三月六日 4
山本と奥山を乗せた白いセダンは、病院を出た後すぐに署へ向かった。
「さぁて、どうしたもんでしょうかね」
制限速度四十キロをぴったり守る運転をしていたのはやや難しそうな表情を浮かべた奥山。その隣でひとりごちた山本は、隆史達に見せていたような面倒くさそう顔で外の街並みを見ていた。
「ねぇ奥山…もうちょっとスピード出してもいいんじゃない?」
「ダメです。この前そう言われてスピード出してたら同僚に切符切られるはめになりましたからね」
「自分だって遅いのは嫌なくせに…素直じゃないなぁもう」
言いながら、胸ポケットの手帳を取り出す。ドッグイヤーのある今日のメモ欄を見た。
「さぁて、無差別か…困ったなぁ」
無差別殺人は犯人が特定しにくいと言う意味で、逮捕が難しい。それなりの計画殺人なら、ある程度現場の周辺に目撃情報や証拠が何かしら残っている。しかし無差別は、犯行時、一応回りを気にしなければならないという制限はあれど、ほとんど気ままに殺人が可能だ。
もちろん、無差別と確定したわけではない。しかし、この手の事件に何度も手掛けている二人には、勘めいた確信があった。
「弾の照合はいつぐらい終わるの?」
「明日には終わるそうですよ。鑑識が言ってました」
「君はほんとに人と仲がいいね…」
それほどでも、と奥山は真面目な顔で言う。一度くらいこの顔をバカ笑いさせてみたい、というのが密かな山本の願いだった。
再び手帳を睨む。時折うなり声を上げながら、それを読んでいく。
「水越町主婦銃殺事件…発見日時は三月六日午前六時四十分。現場…鳩間駅筑摩線踏切近辺のフェンス。ちょうど人家に挟まった道路を抜けるか抜けないかまで加速したんだなぁ。被害者名は久上由利四十三歳。第一発見者…不明…じゃなかった。当日の午後、冬見隆史と判明。…釈然としないなぁ」
「さすがに山本さんでもそれは無理でしょう。山本さん、現場を見てないから」
そこで奥山はやっと表情を崩した。私の見ていいですよ、と自分の手帳を山本に渡す。
「ありがとう…えぇと、何々? あ、なぁんだ…車のダッシュボードに弾が挟まってたか。……ありゃ? って事は」
またもやうなる。見かねた奥山は苦笑しながら言った。
「ワゴン車の車体はそんなに高くありません。背が高いか、どこか高い場所から狙った可能性が大という事です。そう言いたかったんですか?」
「そうそう…後、そうだ、さっきの二人と例のフルートの妹さん、事件当時のアリバイ調べといてくれる? 現場周辺の住民の皆さんにも」
「わかりました」
山本は手帳を閉じると、ダッシュボードの上に放る。軽く咳をした後、目を閉じた。
「首元閉じておかないと風邪ひきますよ」
「いいじゃないか別に…首周りがきついと、誰かに首を握られてるような気がしてかなわん。僕はむしろ君に、もう少し緩めた方がいいんじゃないかと助言したいんだけどね」
はははと奥山は笑いながら、信号のためにスピードを落とした。
「私がダッシュボードの弾を取り出したんですけどね…それが見覚えがありまして。以前この近くの港での拳銃密輸事件の時に、押収した中に似たような物があったんですよ。特徴的な…蒼銀色の弾です」
「へぇ…そりゃまた綺麗そうだ」
目を閉じたまま言う。わずかにピクピクと瞼が動いているあたり、どうやら眼球体操をしているようだ。
「いえ、それが全くの見かけだおしで。中国のある弱小マフィアが製造していた物なんですけどね、質が悪くて。丁寧に溝も彫られていないし、製造過程で計算違いでもしたんでしょうか、その弾が合う銃はそのマフィアが作ってるこれまた火力の弱い銃のみです。しかも、命中力の悪さは中国生産の銃の中でも一、二を争うほどとも言われてました」
「そんな物が…ねぇ。まったく…日本に持ち込まないでほしいもんだ」
「まぁ買う人がいるから経営が成り立っているんでしょうけど。…一応、その流通ルートを探ってみます。珍しい銃だけに、意外と検挙は早いかもしれませんよ。知り合いに聞いてみます」
「…君はほんとに優秀だよね。奥山が部下で僕は実に楽だよ」
嫌みったらしく言う山本。しかし、悪戯心はあるが悪意はない。
「私も、上がだらしないだけに動きやすいですから」
薄っすら笑みを浮かべて言う奥山。つられて、山本も笑い出した。
「まぁとにかく…山本さんが本格的に動き出せばいいのは明日からですね。せいぜい残り数時間の休みを楽しんでください」
「はいはいはい……なら、今日は久しぶりに肉でも食うかなぁ」
「寝てていいですよ。着いたら起こしますから」
言われた山本は背もたれを倒して天井を見あげる。隣には、優秀で気の合う部下。この二人は、県内の刑事の中でも特に検挙率の高いコンビだった。その事を自覚している二人は、どんな時もいつも通り。この事件もそんなに急ぐ事はないだろう、何も焦る事はない…と、山本はゆっくり瞼の裏に落ちていった。
「…冬見、か」
いつの間にか年を取った口は、確かにそう呟いていた。