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「……塩っ辛くないシャワーっって、どれくらいぶりだろう」
褐色と日焼けしていない素肌がツートーンを描く裸体を暖かな水が撫でていく。タンカーの海水を使ったシャワーでもなく、トラックキャラバンの一人三分という慌ただしい制限もないシャワーが、彼女の強ばった体と精神を癒やしていた。
「これ、時間制限、ないんだよね」
遠慮気味にシャンプーボトルに手を伸ばした少女の名は佐々木・陽菜乃。
正に今、西方の地を踏んだ新入社員である。
彼女にとって、ここ半年は人生が急転直下したような日々だった。
銃弾の腔内破裂から始まって、優しい祖父と厳しいが尊敬できる父が一気に働けなくなってしまった。
外骨格が装備できるようになったとしても、最北州の熊は未だ脅威だ。ぶつかればトラックの方が負け、その一撃は四肢を軽く吹き飛ばす。民生用の軽外骨格では、扱える銃の口径と補助装備が潤沢になっただけで、命を護ってくれるわけではない。
ワイバーンのような軍が対応する獣害と違い、まだまだ民間の猟友会や、警察の獣害対策課が――因みに、これのせいで地域課の人気は大きく落ち込んだらしい――対応を求められる、はぐれダイアウルフや熊と相対する以上、二人とも覚悟は決めていただろう。
しかし、一命を取り留めた後、家族に待っていたのは絶望だった。
父と祖父は、生きているのが奇跡のような状態で見つかった。
熊は聞き取り調査によれば、祖父が足にしがみ付いて動きを止め、父が最後に残った右手で銃を槍のように口に突っ込み、口腔内から脳を吹き飛ばして倒したそうだ。
相討ちに近いが、生き残ったからといってめでたしめでたしとはいかない。
二人とも四肢の殆どが使い物にならなくなっていたが、ハンター向けの健康保険の支払い上限は生還時であれば三千万円。二人合わせて六千万円といえば大金だが、喪った四肢や機能不全に陥った臓器を機械化するには全く足りない。
さしもの保険会社も、ここまでの怪我を負って生還することなど考慮していないので当然だ。
猟友会からのカンパもあったが、皆、危険と比べれば雀の涙のような報酬金と、年金暮らしの老ハンターが大半だ。心遣いは嬉しかったが、家族を救いはしなかった。
救急救命治療の支払いと、生命維持に必要な部分の機械化には辛うじて足りたが、手足はどうにもならず、祖父は靴べらみたいな急拵えの義足を付けて両腕がなく、父は車椅子で用足しすら一人でできなくなってしまった。
そうなれば当然、元の仕事には戻れない。
言うまでもなく、彼女も体育推薦で入学が決まっていた大学への進学を諦める必要があった。
陽菜乃はある夜、寝苦しくて水を取りに行った時、聞いてしまった。
父がすすり泣くように「死んでいれば二億円が家族に渡っていたのに」と。
これを聞いて、試される大地の女が黙っていられようか?
断じて否だ。
英雄的に戦って生き残った二人の人生を後悔で終わらせてはならないと、彼女は奮起した。
「あたしが絶対に二人にいい義肢をプレゼントしてあげるからね!!」
そう啖呵を切って、家族から大反対を受けつつ、契約金で数百万円を受け取れるPMCに加わったは良いものの……そこから先は地獄である。
碌な研修もなく「現地で訓練するから!」とタンカーに詰め込まれた後は最悪だった。
彼女は中部、山の中生まれである。
列島転移前と違って最北州は林業及び農業と畜産で大いに盛り上がっており、人口は大きく回復したこともあって小学校も四クラスある場所で育った。
故に船など乗ったことがない。挙げ句、そこで二週間というのは、正に彼女にとって拷問に等しい。
タンカー船の水夫さんは声がデカくておっかないし、やらかした船員がぶん殴られているのは当たり前で――命に関わる業務なので、殴ってでも覚えさせるのは一種の愛情だ――絶え間ない揺れと波の音が寝かせてくれず辛かった。
なにせ、それらは船体から響いてくる。ヘッドホンを付けて音楽を爆音にしても、骨伝導で響くのだ。到着があと数日遅れていたら、頭が変になったかもしれない。
そして、大地に足を付けられて、それでも幻覚の揺れが止まらないと思っていたら、今度は荒くれトラックマンの群れに囲まれる。それも自分と同じでタンカーでイライラさせられていた人達は、気性の荒さもあって、とてもおっかなかった。
それが彼女の心の中にあった恐怖を増幅させたが、現地で待っていた「鬼のようにおっかないと思うよ」と部長から言われていた上司は、とても優しかった。
見た目からして、ほっそりとして儚げな印象を受ける人だ。元軍人さんだと聞いていたが、そういう威圧感はなく、むしろオープンキャンパスでチラシを配っていた大学の先輩のような気安さがある。
「ほっ、本日付けで配属されました、佐々木・陽菜乃です! よろしくお願いしまっす!!」 相手が相手だけに、部活と同じではよくなかろうと、必死に覚えた本州言葉で喋ってみれば、彼は鷹揚に頷いて名乗ってくれた。
「私は有明・江月予備役一等陸曹であり、第四課課長だ。よろしく」
ミリオタでも映画好きというわけでもなかった陽菜乃には、それがどれくらいの偉さなのかは分からなかったが、課長ならとても高い地位だったのだろうというのは分かる。
正直、かなり辛いのだが、家族のためなら耐えられると思っていた彼女に叩き付けられた言葉は、怒鳴り声だがとても優しいものだった。
「飯食って寝ろ」
言われたことがいまいち理解できず、反射的に分かりましたと言っていた。
「そんなザマで使いモンになるか!! 飯食ってシャワー浴びて寝ろ! 復唱の要なし! 駆け足!!」
先に高卒で社会人になった先輩は、パワハラがだとかセクハラがとか、あと残業と研修が辛いと聞いていたけれど、自分の上司は嘘のように優しい人らしい。
たしかに怒鳴り声ではあったが、それは部活と同じで人間を反射的に行動させるための起爆剤のようなものだ。
実際、自分はまだ摸擬銃も触らせて貰えない新入部員のように駆け出していたのだから。
慌ててコンテナの中に戻り、私用スペースに置いてあった説明書を捲る。
シャワーの使い方は簡単で、このタイプは現地の上水供給ユニットと下水再利用ユニットに直結し、電気湯沸かし器が装備されているため実家のそれと使い心地は変わらなかった。
ただ、電源が世界晶から来ていることくらいしか違いはない。
給湯ボタンを押して、三分待ってくださいのアナウンスを聞きながら、順番待ちで遠慮したせいで、あまり洗濯できなかった服の群れから辛うじて綺麗な物を取り出す。
そして、気付いた。
ヒトフタマルマルってなんだろうって。
「……その辺は明日以降教育するけど、十二時って意味だよ」
「えと、つまりお昼まで……」
「翌、っていうのは翌日って意味。つまり今から一日ちょい自由時間ってこと。船旅とトラックで脳味噌変になりかかってるでしょ。ちゃんと自分のメンテしておきなね」
分かった? 分かったなら休むようにと命じられて、陽菜乃はコンテナの扉に背中を預けながらズルズルと体がずり落ちていくことを感じる。
有明課長は少し憤っているように感じていたが、その矛先が自分ではないことが何となく分かった。部活だったら、こんなザマで出て行ったら体調管理不足! と部長だった自分は怒鳴っていただろうけれども、それとはまた違う慈しみを感じる。
「良い人、なんだよね、きっと」
不意に緊張が途切れ、ぶつりと自分の中で気を張らせていた物が断たれたように感じた。
そして彼女は、シャワーの仕度が整ったという合成音声に従って、ふらふらとシャワー室に向かい、回想に入る…………。
かなりお労しい経歴持ちの陽菜乃ちゃん。会社はブラックだけど上司は真面だよ!
よかったね!!
※なお業務の厳しさからは目を背ける物とする。




