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ヌーディスツ・オン・アナザー・ワールド

 ずっとこの場にいても仕方が無い。


 そう考えた俺は、クレア様の股の下から両足を引き抜いて起き上がり、周囲の様子を見回した。

 この草地は周りをぐるりと円弧状に木々に囲われているものの、一カ所だけ開いた箇所が存在する。

 その開口部の先は、そのまま小高い岩山へと続いているようだ。

 岩山の斜面はそこまで急には見えないので、容易に登頂することが出来るだろう。


「とりあえず、一度あの上に昇ってこれからの方針を立てましょう」


 そう提案すると、クレア様も「よかろう」と二つ返事で承諾をくれた。


 日がある今のうちに、しておかなければならないことはたくさんあるはずだ。

 行動の開始は早い方が良い。

 俺は早速出発の体勢に入る。

 だが腰を落とし両手を前方へと突き出した俺に、「それは何のまねだ」とクレア様が問いかけて来た。


「何って、裸足で歩いたら怪我しちゃうかもしれないじゃないですか。

 さあ、遠慮なさらずその身を俺に預けて下さい!」


 彼女の足になることを決断した俺に対してクレア様は、どこか呆れたようなものをその深く蒼い瞳に浮かべながらも、無言でその腰を俺の両腕の間に落とした。

 いわゆるお姫様だっこの形だ。


 ストンと俺の胸元に収まったクレア様。

 その体重は予想していたよりも軽かったが、彼女の確かな命の重みが感じられる。


 視線を落とし、クレア様の小さな身体を見つめる。


 なんて、きめの細かい肌なのだろう。

 彼女の少しひんやりとした肌から伝わるスベスベとしながらも柔らかな感触は、決して壊してはならない繊細な芸術作品を思わせる。

 そして俺は彼女の体温を堪能しながらゆっくりと立ち上がると、岩山を目指して足を踏み出した。


 しかしそれから数歩ばかり進んだところで、「背負う方が楽ではないか?」とクレア様がもっともな疑問を投げかけて来た。


「いえいえ、問題ありません」


 それだとクレア様の奇麗な全身を眺めることが出来なくなってしまうではないか。

 一時たりとも目を離してなるものかと、彼女の身体を凝視しながら、一歩一歩足を進める。

 そんな俺に、彼女は一言指示を出してきた。


「妾ではなく、きちんと前を見て歩け」






 草地の開口部たる森の裂け目を前にした俺は、そこで強く気を引き締めた。

 岩山までの道程は短いが、ここが未知の土地である以上、生物との遭遇には細心の注意を払わなければならない。

 もしもの場合、分散して逃走する方が良いのではないかという考えが頭を過ったが、俺たち二人の脚力を比較すれば、クレア様が狙われる確率の方が高いだろう。

 それならば、俺がこのまま彼女を抱いて走るべきだ。

 そう判断し、再び歩を進める。


 俺たちの両側を挟むのは、ブナのような大木を中心とした広葉樹林。

 見上げんばかりの木々の一本一本が、大地に力強く根を下ろしている。

 それらからそれぞれ数十メートルの距離を取り、草の道のちょうど中央辺りをゆっくりと慎重に進んで行く。


 生物の多様性を考えれば、今この情報を得ることにどれほどの価値があるのかは不明だが、過度の緊張感を緩和する意味も混めて、俺はクレア様に尋ねた。


「ところで、この世界ってどんな生き物がいるんですか?

 異世界と言うからには、やっぱりエルフやドワーフなんかもいたりして」


 俺の顔へと視線を向け、彼女は答えてくれる。


「そういえば、貴様は妾の話を全く聞いていなかったのだったな。

 今貴様が例に出したような亜人はもちろん、オークやトロル、ドラゴンなどの魔物と呼ばれる生物も存在するぞ」


 半ば冗談で挙げた例を肯定され、俺は心底驚いた。


「えっ!?

 でもそういうのって、地球人が考え出した空想上の生き物ですよね?

 それがこの世界に実在するって、凄く不思議なんですが……」


 クレア様が、淡々と説明してくれる。


「あらゆる世界の人間の魂は(すべ)て意識階層下——普遍的無意識の領域で繋がっているからな。

 貴様達の心象が、意図せずこちらの世界から影響を受けていたとしても不思議ではない」


 俺の疑念はとても解消には至らなかったが、ともかくこの世界には非常に危険な生物が存在する訳だ。

 そんなものに出くわしてしまえばそれだけでほぼゲームオーバー間違い無しだが、そうは言った所で何かしらの対策を講じる手立てもない。

 俺はただ、警戒の念をより一層強めるだけだ。

 しかし幸いにも、蝶のような昆虫くらいしか目にすることは無かった。


 やがて森に挟まれた草道を抜けた俺たちは、灰色の岩盤で出来た緩やかな斜面を登り始めた。

 視界を遮るものは岩の隙間からところどころ疎らに生えている灌木(かんぼく)程度で、山頂まで非常に見通しが良く、付近に大型生物が潜んでいるような気配はない。

 それで周囲への警戒を緩めることはないが、先ほどまでよりは精神に余裕を持って歩みを進める。


 その後もしばらくの間はクレア様を両腕に抱えて進んでいた俺だが、いくら彼女が軽いとは言え、この慣れない格好は思ったよりも負担になっていたようだ。

 岩山の中腹に到達した頃には、すっかり手が疲れてしまっていた。


「……やっぱり背負わせていただいても構いませんかね」


 そんな情けないことを言う俺に、クレア様は「それ見たことか」と冷たい視線を送り、スルリと地面に降り立った。


「ありがとうございます……」


 感謝を述べながら、再び彼女を乗せる為に腰を落とす。

 今度は両腕を背中の方へと向ける。

 そして後方から近づく彼女の気配を感じながら、彼女が自分の視界から外れてしまったことを嘆いていると、少しひんやりとした人肌が俺の背中にぴったりと貼り付いて来た。


 ここここれはまずい!

 信じられないほどに心地良い感触だ。

 背中に訪れた予想外の刺激に軽くパニックに陥っている俺の首に、彼女の細く滑らかな腕がスルリと絡められる。


 やばいやばいやばい!

 高鳴る心臓を必死に鎮めながら、ゆっくりと彼女の両太ももを抱え上げる。


 や、柔らか過ぎる!

 未だかつて味わったことの無い快感に気を動転しながらも、俺はなんとか再び足を進め始める。


 だが、至福の時間はこれだけでは終わらなかった。

 目の前に、両手を使わなければ乗り越えられなさそうな、急斜面が姿を現したのだ。


「ク、クレア様。

 ちょっとしがみついていただいても構わないでしょうか」


 俺の要求に彼女は「わかった」と応答すると、俺の首に絡み付けた両腕に力を込め、両足で俺の腰を挟み込み、しっかりと抱きついてきた。


 密着した体表から、彼女の鼓動すらもが伝わってくる。

 逆に俺の鳴動する心臓も彼女に伝わっているのではないか。

 身体中から汗が噴き出してくるような錯覚が起こる。

 極度の緊張と疲労と快楽の中、背中にクレア様を抱きつかせたまま、手を伸ばし足を伸ばし、這うように急斜面を昇って行く。


 そしてなんとか山頂へと到達することに成功した俺は、精魂尽き果てたかのように、その場へと倒れ込んだ。


「貴様の反応はなかなか面白かったぞ」


 肩で息をする俺に、クレア様が最初にかけてくれた言葉がこれだ。

 その顔にはうっすらと、あの邪悪な笑みが浮かんでいる。


「心臓止まるかと思いましたよ」


 肉体的にも精神的にも疲弊しきった俺は、身体を休めながらそう返した。


「悪くは無かったであろう?」


 貴様の弱みはお見通しだと言わんばかりに問う彼女に俺は、「ええ、それはもう」と、多少落ち着いて来た今だから言える肯定の返事をする。

 確かに、冷静になって考えてみれば、これから何度でもお願いしたいくらいだ。


 背中に残った幸せな感触に頬を緩ませている俺の耳に、僅かに呆れを含んだクレア様の声が響く。


「貴様は本当に分かりやすいな」






「青いですね」


 呟く俺。


「青いな」


 復唱するクレア様。


 岩山の頂から望む光景は、どちらを向いても青、青、青。

 雲一つ無い快晴の下、穏やかに凪いだ海。

 どれだけ遠方へと目を凝らした所で、陸地の一つも見えはしない。

 それはまさに息をのむ絶景と言えたが、それを観て感動している場合では無い。

 俺たちが転生して来たこの場所は、歩いて半日もかからずその沿岸を一周出来そうな、小さな小さな無人島だったのだ。


「これ、仮に能力値ボーナスがあったとしても、難易度高過ぎないですかね」


 あんまりにもあんまりなスタート地点に、俺は思わずそうこぼす。

 だがそれを聞いたクレア様は、ここは転生先として意図された場所では無いのだと言う。


「あの装置は本来、人間が生活可能な場所を大陸上から無作為に選出し、そこへ転生者を転送するように作られていた。

 しかし想定されていなかった二人同時の転送で、座標設定に不具合が出たのかも知れん」


 そしてクレア様はさらに、「いずれにせよ、まずは生活環境を確保しなければならん」と続ける。


「あの装置の影響を受けた妾の身は、人のそれに近くなっているようだ。

 生命活動の維持には、貴様と同じく水や食料を必要とするだろう」


 俺がこの岩山に登ったのは、決して馬鹿は高い所が好きだとかそう言う理由ではない。

 俺たちがこれからどこへ向かうにせよ、明らかな危険地帯があればそれを避けつつ、まずはこの世界の住人を探して接触しなければならないと考えたのだ。

 そしてその為には、高所から周囲の様子を調べることによって、進むべき方向を決めれば良いだろうと。


 岩山の頂上は、数人が寝そべることができる程度の窪地となっていた。

 そこからしばらくの間遠景を眺めていた俺は、島の環境を探る為に視線を下方へと落とす。

 当初の計画は頓挫したが、この場所が周辺環境の把握に適していることには変わりない。

 クレア様の言うように、とりあえず思考を生活環境確保へと切り替えて行く。


 こんな小さな島では魔物はおろか、通常の大型動物すらいそうにない。

 その点は不幸中の幸いと言えるだろう。


 島の大部分は樹木に覆われており、その所々に草地が点在する。

 最初俺たちがいた草地は、それらの中でも比較的大きいものだったようだ。


 この岩山を挟んでちょうど反対側の位置には、先ほどの草地と同じ程度の大きさの池がある。

 水面が太陽の光を反射して、まるで鏡のようだ。

 そしてその池には、この岩山の中程が水源となっているらしき、小川が流れ込んでいる。


 良かった。

 真水の確保は心配しなくてもよさそうだ。


「とりあえず、あの池の辺りを調べてみましょうか」


 クレア様の承諾を得た俺は再び彼女を背負うと、登頂経路とは逆方向に、岩山を下り始めた。






 小川は岩山の中腹の、洞窟から流れ出していた。

 あまり深くは無い洞窟だが、中はそれなりの広さがある。

 薄暗い洞窟内部の壁には冷水が湧き出している箇所があり、そこから長年の浸食によって出来たのであろう細い水路が洞窟入り口へと通っていた。


 そんなわけで、当面の間風雨を凌げそうな場所を見つけ安堵した俺は、そのまま小川沿いに岩山をくだってきた。

 だが、河原の丸石に転ばぬよう気をつけながら進んでいる俺は今、岩山登頂時以来の緊張感に包まれている。


 さっきから、背中のクレア様の様子が何かおかしい。

 ときどき、その身体をモゾモゾと動かすのだ。

 密着した身体がいろいろとこすれて、俺の理性は大変まずいことになっている。


「ど、どうかされました?」


 そう問う俺にクレア様は、澄んではいるがどこか困惑したような声で、自らの身に起こった異変を伝えてくれた。


「どうも、生理現象を催したらしい」


 なるほど、神様でもそう言うのがあるのか。

 いや、これも転生によって人に近くなったことが原因だろうか。

 いずれにせよ大事じゃなくて良かったと、俺はほっと胸を撫で下ろす。


「では、俺は後ろを向いていますので、ここでして下さい」


 我慢はよくない。

 クレア様を降ろし、緊張で額に浮かんでいた冷や汗を拭いながら、俺はそう促す。

 しかしクレア様は意味が分からないと言った風に、「なに?」と聞き返して来た。


「俺の手が届かない所でクレア様に何かあったら大変じゃないですか!」


 例え大型獣がいないとしても、危険が全く無いと言い切れる訳ではない。


「貴様、そこまでの変態だったとはな」


 どこか蔑みの色を含む冷徹な目で俺を見たクレア様はそう言いつつも、その場にゆっくりと腰を落とした。

 かがみ込んだ彼女の背中からお尻、そして太ももへの流れるような曲線が、とても美しい。


 おっと、見蕩れている場合では無かった。

 俺はクレア様の反対側へと身体を向ける。


 やがて彼女の方から「んっ」と言う小さな可愛らしい声が漏れ聞こえたかと思うと、側の小川の清流音に混じり、何かを水が断続的に打つような音が聞こえ始めた。


 ……なに、邪な気持ちで彼女にこんなことをさせている訳ではない。

 決してない。

 断じてない。

 平常心、平常心。


 しばらくの後クレア様が立ち上がる気配を感じた俺は、再び彼女を背負う為に腰を落とす。

 だが、彼女はそこで一言、「待て」と俺を静止した。


 何か問題が発生したのだろうか。

 慌ててクレア様の方を振り返る俺に対し、彼女は小川の方へと顔を向ける。


「そこで洗わせろ」


 彼女はそう言うと、俺には目もくれずスタスタと歩き出した。


「ま、待って下さい!」


 追うように、俺も彼女の後へと続いた。






 その後再びクレア様を背中に乗せた俺は、ようやく目的の池へと到達した。

 この池へと流れ込んでいる小川を道中で見ながらも思っていたことだが、恐ろしく透き通った奇麗な水だ。

 池自体がそこまで深くないことにもよるのかもしれないが、湖底の様子まではっきりと窺える。

 そして池の周辺は、色とりどりの花が群生する、のどかな花畑となっていた。


「あれを見よ」


 クレア様が俺の肩越しに、何かに気付いたかのようにある方向を指し示す。

 そちらを見やると、橙色の大きな果実をいくつもつけた、俺の身長を少し超える程度の樹木が並んでいた。


「なんですか、あれ?

 食べれそうですが」


 なんだか見るからに美味しそうだ。


「あれはこの世界の言語でパナムスという名の果樹だ。

 その実は美味で、栄養価もなかなか高かったはずだ」


 おお、さすが神様。

 物知りだ。

 しかも食用可能なものを判別できる知識は、この現状だとものすごくありがたい。


 だが、それにしても。


「意外と住みやすそうですね、この島。

 なんだか上手く行き過ぎているような気もしますが」


 俺の心に湧いた疑問に、クレア様は「もしかすると」と前置きをした上で答えてくれた。


「転生装置の座標設定は狂ったものの、人間が生活可能な地と言う条件指定は生きていたのかも知れんな」


 なるほど。

 それが正しければ、あの洞窟と言い水源と言いこのパナムスの樹と言い、こうも俺たちに都合のいい環境が集まっているのも不思議ではないか。

 危険な動植物が見受けられないこともまた、その仮定からの当然の帰結なのかも知れない。


「じゃあ、ちょっと小腹も空いてきましたので、さっそく食べてみませんか?」


 そう提案する俺にクレア様は「そうだな」と同意を告げると、スルリと俺の背中から地面へと降り立った。


 足下の草花の絨毯は驚くほど柔らかく、これならクレア様の足を傷つける心配もないだろう。

 そう判断した俺は、彼女と共にパナムスの樹へと歩き始めた。






 パナムスの木からよく熟れた果実をいくつかもぎ取った俺たちは、再度池の側へと戻って来た。

 そして俺は池の水でそれらの汚れを濯ぎ、半分をクレア様へと手渡すと、彼女と共に水辺に三角座りで腰掛けた。


 甘い香りに誘われるように、プルリとした皮ごと果実にかぶりつく。

 弾けた果実は想像以上に甘く、それでいて爽やかな瑞々しさが口の中いっぱいに広がる。

 クレア様の言う通り、とんでもなく美味い。

 これはどんどん食が進む。


 隣に並び座っているクレア様を見れば、両手で果実を掴み、その小さな可愛らしい口でリスのようにモキュモキュと食している。

 無表情なので分かり難いが、彼女も気に入ってくれたのは間違いないだろう。


 あ、柔らかそうなほっぺに実がついてる。


 もくもくと果実を齧る彼女の頬に付着した断片。

 俺はそれを指で救い上げると、そのまま自らの口へと運んだ。






「手を洗うついでに、池の水で汗も落としませんか?」


 腹を満たして一息ついていた俺は、同じように隣で池の先を眺めていたクレア様にそう提案した。

 パナムスの果汁で少し手がべたついていたこともあるが、この島は裸でいても問題無いくらいにポカポカと暖かく、俺の身体にはここまでの行程でそれなりに汗が滲んでいる。

 比較的体温が低いクレア様が汗を掻いているのかは客観的に分かり難いが、あれだけ密着していたのだから少なくとも俺の汗は付着しているだろう。


 クレア様は「そうするとしよう」と軽く頷き立ち上がると、池の方へと身を進める。


 彼女の滑らかな足が、ゆっくりと水中へと差し込まれて行く。

 キラキラと輝く波一つなかった水面に、彼女を起点として波紋が広がって行く。


 太陽の光をその身に受けながら水の中を進む彼女の、小さく華奢でありながらも艶かしい背中は、まさしく神の名が相応しく思える程に神々しく見える。


 細くとも柔らかな太ももが、小振りで可愛いお尻が、徐々に水の中へと沈んで行く。


 やがて腰の辺りまでを水中に沈めたクレア様はこちらを振り返り、「貴様も早く来たらどうだ」と、その静かな瞳に俺を映して呼びかけてくれた。


 喜び勇み水中へと足を踏み入れる俺。

 ひんやりとした冷たさが、火照った身体に心地良い。


 そのまま身体を沈め、顔を出したままの平泳ぎで、クレア様の元へと近づいて行く。

 彼女はその小さな手で水を救い上げては、自らの肩や胸にかけて洗い流している。


 やがて俺がすぐ側まで到達すると彼女は、「ふむ、行水とはなかなか良いものだな」と呟き、すぅっと水中へとその身を沈めた。


 彼女は両腕を重ねるように前方へと伸ばすと、魚の如く身をくねらせながら、水底へと潜行するように泳ぐ。


 そして俺から少し離れた位置まで進んだ彼女は急浮上し、「ぷはぁ」と言う息継ぎと共に、陽光の下へとその上体を反るように晒した。


 陽に照らされ輝く水分を含んだ白い髪が、しなるように揺れる。

 光を反射して煌めく撒き散らされた飛沫が、透き通るような白い肌の透明感を一層と強める。

 俺にはまるで彼女が、湖底から飛び出して来た水の妖精(ウンディーネ)のように感じられた。






 ポカポカとした陽光の下、行水を終えた俺は水辺に腰を下ろして身体を乾かしていた。

 隣ではクレア様が仰向けになり、今までの彼女の印象からは考えられないような緩んだ表情で、可愛い寝息を立てている。

 草花の敷布団がよっぽど心地良かったのだろうか。

 本当に、天使のような寝顔だ。


 透き通るように白く、滑らかなその肌。

 それに触れたい衝動を抑えきれなくなった俺はつんつんと、そのマシュマロのような頬をつついてしまう。


 するとクレア様は、「……ん」と少し顔を顰めてから、ゆっくりとその目を開いた。


 しまった。

 彼女の眠りを妨げてしまった。


 だが、慌てて謝る俺の顔に視線を合わせた彼女は「構わぬ」と、気にした風もなく許してくれた。

 纏う雰囲気はどこか怖い所もあるが、本当に優しい神様だ。


「そうだ、こんなの作ってみたんですが」


 言いつつ、手元に置いていたものを持ち上げる。


「花環か。

 器用なものだな」


 彼女が眠っている間、手慰みに作っておいたのだ。


「花の冠です。

 俺、歳の離れた妹がいまして。

 よく一緒に作って遊んだりしてたんですよ」


 まだ少し寝ぼけたようにこちらを見上げるクレア様に、俺は妹とのとりとめのない昔話をする。

 その無表情故いまいち感情を読み取り難いが、彼女はそんな俺の話を静かに聞いてくれた。


 しばらくの身の上語りの後、俺は「ところで」と話を切り出した。


「この花の冠、クレア様に似合うと思うんですが、どうですかね」


 何も身に付けていないクレア様はそのままでも至上の芸術作品だが、飾った彼女の姿も見てみたい。

 そんな俺の何気ない欲求に、彼女はあっさり答えてくれる。


「それが妾の美を引き立てる一助となると言うのなら、冠ってやっても良いぞ」


 そう言うと彼女は上体を起こし、ぺたん座りへとその体勢を組み直した上で、頭部を俺の方に差し出して来た。

 濡れていた彼女の新雪のように白い髪もすっかりと乾き、サラリとしながらも柔らかい、思わず指を梳き入れたくなるような質感を取り戻している。


 俺は立ち上がり、恭しく彼女の頭へと花冠を載せる。

 それは美しい湖畔を背景に、一面の花園の中で行われる、神聖な戴冠式のようにも感じられた。


 白い花を集めて作った花冠であったが、翠の葉がアクセントとなって、クレア様の白い髪にも良く映える。


「どうだ?

 似合っているか?」


 俺を見上げながら無表情のまま小首をかしげるクレア様。

 彼女の仕草のあまりの可愛いさに俺は、コクコクと何度も首を縦に振り続ける。


 そんな俺の反応を見た彼女は、その顔にどこか満足したようなものを含ませ、「よし、今度は妾が見張っておるから、貴様も一眠りして良いぞ」と、気遣いの言葉を送ってくれた。






 身体に違和感を覚え、俺はぼんやりと覚醒する。

 クレア様の言葉に甘え草花の上で大の字に寝転がっていたのだが、いつの間にかそのまま本当に眠ってしまっていたようだ。

 ここまでの道程は、予想以上に俺の体力を奪っていたのだろう。


 腹の上に、心地よい重みを感じる。

 うっすらと目を広げた俺はそこに、馬乗りに座るクレア様の姿を確認し、驚愕した。


 太陽が丁度彼女の真後ろにあることで、彼女の前面には影が作られている。

 その為少し表情は分かり難いが、俺を見下しながらあの邪悪な笑みを浮かべているようだ。


 状況を把握できず、俺の思考は混乱をきたす。

 彼女はそんな俺の肩に両腕をかけ、僅かに上体を反らしつつ、俺の方へと倒れ込んで来た。


 彼女の柔らかな腹部が、俺の肌と接触する。

 少しひんやりして気持ちいい。


 さらに彼女は腹部を押し付けたまま、より上体を俺へと近づける。

 彼女の膨らみの少ない、それでも男のそれとは比較にならない程柔らかな胸が、俺の胸と触れ合う。

 合わさったお互いの肌と肌を介して、彼女の鼓動が感じられる。


 そして彼女は俺との接触面を密着させたまま、全身を擦り付けるように、身体を少しずつ上方へと移動しはじめた。


 彼女の顔が近づいてくる。

 極限の緊張感の中、それでも彼女の深く蒼い瞳から目を背けられない。

 その鏡面に、張り詰めた俺の顔が映り込んでいる。


 近い近い近い!

 超至近距離で見つめ合う俺と彼女。

 このままでは、鼻と鼻が触れ合いそうだ。

 彼女の息づかいすらもが感じられる。


 とにかく、何か言葉を発さなければ。

 しかし開きかけた俺の口は、おもむろに彼女の唇によって塞がれた。






 俺の唇に、クレア様の唇が強く強く押し当てられる。

 完全にパニック状態に陥った思考が、唇を割って侵入する異物の存在を捉える。


 舌が、入れられている。

 湿った柔らかく暖かいそれの正体を認識すると共に、理性が遠のいて行く。

 代わりに、俺の中に眠っていた野生の本能が呼び起こされる。


 逃してなるものか。

 彼女の舌に自分の舌を絡め付ける。

 ぬめぬめと激しく蠢くそれらが、まるで別の生き物のように感じられる。

 甘い唾液が、蜜のように流れ込んでくる。


 身体が、熱い。

 彼女は密着したその身体を、強く擦り付けるように前後に揺らしている。


 乾いた身体に再び汗が滲み始める。

 全身の筋肉が痙攣を起こしそうな程張り詰める。


 もう、我慢できない。

 摩擦と興奮によって生じた熱が、最後の理性を決壊させる。


 そしてついに、蛙のようにひくひくと動いているだけだった俺の四肢で、彼女の身体を抱きしめようとした、その瞬間。


「……ぷはっ」


 突如彼女は身体の動きを止め、唇をすっと俺から遠ざけた。


 お互いの唇と唇の間に唾液の橋が架かり、落ちる。

 俺の舌は引き離された相手を名残惜しむように、突き出されたままだ。


 荒い呼吸を繰り返しながら、呆然と彼女の顔を見つめるだけの俺。

 一方、彼女は乱れた息を整えながらゆっくりとその上体を起こし、俺を見下ろしながら右手で自らの口を拭う。

 そして挑発するようなものを込めた笑みを浮かべると、俺に言葉を投げかけてきた。


「よく働いた家畜は労ってやらんとな。

 妾の変態乗馬たる貴様には、十分な報酬だったであろう?」


 ………………はい!!!!!

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