008 超える壁は更に高かった
呼び方が決まらないまま二人で夕食を取った。今日も一階は地域の男共で賑わっている。昨夜との違いは彼等の視線だ。俺一人なら目に留まる事も無かったのだがレイが同席だと、此処まで違うのかと視線がバシバシ感じる。
仕方が無い事だ。俺も主でなかったら彼等と同類だっただろう。それ程までにレイは眩しい姿なのだ。
「コレは美味しいですね。主殿」
「俺も思うが、主殿辞めてくれ。唯でさえ痛い視線に殺意まで感じてるんだ」
「それこそ、他人の目です。私の主に間違いは無いのですから。其れともご主人様に致しましょうか!?」
三割増しで殺意が増えた気がする。それとレイの口元が笑っている気がするのだが、もしかして弄ばれてるのか?
「如何ですかレイ様」
「ラナ。アナタのご主人様の腕は相当なモノですね」
「ハイ。自慢のお母様です」
ほほぉ~ベラはラナに『お母様』と呼ばせてるのか。とは言え、レイに俺を『お父様』と呼ばせるのは……却下だな。
碌に味を堪能する事が出来ないまま夕食を終える。ラナが湯が沸いた事を知らせに来た。此処で更なる越えなくては成らない山が在った事に俺は気づいてしまった。
前の部屋より広く成ったとはいえ所詮ワンルームだ。湯浴みのスペースが少しベッドから離れただけで、部屋の何処に居ても全貌が見える……困った。
娘より少しは年上では在るが、逆に道徳心が揺らぐほどの美貌が工藤の心を誘惑する。果たして堪え切れる事が出来るだろうか自問自答する工藤を他所にラナとレイは湯浴みについて話していく。
「でわ、主殿湯が冷めぬ内に湯浴みを。御背中を御流ししましょう」
「あぁ~そ、そうか。うんじゃ~お願いしようか」
俺だって会社の連中と如何わしい店に通った位在るさ。だけど、レイ程若く綺麗な女性が相手じゃ無かった。それに絶対的な立場に居る。俺を抑えきれる者は……居ない。色即是空・空即是色……煩悩を抑える為、意味も分からぬまま般若心経の有名な一説を何度も唱え続けた。
「でわ、私も汗を流させていただきます」
スルリと衣服を脱ぐレイ。俺が姿勢を正す前に彼女の綺麗な背中が視界に飛び込んでくる。白く綺麗な彼女の髪が背中から腰へとナダラカな曲線を描いて続いていた。衣服で隠れている彼女の毛並みだ。見るだけで、柔らかく手触りが良さそうな毛がお尻の中央へそして可愛い丸い尻尾へと繋がっていた。
「お手数ですが背中を流して頂けますか」
えっ!ええっ。それって……俺、触れて良いんですか?『良いんです!』何処からか空耳が誘惑する。何時か超える一線なら何時超えるの『今でしょ!』誘惑が重なり合い俺を誘う。
「主殿如何なされた?」
もう、レイの声さえ桃色に見えてしまう。即席の信仰心の無い色即是空・空即是色では俺の本能を抑える事は叶わなかった。
「主……殿……」
気が付けば、折角拭いた俺の体もレイと共に湯に濡れていた。俺の手が彼女の背中から前へと伸びている。心倣かレイの頬が赤く染まっている様に見えた。否、彼女の頬は確実に赤く染まっている。俺の胸に彼女の震えが触れる背中から伝わっている。俺が触れさせた事の無い領域を踏み込んでいる為にレイは耐えているのだ。辞めるべきか進むべきか、一瞬の躊躇が彼女に伝わった。
「どうか、このまま御続け下さい。心は定まって居ります」
床一面を零れ落ちた水滴が濡らしていた。水が滴る二人の体は、そのままベッドへと雪崩込んだ。激しい動きが、驚きの喜びが、唐突な衝撃が二人に襲い掛かる。永遠とも感じた時間が共に過ぎて行く。
目が覚めれば、俺の腕の中でレイが寝ている。汗ばんでいた前髪が乾き、彼女の白い毛並みが俺の腕の中でモコモコと揺れている。反省と喜びと感動に戸惑う俺の仕草にレイも目覚めてしまった。
「おはようございます」
「おはようレイ」
「……少しアチラを向いてて頂けませんか」
「ん?どうした」
「その……服を着たいんですが、ご主人様の視線が気に成って恥ずかしいデス」
おっと、主殿からご主人様に代わってる。モノホンのバニーガールから『ご主人様』って言われちゃったよ~。コレが『萌え~』って奴か!奴なんだろ!コレが『リア充』って事なんだろう!ある意味離婚が成立してて良かったとこの時ばかりは思ったね。そして朝日が昇る前だけど、俺は決意をゴミ箱に捨てて二度目の野獣へと変身しちまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……」
「もう朝御飯は無いよ!食べたかったら、外で食べてきな。ってかソロソロ昼に成るじゃないか!良い歳なんだから少しは自重する事を覚えるんだね」
女将の声が冷ややかに俺を攻める。後ろで顔を真っ赤にするレイを連れ添って苦笑いを決め込んで二人で宿を後にした。ラナが恥ずかし気にレイに手を振っているのが見えた。その横で女将も微笑んでいる。
多分、この世界では女性と夜を共にする場合、男の行動次第で決まるんだろう。特に奴隷ともなれば尚更だ。主人に気に入られた者は大事に扱われる。其れが、パンの価値より命が低い世界での決まり事なんだ。何故だか俺にはそう感じた。
だから、レイは俺を受け入れ、女将達も喜んだ。自分自身を正当化する訳じゃ無いが、そう確信する。鼻からレイを冷遇する気ナンテ無いんだけどね。
昨日と違ってレイとの距離が近い。気持ちはまだ、判らないケド体が近いんだ。時折彼女の手が俺に触れる。昨日より確実に俺に近寄って居る。きっと昨日より今朝の方が心を開いてくれている。そんな気がしたする俺も昨日より今朝の方が心がウキウキした気分だ。
今朝より今晩が、今晩より明日がもっと二人の距離が縮まる事を思いながら、親方が待つ工房へと向かおう。
時間を割いて読んでくれて有り難う