除籍が終われど
黴臭い埃の匂いをさせた空調が、緩く教室内の空気をかき混ぜている。
壇上のスクリーンがよく見えるようにと前半分の照明が落とされた室内は空席がまばらにある程度だ。
程よく混み合った教室の壇上では、濃鼠色のネクタイをした青年が、時折パソコンを操作しつつも映し出されたスライドの補足説明をしている。
「ーーこれらの記録から、紙代ダム周辺地域、つまり旧紙代村では土着信仰と融合する形での蛇神信仰が根付いていたと結論づけられると考えます。
ちなみに、引用・参考として記載している資料の一部は、4年前に発生した土砂崩れの被害にあってしまいました。被災後に現地で確認したんですが、びちゃびちゃ、ドロドロ。地面と一体化してる感じでした。なので、現在閲覧ができない状況となっています。
…発表内容の検証が若干しにくいことは、ご容赦ください」
青年が戯けた様子で資料についての補足をすると、ドッと笑いが起きる。
そのまま質疑応答が始まり、発表者である青年は質問に対して平易な例を交えて答えていく。
チンッと鳴らされた鈴を合図に、青年が発表を終えると教室内は拍手に包まれた。
聴衆の多くが教室を出ていく中、1組の男女が発表者に向かっていく。
「陽大、お疲れ様」
「天秋に岩久さん! いつ来たの、2人とも」
「高平さんの発表が始まる直前に。こんなに人が来てるって思ってなくて…」
「学祭デートが楽しくて忘れてたんじゃなくて?」
「ギリギリになったのは、屋台が混んでたからだよ。はい、差し入れ」
焼きそばとお好み焼き、唐揚げのパックが入ったずっしりと重いビニール袋を天秋が差し出す。
準備で食べれてないだろう、と言えば、助かると嬉しそうに陽大は受け取った。
「紙代村の、発表して良かったのか?」
「ズレたところは、資料にあたっても検証できないから、大丈夫。なんか言われても『妄想でしたね』で済むよ」
カラカラと笑った陽大は、発表に使っていたパソコンを登壇者席にあった自分の鞄に入れる。
近くにいたスタッフ役の学生に挨拶をしてから、3人は教室を出た。
閉架記録庫で流された天秋は、ずぶ濡れで自宅のベッドの上に転がっていた。
目覚めた時には、なぜかテレビの電源が入っており、紙代ダムで放流が行われたニュースと、シロマナに税務調査が入ったニュースが交互に流れていた。
滝から放り出された時に一緒にいたはずの陽大の姿はなく、高見教授や咲紀の記憶から消えたままだった。
戻ってこれたのは自分だけだったのか、と悩む天秋が陽大の消息を掴んだのは、それから1週間経ってからだった。
陽大の父親から電話があったのだ。
彼は紙代ダムの放流で起きた土砂崩れの中から、半ば土に埋まった状態で発見された。
身元不明の救助者として近くの病院に搬送され、発見から3日経って意識を取り戻したらしい。
親を経由して天秋の元に無事を知らせてきた。
知らせを受けた天秋が病院に面会に行くと、彼の母親が「連絡を絶やすな」と説教をしているところに出くわした。
もっとも、大学を退学していたことと身体の変化にしか言及していなかったので、それだけで良いのか、と思う所ではあった。
『紙代村の因習についての記録がなくなったからか、左腕と両足は回復できるってさ』
『そっか。じゃあ、退院したら戻ってくるのか?』
『改変が固定してるとこもあってさ。大学は、停学が退学になってる。…入り直しかな』
『…帆菜実には知らせるだろ?』
『いや、会わせる顔がないって。…彼女の手を離して、違う人の手をとったんだぜ? 平たく言えば浮気したんだ』
『いや、でも…』
『変わって固定されてるなら、もうオレのこと覚えてないだろ。平穏に暮らしてるなら、それでいい』
ふと、帆菜実が「贈ってくれた」という歌を思い出す。
気になって天秋は調べたが、万葉集にそれらしい歌は見つからなかった。
詠み人知らずと言われる歌の作者の多くは防人で、彼らのうち待ち人の元へ帰れなかった者も多いと聞く。
本当は永遠の別れを察した彼女が、陽大に贈った歌だったのかもしれない。
結局、陽大は他大学の史学部に入学しなおすことになった。
どうも例の「導き」が発動したらしい。
別大学の経済学部に合格していたらしいのだが、手違いで辞退したことになり、空きがあった史学部に在籍となった。
なお、入学後にわかったことだが、客員講師として年に数回、高見教授の講義があるらしい。
『まぁ、入館証が手元にある時点でね…切れてないってことだよな、閉架記録庫との縁は、さ。だから高見教授との縁があっても驚かないわ』
メッセージアプリで送られてきた陽大の近況報告で、閉架記録庫の入館証について思い出した。
どこにやったか、と探したが、陽大の日記とともに消えていて見つからなかった。
天秋は、咲紀、帆菜実とともに大学を卒業した後は、業界の中では中堅と言われる商社に就職した。
社会人になり、仕事に追われ、自分の生活を再構築するのに3年かかった。
咲紀とは幼馴染の他に婚約者という関係も増えたが、陽大も含めて大学生の間にできた知り合いとは年に数回、メッセージアプリで近況を報告し合うだけになっていった。
社会人4年目になってようやく余裕ができた、と周囲を見渡すと、自分を取り巻く人々は一変していた。
大学の正門に向けて、陽大の施設紹介を挟みながら歩く。
陽大の記憶を失った後、咲紀も陽大も苗字で呼び合うようになった。少し距離はあるものの天秋の兄貴分として扱うことは変わらない。
「高平さん、来年の5月頃は空けておいてくださいね?」
「お。式、その辺?」
「ですです! 招待状送りますよ、天秋が」
予定を空けておく、と請け負った陽大が天秋を軽く肘でつつく。
筆不精さが、天秋がかつての友人達と疎遠になる要因となっていることを、親友は把握している。忘れずに送ってこいよ、という意味だろう。
正門まであと数m、というところで咲紀の携帯電話が着信を告げた。
どうやら、彼女の職場からの連絡らしく、断ってから声が聞こえない程度に離れる。
通話をしている咲紀に視線を向けたまま、陽大が天秋に声をかける。結婚の話は初耳だ、と。
「俺だって、陽大が誰かさんと婚姻結んでたこと、知らないまま過ごしてましたけど?」
「確かに。結納の時は天秋達、起こさなかったからな…改めて、あの時は助けてくれてありがとうな」
穏やかに、感謝を伝えてきた陽大を見て、ふと天秋は聞いてみようと思った。
惚れた女性を守るためだけに、違う相手と結婚することを選べたのはなぜか、と。
天秋は、咲紀以外を生涯を隣で歩む相手として選べない。
親友だと認識している陽大が相手でも、疎遠になっても大してダメージを受けない。
陽大にとって、誰にも代えられない相手というのは帆菜実なのだと、ずっと思っていた。
「……彼女は、一緒に生きていきたい人だった。たださ。セイジさんは…一緒に逝ってもいいかって思ったんだよね」
「やっぱり、心中する気あったんだ」
「万が一の時はね。オレ、ちょっと重いから」
「物理的に?」
「物理的にも重めだけど、ちゃんと浮きますぅ」
知ってる、と天秋が軽口で返すと、2人で肩を震わせる。
「土砂に流された時にさ、ミシロ様がダムの底で寝ようとしてんのが見えたんだよね。大あくびしながら、尻尾をオレ達のこと追い払うみたいに振ってて」
「…そうだったんだ…?」
「まぁ、ムカついたよ。でも、もう要らないって手放すのが、あの蛇神なりの愛情表現だったし、セイジさんを生かしたかったんだな、って今は思う」
出自も人生も、加巳之皓御霊と深く結びついて、紙代村を消してしまうと「天瀧清司」という人間を生きたまま現実に帰せなかった。
だから、彼は歪みに取り込まれなければならなかった。
陽大の見解を聞いた天秋は、顔を顰める。
「けど、それは…」
「そう思いたいだけ、って言いたいんだろ?」
「陽大?」
「岩久さんが一緒だから無理に、とは言わない。このまま帰ってもいい」
手にしていた鞄の中から、陽大がワインのミニボトルを取り出す。
閉架記録庫の映像で見た、陽大が用意した「美味い酒」と同じ銘柄だ。
「それ…」
「閉架記録庫で見てるだろ? 『ミシロの末裔』。そんで、覚えてるわけだ。お前もオレも。
大学も学部も、再進学までガッチガチに行き先決められてさ。高見教授の授業も受けるように固められててさ。いないわけないし、会わないわけないよな」
陽大の言葉が耳に届いた瞬間。
正門を通り過ぎて、1人の男がこちらに向かって来るのが見えた。
守衛が挨拶をし、それに男も答える。その声に聞き覚えがあった。
「お前の入館証、記名がどうなってるか確認したほうがいいぜ? 気に入られてたら、なかなか離してもらえないからな」
陽大の声にいつか聞いた甘さが顔をのぞかせる。
火から下ろしたばかりのキャラメルが、耳の奥にゆっくりとジワジワ流れ込んで、触れたものを砂糖のように溶かして焦がす、そんな甘苦さが。
黒い髪で背の高い男は、切れ長で涼やかに見える目を、すっと細める。
懐かしいものを見たように。
天秋は、無意識にズボンのポケットに手を入れて、ギクリとした。
何か、カードのようなものが入っている。
「歓談中、失礼。今日の研究発表で、紙代村を中心とした蛇神信仰について発表されていた、高平陽大さんですよね?」
「はい。貴方は?」
「雨多岐誠至と言います。高見教授から、よくお名前を聞いていまして。面白い学生がいると」
「あぁ、雨多岐さん! お噂はかねがね。確か、今は地方郷土資料館で学芸員をされているとか。お会いできて嬉しいです」
「今日の発表、とても面白いものだと思いました。ご都合がよろしければ、研究についてお話できたらと思いまして」
「いいんですか?! 是非!」
誠至が差し出した手を、陽大がとり、握手する。
楽しそうに話す2人を尻目に、天秋はカードをポケットから取り出す。
書かれた文字を見て、手が震え、呼吸が浅くなっていくのを感じる。
「陽大さんのご友人ですよね。貴方も、ご一緒にどうです?」
にこやかに誠至が天秋に声をかける。
『閉架記録庫入館証 谷縞天秋』
縁は繋がり、固く結ばれていたようだった。
最後まで閲覧いただきまして、ありがとうございました。
よろしければ、いいね等リアクションをいただけますと、嬉しく思います。




