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三月十一日 1

 窓の外、朝日の予感に赤らむ朝焼け時に目を覚ました。膝を抱えるようにして、背中にはベッドの感触……いつの間にか寝ていたらしい。久上さんの護衛をしていないといけない――そんな義務感が眠たげな体を叩き起してくる。


「は…あ、無事か…」


 飛び上るように振り返るとベッドでは久上さんが静かに眠っていた。あまりにも静かなものだからこのまま一生目を覚まさないんじゃないかと錯覚してしまうくらい。生まれつきなのだろうか、眠る顔にすらやんわりと微笑みを浮かべている。人の気も知らないで、と悪態すらつきたくなった。自分から進んで護衛するためにここに一泊したというのに、そう思ってしまうくらいの安らかな寝顔は、緊張していた肩の荷を下ろしてしまうには十分だった。


 …それにしても。徹夜して待ち構えている気だったのに、寝てしまっては本末転倒じゃないか。さすがに体勢がなれなかったのか背筋や関節の節々がピキピキと悲鳴を上げている。

 …女性の寝顔に注視するのもそろそろ止めにした方がいいかもしれない。

 男の自分が見られても恥ずかしいと思ってしまうんだから、年頃の女の子だったら少しショックかもしれない。

 でも…果たして久上さんがそういう体面を持つのかどうか。

 ないだろうな。

 たぶん。な?


 とにかく彼女から視線をそらすため、無意識に腕時計へ眼をやった。窓からの薄い明りで見えにくいけど、とりあえず午前四時二十分である事は間違いない。外がまだ暗いのも頷ける。


「まぁ…昨日はしのげたみたいだな」


 結局使わずじまいの鉄パイプを手で弄びながら呟く。もしかして…、いやもしかしなくても、あのOLの死体がそう(・・)だったんだろうか。そうなれば以前の被害者との関係性が分からなくなってくるけど…でも、今までの「俺と久上さんに関係のある人物」が殺されてきた法則が、残り一回を前にして急に適用されなくなるのは、今後の不安要素になることは間違いない。


「久上さんは知らないって言ってたし、同じく俺もないしな。じゃあ、一体…?」


 一番あり得る可能性が、あのOLはあくまで俺達の連続殺人とは無関係で、真の連続殺人の被害者は別にいる、ということだろう。元々量産されていた銃らしいし、便乗殺人が起こらないとは限らないからだ。たとえば、俺が病院で隠れている間に殺されている、というのもあり得なくはない。俺は携帯電話を持ってないから、山本刑事の連絡を受け取れない状態にあった昨夜は外部とは完全に接触を絶っていたことになる。敵味方双方に行方知れず。…それがよかったんだろうか? ―――…そうとは思えないんだけども。


 これからまた数時間うずくまったままというのもちょっと辛い。もう一度寝なおすにしても、今まで殺されるかもしれないのにもかかわらず寝ていた、という事実を思い出すだけで目はぱっちり冴えてしまっている。


 パイプを薄汗をかいた片手に、ドアをずっと睨んだまま。寝足りない頭は軽い偏頭痛。まるで俺が寝ている間に、音という概念が死んでしまったかのように静かで、窓からは冷たい夜光。


 今日が。今日が最後の日。


 俺の人生の最後の日になるかもしれないというのに、心はひどく落ち着いていた。実感が正直あまり湧いていないのもある。ある種の諦めかもしれない。もしくは、久上さんが殺されなかったことに安堵をおぼえているのかも。どちらかが――どちらかは生き残れる。


 今まで、自分の死に散々心を狂わされた。自殺めいた事をして、それを悔いた。なのに、今度は命を狙われるという、その悔いを無碍(むげ)にするかのような仕打ちをうけて…生きる気力を失わざるを得ない状況に立たされていた。そんな俺は久上さんに希望を抱いた。この子を守るという気力が、俺に生命線をまだたどる事を続けさせてくれた。…最後の責任とも思えた。


 最初はただの恩返し、責務だった…やらなければならないという義務感が俺を急き立たせていて、まぁ今も少しそうだけれども、俺の心中の大部分を占めるものはそれとは違う。


 ――いつの間にか好きになっていた。明日には殺されているのかもしれないという恐怖を心に抱えながら接してきたからだろうか。つり橋効果の影響も少しばかりあるのかもしれないけれど、最初の一目惚れがここまで尾を引いてくるなんて今考えても信じられない。


 ラスト一発。今日で最後だ。今日で俺の命は終わり、今日を逃げ切れば俺は生き続ける事が出来る。ある意味、今日が節目なのかもしれない。


 しかし、幽は最近全く出てこなくなったけどなぜだろうか。不可思議なのは昨日もそうだ。新聞で確かめてあるわけじゃないが、あのOLが五発目の被害者だとすれば流れがわからなくなってくる。油断を誘う罠か? …でも、どうだろう。今まで毎日大胆にも殺人を繰り返してきた犯人がそんな姑息な手を使うだろうか。ありえない。そう…ならあのOLはなんだというのだろう。今までの殺人通り、比較的見つかりやすい所でOLは死んでいた。つまりあながち五発目の被害者であるという事は間違っていないのかもしれない。


 ただ、俺や久上さんが急に狙われなくなる理由はわからないが…それでも今後も気をつけなければならないのは決定事項だろう。


 

 久上さんが朝食を終えると、トレイを下げにきた看護婦に新聞を頼ませた。内容は、

ある意味予想通りだった。

「あのOLだったか。…でも、俺達との関係性は皆無。久上さん、本当に見覚えない?」


 どう? と聞いても、彼女は眉を八の字にして首を横に振るばかり。やはり、この被害者はイレギュラーなのか。…それとも、本来の被害者がまだ見つかってないだけなのか。


 紙面に目を走らせても行方不明者の情報はない。やはり…。


「何時くらいに行きますか? さっき聞いた看護婦も、保護者がいるなら外出していいと言っていましたし」


「そうだなぁ…昼過ぎにしよう。一時に迎えに来る」


 俺は十時頃…面会が始まってすぐにそそくさと病院を出た。一応デートなんだからそれなりに、髪なり顔なり整えておきたい。


「何だか曇ってるな。桜の…花曇りってやつか?」


 表情の読めない空は、見ていると少しだけ不安になった。


 やっぱりデートになるんだろうか。そんな事を心でつぶやきながら、整えられた髪を治ったばかりの傷を触るように直す。久しぶりにくしを入れてみたが、うまくまとまらないし、硬い気がする。普段し慣れていないだけに神経質になっているだけだと思うけど。


 だけど。…気になるんだから仕方がないじゃないか。なんせ人生で初めての経験だし、その前にデートなんて俺みたいな人間が出来るとは思ってなかった。テレビや映画でよくあるイベントなのに、俺の今までの生活を考えてみれば次元の違う話だと思っていた。


「き、緊張しちまうな…」


 いい意識しちゃいけない。あくまで買い物の手伝い…割り切っておかないと。

 病院内に入ってから急に歩幅がせまくなった俺は、なぜかいつも使っていたエレベーターを使わずにわざわざ階段を上っていた。しかも一段一段が遅い。…く、この青二才め。明らかにビビってる。


 そういえば、こういうデートってのは、花とか持っていくのがセオリーだったような気がする。あれ、それはさすがにやり過ぎじゃないか? うぅぅわからない…茜さんに相談するわけにもいかないし、何より連日休み続きだから、俺の相談が惚気に思われて気を悪くされても困るし。…なんか最低だな、俺。


 結局銭湯で身支度を整えて荷物を家のドアの前に置いてきた後、時間までファーストフード店でコーラ一杯で待っていた。店員も相当気になっただろう。コーラを全く飲まずに凝視するだけの客は、あの店が開店して俺が初めてかもしれない。


 さぁ四階…あと二階上って、廊下をまっすぐ行けば―――そう無理に意気込んだ矢先、


「君は…確か紗枝ちゃんのとこの友人君だったな」


 ――嫌な奴に見つかった。


「冬見君、だったはずだが…違うかな?」


「神崎、先生」


 最悪だ…よりによってこんな所で会うなんて。相変わらずの口調に吐き気すら覚える。


「他ならぬ紗枝ちゃんの頼みだからこそ、特例で外出を許可したんだ。あの子の話では、君が今日エスコートするそうだが…?」


「…悪いですか」


 敵意がむき出しなお互いの言葉が交差する。目線に乗って、五、六段の段差の中で睨み、睨まれた。はっきりとした理由のあるこちらからならまだしも、なぜここまで敵意を向けられなければならないのか、わからない。わかっているのは、お互いにお互いが気に入らないという雰囲気がリノリウムの空間にひしめいているという事ただそれだけで。


「新聞で見させてもらった。何でも、お父さんが殺されたそうじゃないか。呑気なものだね君は。一家を担ういい年した男が、親が死んだというのにふらふらと女遊び…ずいぶんと度胸がいいというか」


「すみません…急いでるんで」


 なるべく顔を見ないように、駆け足ですれ違う。わざと聞こえるように舌打ちしたのを俺は一切無視した。なるべく相手にしないように…とにかく離れる事にのみ集中する。

「――待ちなさい」


 階段の手すりに手をかけて俺は立ち止まった。嫌悪感と同時に、心に冷や汗が流れる。やはり顔は見ずに耳だけに意識を集めるも、わずかに早まる動悸がさらに気分を悪くさせてくる…なぜならこの男は、被害者候補で、犯人候補だからだ。


「車椅子はナースステーションに用意されている。病室に行く前に借りておくといい」


「ありがとう…ございます」


 かつん、かつんと革靴の音が下へ降り始める。それを聞きながら胸を撫で下ろすような心地と…犯人かもしれない奴に頭を下げる悔しさに、下唇を噛んで耐えていた。



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