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海の国再興譚~腹黒国王は性悪女を娶りたい~  作者: 志野まつこ
第3章 海姫と海の国の物語
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14、久々に帰ってみたらえらい目に遭った

 ひっそりと帰国し、再会したレオンにも記憶を失った女の怯えた様子を演じてみれば、国王は記憶のない王妃をそれは慈しみ、強い抱擁と熱い口付けという濃厚な夫婦の再会を国家の重鎮たちの面前で強いた。

 これまで相思相愛の夫婦だと思わせてきたのだ。

 周囲の「当然だ」という反応とは裏腹に、シーアにとってそれは耐久戦に持ち込まれたようなものだった。

 その光景をグレイは死んだ表情で見ていたが、末席に位置していたので幸い誰にも見咎められる事はなかった。


 散々辱めを受けた挙句、最終的に「で? お前はいつまで記憶が無いフリをしているつもりだ?」と耳元で囁かれたシーアは射殺さんばかりの目で夫を睨みつけたが、酸欠と怒りで真っ赤になって震えるその姿は、偶然にも記憶のない女が突然口づけられたという状況の反応にふさわしい物でもあった。

 そして睨み付けた先で、シーアは目にしてしまう。

 慈しみの表情を浮かべているものの、空色の目は笑っていない、その様を。


 うわ、やばい。

 おっかねー。


 彼女がレオンと呼ぶ男のその表情は、彼女が初めて目にする類のものだった。


 まあ、そりゃそうだよな。

 レオンの瞳の中に静かに萌えたぎる怒りの炎を見て、殊勝にもシーアは観念したのだった。


 やはりレオニーク・バルトンという男は頭の回転が速いと思った。

「なるべく多くの時間を共に過ごした方が王妃にとってもいいだろう」

 王妃の帰還が決まり、彼女の状態を知らされた彼はあらかじめそう周囲に指示していた。

 おかげでこれまで夕食を共にしたことなどほとんどなかったというのに、二人きりで夕食を取る事になった。


 いや、今までの生活と全然違うんだが。


 シーアはそう思ったものの当然それを口にする事は出来ず、いきなり『夫』と言われた国王と食事を共にする記憶のない女を演じる羽目になった。


 王妃の寝室まで迎えの為に呼ばれたユキとハナの涙をこらえきれない様子を見た瞬間、シーアは戻ったのは正解だったと改めて痛感した。

 彼女達には海に落ちる計画を告げずに手伝わせた。後で知らされた二人は自身を責め続けたのだろう。

「戻りが遅くなって悪かったね。つらい思いを長引かせた」

 部屋に戻り、否定するように首を振って泣きじゃくる二人を抱きしめた。

 そして言う。

「早速こんな事言って申し訳ないんだけどさ、今してる化粧の仕方覚えといてもらえないかな。自分じゃちょっと難しくて」

 二人はきょとんとした顔でその化粧をじっと見詰める。そして主がそんな事を言い出した理由に気付くや、二人は泣きながら笑ったのだった。

 

 彼女達しかいない王妃の私室であれば、気楽に振る舞えるというのに。

 国王との夕食の席で「これが罰なのか」などと思っていた矢先、その日の献立は北方の郷土料理である鳥肉料理である事に気付く。

 気分が高揚したが、給仕がいる手前それを表沙汰にする事も出来ない。

 国王の前で緊張した女の「食べてもいいのか」という態度を装いながらレオンを見れば、彼はその視線に含まれる意思に気付いて答えた。


「君が好きだった料理だ。以前作ってやると言ったきりになっていた。さすがに今日は手ずからという訳には行かないから、北方出身の料理人に作らせたんだが……」

 覚えてたのか。

 シーアは呆れた。

 おどおどと口に運び、少しだけ微笑して「美味しいです」と小さく本心を答えれば、レオンは満足そうに微笑む。

 彼もまた勘が良く、かつては相棒として三年傍らにあった人間である。容易くお互いの意図を読み取れる関係はさすがにやりやすく、『記憶を失った王妃』の真実味をより高める期待以上の反応が返って来た。


 記憶のない王妃に対し、何か思い出す手掛かりにならないかと気遣う国王。

 それを演じ、うまい対応をする彼にはじめこそ満足していたシーアだったが、すぐに閉口した。

 全ての仕草が甘くて仕方がないのだ。

 その眼差しも、甘やかし具合も。

 シーアは心底いたたまれないが、レオンの魂胆は分かっている。

 これが罰であり、自業自得だと言っているのだ。

 内心それは楽しんでいる事だろう。

 

 ああ、自分で考えた事とは言え、本当にめんどくさい。

 シーアは心底辟易とし、その様子をレオンは胸がすく思いで堪能するのだった。


「お前、もう設定を後悔してるだろ」

 お戻りになったばかりです。陛下のご記憶もなくしていらっしゃるというのにいきなり二人きりは、そう反対する侍女頭を華麗に説き伏せて王妃の居間に二人きりになった途端、レオンはそう馬鹿にしように言った。


 その通りだ。

 記憶を失った人間を演じるのがここまで面倒だとは。

 これを周知徹底が図られるまで続けなければならないと思うと、気が遠くなりそうだった。

「ここまで気を張るものだとは思ってなかった」

 よろよろと二人掛けのソファーに寄ると、絨毯の敷かれた床に座って座面に半身を投げ出す。

 レオンはその隣に腰掛けると頭をぐしゃぐしゃと力強くかきまぜた。

 短く切りそろえられた髪が痛々しく感じられてレオンの胸が痛む。


はらわた煮えくり返ってる?」

 沈黙に早々に耐えかねて、シーアは尋ねた。


「まあな。心当たりは山ほどあるだろうから今さら言いやしないが」

 意外な言葉に、突っ伏した状態から目だけを向けて見やる。

「お前、寛大だな」

 思わずそう言えば睨まれた。


「何より腹が立つのは、自分自身にだ。結局俺はここで、人を使う事しか出来なかった。お前がした事に比べて不甲斐なさに腹が立つ」

 結局自分がした事は、人を利用しただけだ。

 彼女は体をはって糸口を作り、終息までの道筋を作り上げたというのに。


「それがお前の技術だろうが」

 シーアは小さく笑った。

 人を見る目と、信頼する度胸。

 そして、裏切られないだけの器がなければ出来ない。


 船に乗っていた頃、適材適所の有用性の考え方をシーアに授けたのはこの男だ。

「お前の強みだろうが。わたしみたいなやり方はいつか潰れる。そうだろ?」

 苦笑した。

「分かってるじゃないか。それが分かっていてなんで勝手に一人で動くんだ、お前は」

「自分の居場所を自分で作って何が悪い」

 非難の色を帯びた言葉に、シーアは力強く言い切る。


 居場所━━それがここかと思うと、レオンは黙った。


「今回上手く行ったのはお前が裏で手を回したからだ。お前ならいいようにしてくれると思ったから行けたんだよ。何を恥じる事がある」

 期待以上の働きだったぞ、となぜか王者の風格を醸し出しながらシーアは笑む。

 相変わらず、彼女の言葉は力強く真っ直ぐだった。

 信頼されていないものだと思っていた。

 彼女の評価は、誰からのそれよりも彼に歓喜を与える。


「ただし、そのおかげであいつにまんまと西の航海路を持ってかれたんだがな」

「自業自得だと思え。一つだけどうしても文句を言っておきたいんだが」

 忌々し気に顔をしかめたシーアに、レオンのまなざしが険しくなった。


「俺は後妻も側室も探す気はないからな」

 何を言い出すやら。

 シーアは冷めた顔つきでレオンを見上げた。

「そういうワケにはいかないだろが」

 世継ぎは絶対に必要なものだ。

 周囲だってそのためならばありとあらゆる手段を講じるだろう。


 実際シーアの生死が不明とされる中、新たな王妃の選別や側室を迎える準備を進める声が上がった。

 ここぞとばかりに、王妃の出生や過去を悪しざまに言う者もあった。


 当然だとレオンは受け止めている。

 執政の均衡を保つためにはその位の反対意見があって然るべきであり、そうした意見も尊重してこそ成り立つ物である。

 

 ただし、それが国にとって利となるか、害となるか。

 私欲によるものか否か━━その点だけは見極めねばならない。

 今回の一件で、中枢にて政治に深く関わる人間が、どういった立場スタンスにあるか何人か把握する事が出来た。


 絶対的に譲れないのは一つだけだ。

 それなのに当人はこういう時だけ、「後妻を探せ」だの「側室も気にしない」だのと王妃に求められる物分かりの良さをそれは見事に発揮する。

 正直苛立ちを感じざるを得ないところではあるが━━残念ながら正論を振りかざす彼女の思い通りにはならないのだ。

 レオンはうっそりと笑んだ。


「俺の最終目標は王政の廃止だ。国の代表が国政を取り仕切った方が民の為になるだろう」


 シーアは驚きを隠せず、頭を起こしてレオンを見上げる。

 見果てぬ夢を語るその瞳は穏やかで、とても魅力的だった。

 本気なのだと理解し、気力を振り絞って這うようにしてレオンの横に腰を掛けた。


「お前が戻らなければそのまま推し進める気でいたが━━」

 後妻も側室も取る気は皆無だ。

 ある程度環境を整えた後、しかるべき後継者を指名する手段を取っただろう。


「おかげで猶予が出来た。ゆっくり整備する」

 シーアの産む子供に王位を継承させ、その中で体制を整える時間が出来たというものだ。

 例え子に恵まれずとも、手段は変わらない。

 

 レオニーク・バルトンの、最終的な目的は王政の廃止である。

 一般の人間が取り仕切る国家。

 世界にはごくわずかであるがそんな国も存在する。それをレオンはドレファン一家のドレイク号で過ごす中で知った。今や義父となったウォルター・ドレファンが何を思ってそれを見せたのかは謎だが。


 一代で二度も王位を手放そうというのか。シーアは鼻で笑う。

「無理な話だな」

 夫の理想を、妻は非情なまでに一蹴した。

 残念ながらレオンもそれは重々承知している。


「まぁ、お前が爺さんになるまで隠居もせずに死ぬほど働きゃ、死ぬ間際ぐらいにはそうなるかもな。うまく行けばひ孫を見ながらのんびり余生を過ごせるか、ってとこだろ」

 シーアは楽しそうに笑う。


「面白そうだ。付き合ってやるよ。最後まで」


 そこにはいつもの笑み。

 悪だくみをするような凶悪で、実に魅力的なそれがあった。

 レオンは少し目を見張ってから、嬉しそうに目を細める。

 彼女が居場所として自分の隣を選んだ、それは何にも勝る喜びだった。


 まったく。

 しばらく寝室を共にする事は出来ないというのに、この妻は先ほどから凶悪なまでの殺し文句を連発してくる。

 本当に、困ったものだ。

 レオンが微笑を浮かべる。

 それはとても穏やかで、優しいものだった。


「寝てないのか?」

 隣国からの異動は1日掛かりだ。

 グレイとジェイドの警護付きなのだから、眠れたものかと思った。

「国境越えだからな。職業病なのか妙に緊迫感があってさ。寝こけてる間に何かあってあいつらの足手まといになりたくないし、あんまり寝てない」


 正確には北の台地レイスノートの岬から投身した日からまともに眠っていない。

 渾身の遠泳と岩場で滑って作った間抜な負傷をエミリオに気遣われ、「先は長いんだから寝てていいよ」と言われたが身を隠して国境を越えなければならなかったあの状況で寝られるはずがない。

 半商半賊という身で生きてきた人間である。国境を超える際はいつも少なからず緊張した。

 今日の帰国の際もそうだった。

 身を置いた修道院もグレイの周到な警護のある王城とは違い、安眠など出来よう場所ではなかった。


 眉根に力を寄せて睡魔と戦っている様子のシーアの頭をつかむようにして、レオンは自分の膝の上に頭を乗せさせる。

 膝枕に驚いたような顔つきになるシーアの前髪を、押しやるようにして額に手を乗せた。

 静かに見下ろしてくる瞳。


 ああ、そうか。

 この色だ。

「……晴れた空を見るたびにさ、思い出して困ったんだ」

 本当に困ったような表情を浮かべ、彼の頬に手を伸ばす。

 彼女との時間を取るため、ここ数日レオンは執務を前倒しでこなしてきた。

 当然彼もまた寝不足ありで、その美麗な顔には薄い隈が浮かんでいる。

 その顔に添わせるように手を当てれば、彼にしては珍しくひげが伸びかけている顎がザラザラとした感触を掌に与えて来た。


 レオンは、シーアが真っ直ぐに見つめているのが自分の瞳だと気付いた。

 

 晴れた空を見れば彼の瞳を思い出した。

 曇天の日にはどうしているだろうと、そんな思いが頭をかすめた。


 昼間はあまり共に過ごさない分、それを補うように足を絡み合わせ、抱き合うように眠る毎日だった。

 長年の習慣で、夜明けとともに目が覚めれば首の下に夫の腕があった。

 いつもいつの間にかされている腕枕に、「肩とか痛くなるだろうに」と思いながら柔らかく苦笑した日々だった。


 だからだ。

 一人で床に就けば違和感にかられ、熟睡できず夜中に何度も目が覚める。

 明け方一人で目を覚ました時、空いた隣の冷たさに喪失感にも似た孤独に襲われた。


 無性にさみしい、その感覚を生まれて初めて知った。


 孤児であっても物心つく前からいつも周りに大勢に騒がしい人間がいた。

 養父は海王の名にふさわしく、厳しくも大きな愛情を持って実子と分け隔てなく育ててくれた。

 さみしいという感情を感じる事のない環境で育った。

 それなのに。

 目を覚まして、戯れに口づけする事も出来ない。

 さみしいとか、切ないとか、そういうものとは無縁だったのに。


 ふっと笑う。

 なんてね。言いやしないけど。

 

 目をつむりながら「ただいま」と呟くように告げるシーアの体から、すとんと力が抜ける。

 

 安全な場、信頼出来る人間の傍に戻った安心感から、睡魔は一気に訪れた。


「━━まいった」

 レオンは絶句し、口元を片手で覆う。

 強い動悸を感じた。

 息を詰め、しばらくしてからそっと息を吐くと同時にそう漏らした。


 シーアはそんな恥ずかしい告白をするつもりはなかったのだ。

 しかし、残念ながら安心感から訪れた睡魔は彼女の口を滑らせ、半分ほど不明瞭な言葉ながらそれは紡がれてしまった。

 そんな告白をしながら、あどけない寝顔で眠る妻に、そんな表情は卑怯だろうとレオンは思う。


 生きているという確信はあった。

 しかし、ここに戻るという確証はなかった。


 そのうち王妃には記憶が無いものと信じさせられている侍女頭が、業を煮やしてドアを叩くだろう。


 それまでは、この幸福な一時を大切に味わう事にしよう。

 彼は穏やかな表情を浮かべ、取り戻した最愛の妻の髪をいたわるように梳いたのだった。




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