だって僕は王族だからな。約束は守るぞ。それが王族だろ?」
「……そう。それはとっても素敵ね。みんなが思い描く、理想の王族像にぴったり合致してる」
アルベルティーネは、うっすらと微笑みながらシルヴィオの頭を撫でた。
――それからシルヴィオはアルベルティーネを殺すことをやめて、王城から逃げるように時々遊びに来るようになった。