三月六日 5
誰もいない肌寒い公園のベンチに一人、腰掛ける。
「久上さん、か」
素で、自分と釣り合わないとさえ感じてしまう人だ。男として彼女のような女の子を助ける事ができたのだから…ある意味、自分は幸せ者なのかもしれない。
ピアスやら化粧やらをしている女が闊歩している現代に、彼女のような純真な女性は貴重だ。自分とをいうものを周りに流されずしっかりと持っているような…見た目のままの素直さ。時代においていかれているようで、それでも自分を見失っていない美しさがあった。
「泣いてたな」
死のうとしていた自分には、より身近に感じる。
あの子達の事は、まぁ、時間が解決してくれるだろう。人の死は、それでしか癒せないから。
死を忘れ、温もりに浸っていた頃を忘れていく事で、痛みを忘れていく。葬式も、結局は残された人々の癒しに他ならない。悲しみを忘れる事は悲しい事なのかもしれないけれど、そうやって忘れて死をないがしろしていく事で、俺達は心を保ち続ける。そうしないと生きていけない、弱い生き物だから。
別の見方をしてみる事もできる。例えば「死」という概念は、ようは自身の要因で死ぬか、他から与えられた要因で死ぬか、の二つのうち一つに帰属する。ただ「死ぬ」という結果は同じであるのに、周りに与える影響と残留する雰囲気は違う。
病気による死なら発見が遅れた事で自身、治療できなかった事で医師を恨むだろう。他殺ならその者を殺した者を恨むだろう。しかし自殺だと…なぜ相談してくれなかったのか、という残された者それぞれに与えられる自責の念と、そこで初めて、死んだ者に恨みに近しい思いが募る。「勝手に死ぬ」事は別にキリスト教徒でなくても重い罪だ。同様に、憲法でも自殺の自由は保障されていないのをみると、現代の倫理は他人の死に関して干渉的で、感傷的であるようだ。
俺は、自殺する気がないにしても、自身の生死まで他人に左右されたくない。体は自身の物だと。尊厳死という死を選ぶ事が出来る制度がある一方、自殺はなぜいけないのかと。ある意味、世の中の矛盾だ。
だけど、その矛盾があるから、この社会は保たれていると言える。だから死ぬ事はよくない、悪い、怖い事だと皆が言う。それでいいんだ。俺達は何にでも矛盾をなくしていく必要はない。間違ってて、いいんだ。
しかし寒い…どこかデパートにでも入ろうか。本を立ち読みするのも悪くない。特にやる事もない。町をブラブラして過ごす事にすると決めて、現に言葉通り街中を目的もなく放浪し、そして飽きてここに座っている。ある種の怠惰な人生観にも思える。
目的のない放浪などない、などという高尚な響きの考えを浮かべる。放浪するために足が動くのは、その先に何かがある事を知っているからだと。
その先にある、幸運でもいい、不幸でもいい、死でもいい、どんな未来でも構わない。
足が動かなければ、それだけ周りの風景も動かない。世界を見る目は自身が中心だ。ずっと見ていると、心のどこかで、何か行動しないといけない、と感じる。それが放浪の根源だ…まぁ、それが暴走して俺は自殺に走ったわけだから、ほどほどにしないといけない、と言う事なんだろう。
ようは平坦に、停滞に慣れる事だ。ジェットコースターのように凹凸が激しい人生に憧れるのもわかるけど、それが叶うのはごく少数。きっと、毎日の何でもない生活に喜びを見出せるようになってから、人生が面白くなるに違いない。
…だから。
そんな面白さを見つける事に慣れてきた俺は、昨日からの出来事に、今更興奮していた。
…だから。
ちょっとだけ、何かの物語のように「運命」を予感したような気分になる。その予想は軽く外れてしまうのだろうけど、どうせ少し気落ちをするだけだ。第一、挫折のない人生なんて面白くない。
そうやって期待して、裏切られて。
小さな事でも叶えば、それでオーケー。
…それが人生なんだと、俺は信じてる。
「はぁ…なんだろうな」
でも、悩みは尽きない。幽の言葉が気になって仕方がなかった。
だいたいよく考えてみろ。まだ冬が抜け切れていないこの時期、あの時間にあの服装でうろうろする神経が信じられない。頭のおかしい奴だったんだ。まともな頭をしてなかったんなら、そんな奴の言葉を真に受ける必要はないんだけど…。
「だめだ、耳について離れねぇ……くそ」
呪いのように、リフレインする。
―――「貴方は、ここでは死ねない」―――
言葉を跳ね除けようとする様に、乱暴に髪を掻きむしる。散々掻いた後見た手には数本の髪の毛が絡まっていて、何だか哀れな物を見ているような気持ちになった。
そう。こんな風に自らの意思で死ぬはずだった。だけど昨日、俺は自分の意思では死ねなかった。俺に、死ぬ権利なんてないとそう言っているみたいに.。
わかる。わかるけど…。
それは、俺の思うべき自分の意思であって、他人から押し付けられるものじゃない。
待て――いや、違う。俺の不安は、それじゃない。確かに幽は不安要素だけれど、今俺の中に巣くってるのは彼女の事じゃない。
もっともっとあり得ない事。そんなの嘘だと、笑い飛ばしたくなるくらいの。
指先が、寒さに震える。鳥肌が立っているのがわかる。あぁ、この公園、あのマンションの屋上と同じくらい寒い、な。
でも…でもさ。こんなに寒いのに。なのに、何でこんなに。
じっとりと。全身の毛穴と言う毛穴から染み出てると勘違いしそうなくらいの、汗なんか掻いてるんだ―――――。
「嘘だ…ありえない。はは……バカな」
――おい隆史。オマエは銃を捨てたよな?
…ああ。
――捨てた事は、もうどうでもいい事だ。久上さんの言葉を借りれば結果論だからな。
…何が言いたい。
――オマエさ、気づかなかったのか?
…何が、言いたい。
――わかってるクセに。
そうだよ。薄々、違和感は感じてたさ。
冷静に考えればわかる事だ。俺は、銃を捨てた。屋上から、投げ捨てたんだよ。
まだ、十時を回った頃。人々が下界を往来している、まだ街が寝静まるに早い時刻。会社帰りの人や、塾帰りの高校生。駅が近くにあるから、自然と人通りは多い。
そんな道路にさ、銃を落としたらさ、誰だって…………気づくよな? 少なくとも、その銃を中心に不審がる人だかりができてもおかしくない。
俺は放り投げたんじゃなくて、手をわずかに出して落としただけだ。確かあのマンションの一階は花屋があった。軒先にある雨よけの天井はビニル系の布だったから、銃がそこに当たって落ちたとすれば、破損しないだろう。
俺が出てきた時は、マンションの前は、そんな不穏な様子はほとんどなかった。
ほら。もうわかるだろ?
―――「しかも無差別な臭いが強いんですね。
あまりにも無計画で非効率過ぎるんです」―――
そりゃそうさ。昨日拾ったばかりなんだから(・・・・・・・・・・・・・)。
そう考えると、可能性が思ったよりも高い。無差別な所がいかにも衝動殺人を香らせる。
落としたのは昨日。
殺されたのは今日。
まさに試し撃ちの殺人。って、こんな偶然って、起こっていいのかよ。
バカらしい…ただの勘違い、意味のない不安に決まってる。もしかしたらそのまま柔らかい天井にバウンドして、排水溝の中とか落ちてる可能性だってある。第一、目の前に落ちてきた銃を何のためらいもなく拾うか? ありえない。普通の神経じゃない。
「見に行って、確かめるべき、か?」
いや、それこそノーだ。これ以上関わってると、俺にも何か悪い事が降ってきそうだ。いらない事をするのはよくない。無駄で余計な行動は、俺を破滅させかねない。
「だめだだめだ……ちっ、もうこの事で考えるのはよそう」
また縁起の悪い事を考え出しそうだった頭を、強く振る。少し、落ち着いた気がした。
「ホント、まじぃな…こりゃ」
病気にでもなったんじゃないかってくらい気分が悪い。本当にただ風邪なだけならどれだけよかったか。どっちにしても、気持ち悪い事には変わりない。汗が上着の中のシャツに張り付いていて、このままでは風邪をひきそうだった。
移動、しよう。不安でたまらない。こんな、こんな人気のない寂しい公園じゃなくて、人の臭気に溢れた街へ出よう。そうでもしないと、この胸の動悸はおさまってくれそうにない―――。




