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海の国再興譚~腹黒国王は性悪女を娶りたい~  作者: 志野まつこ
第3章 海姫と海の国の物語
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13、人の噂ほど怖いものはないってね

 レオニーク・バルトンからの依頼は、癪に障る部分もあるが実に実入りのいい、面白い仕事でもあったとエミリオは思う。

 それは認めざるを得ないし、一家を預かる身としてはこうも言わざるを得ない。

「また美味しい仕事があったらその時はよろしく頼むよ」

 にっこりという表現がふさわしいような清々しいまでのエミリオの笑顔に、シーアはうんざりと嘆息した。

「結局、お前が一番稼いだな」

 シーアは偽の航海路を書いておけばよかったと痛切に後悔し、それを聞いたエミリオは初めて心から満足を覚える。

 海の国の王の言った通り、彼と組むのは成功だった。

 まさか彼女のこんな悔しそうな顔を見られるとは。

 だから続けて嘯く。

「きみの旦那さんは実に面白かったよ。もし今度何かあったら彼と組む事にするよ」

 その言葉にシーアは複雑な心境に陥り、少しだけ顔を曇らせた。


 自分よりも、あの男の方が有望だと言われたような気がしたのだ。


 自分に価値がなくなったような気がした。

 けれど、そうなるよう自分自身が仕組んだのだ。

 ここまでしたのだ。

 そうでなければ困る。

 しかし実際それを実感させられると一抹のさみしさにも似た喪失感が胸をかすめ、それを払拭させるために悪態をつく。


「老若男女問わずか。さすがだな」

 それから自分自身のその言葉に困惑したように首をひねった。


「側室なら許せるが、相手がお前ってのはちょっといただけないな」

 シーアの真剣な様子に、エミリオは「そっちの意味じゃないけどね」と軽く否定し、それからくすくすと、楽しそうに笑いながら問いかける。


北の台地レイスノートとの取引条件の都合であと10日位で帰ってもらいたいんだけど━━まだ帰らないの? あっちはもう決着がついたよ」

 切れ者の旦那さんがすべて整えて待っているというのに、どうして帰ろうとしないのか。エミリオは見透かしたうえであえて意地悪く声を掛けたのだった。

 

◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆


「いやぁ、崖から飛び込んだんだけどほぼ無傷でさ」

 ソマリの女子修道院の質素な個室で怒りに凶相を浮かべるグレイに、シーアはそう困ったような顔をした。

 着水の直後、岩にしたたか肩をぶつけはしたが打撲程度だった。


 グレイやジェイドにとって悪夢のような光景が繰り広げられたあの日━━シーアは、海流に逆らって海の国オーシアンに戻った。

 全力で泳ぐため、ドレスは海中でスカート部分を切り外せるように侍女のユキとハナに頼んで細工を施した。

 服飾商の娘であるハナと、髪結いの娘である手先が器用なユキの仕事である。

 それは実に精工で、海姫たるシーアの海中での身体能力の高さもさる事ながら部屋での練習通りに分解できた。

 簡単には浮かばないよう、重石のために何本も細い鎖を縫い止めていたので地上での動きはずいぶんと苦労したが。


 レオンは一つこちらの要望を伝えれば、起こりうる事態を思いつく限り挙げ、その対策をそれぞれ複数準備するような男である。

 だからこそ信頼して城を出た。

 彼女達を咎める事はしないだろうが、彼女達には『いざという時に動きやすい状態になりたいから』とうそぶいて作業させた。


 周囲の人間が妊娠の可能性に行きつくように王妃の姿で振る舞い、侍女二人にもそれを指示した。

 そうでなければ、自分達が生まれも教養も低いと自覚し、普段から主の欠陥にならないように日々努めているあの侍女二人が主の生活や身体的な話題を軽々しく口にするような事はしないのである。


「ちょっと怪我するくらいがちょうど良かったんだけど」

 死角となる岩場にエミリオに着替えを準備させていた。

 半年前には、拿捕されるという目的の為に3日間毎朝夜明けの漁に出た海域だ。

 地形と潮は把握していた。

 念のため一度泳いでみた。春の水の温度は進水式の時に比べればずっとマシだと思えた。極限に挑むように海流に逆らって泳げば、自分でも呆れるほどに気分を高揚させた。



 あの日、シーアは予定通りエミリオの待機する磯に泳ぎ着いたものの、岩場によじ登る際に足を滑らせ、むき出しの脛をしたたか岩にぶつけて悶絶し、軽い裂傷とそれはひどい青あざを作った。


 それだけで済んでしまった。


 落ちて波に着水し、錐もみ状態で海に引きずり込まれた。

 打ち寄せる強い波に何度も岩場に叩きつけられそうになるのを経験と勘で防ぎ、海流を見極めそれこそ必死で泳いだ結果━━その程度で済んでしまったのだ。

 より大きく厚い波が打ち付ける瞬間を見極めたとはいえ、あまりにも変わり映えがないので、これはちょっと説得力がないな、と髪を切って売ったという設定を急きょ付け足したほどである。

 足の怪我などとうに完治してしまっている。

 塩水に濡れて放置した髪は痛んでいて売り物にはならなかったが、「海の国の黒真珠」の美しい髪となれば人々はそれは高く売れただろうと思うだろう。


 欲しいのは、悲壮感だ。

 それも実に陰鬱でやるせなく、人々の心をいつまでも苛むような。

 海の国オーシアンが悲惨な過去を抱えることに意味があるのだ。


 本当に、ろくでもない事を思いつく。

 人の噂を利用した情報戦の実行役を務めたのはエミリオである。

 流通に携わる者達は情報の正確性とその伝達速度が利益につながる。

 その習性を利用した。


 彼女の非人道的とも言える魂胆を知らされた時、エミリオはその優美な顔を大いにしかめたものだ。

 同時に、こんな性根の悪い女をこれまで口説いて来たのかと思い、それは複雑になった。


「誰もあの海流に逆らって泳ぐなんて普通考えないよ」

 計画を聞いた時エミリオは「絶対に死ぬよ」と断言した。

 打ち合わせた岩場で読んでいた本に雨が落ち始めた時点で「ああ、もうこれはダメかな」と思った。嵐の到来は想定外で、予定の時間はとうに過ぎていた。それでもなぜか離れる気にはなれずため息をついて荒れる海を見やった時、それはいた。

 海から上がった女はそれは凄惨な姿で、エミリオと目が合うなり「どうだ、生き残ってやったぞ」と言わんばかりの表情で笑んだ。

 ぼろぼろになりながらも、生気にみなぎったその獰猛な目に「まるで海から魔物が上がってきたようだ」と戦慄を覚えたほどだ。

 高らかに嘲笑でも始めそうな表情は夫に面倒をかけて来た相手に対するものであり、首尾よく行った結果に満足したからだったのだろう。そして勝利を確信したのかもしれない。

 相手の目を欺くのが目的だとは言え、馬鹿だろ。

 着替えと岩場からの移動手段である馬車を用意したエミリオは、その頑丈な体と強運に心底呆れると同時にこれが「わだつみの娘・海姫」と呼ばれる所以かとも思った。

 二人はその足でソマリの女子修道院へ向かったのだった。



「なぁ、わたしは本当に戻ってもいいと思うか?」

 ふとシーアがぽつりと漏らしたそれはとても弱々しいものであり、そんな物を向けられたグレイはぎょっとする。

 柳眉を下げて見上げて来る顔は、それは情けないものだった。


 この計画は、北の台地レイスノートに大きな過失と、世界から非難されるような負い目を与える事が目的だ。


 王妃がこのまま失踪したままでも結果は変わらない。

 むしろ、このまま失踪した方が国にとっても安全なのだ。

 北の台地レイスノートは開戦の可能性に怯えているが、世界の国々を見た上で海の国オーシアンを「いい国だ」と言うあの男がそれをするはずがない。


「ここまで迎えに来させといて、何言ってやがる」

 グレイは盛大に舌打ちした。

 相手を間違っている。

 俺にそんな弱々しい女の顔を見せてどうするんだこの馬鹿。

「お前、まだあいつの腕、信用してねーのかよ」

 苛ただしげに言った。

 女は、男に守られてればいいんだ。

 馬鹿が。

 言いはしないけど。


 まさか海姫のこんな姿を見る事になろうとは。

 なんだか興がそがれたかな。そう思いながらもエミリオが助言する。

「このまま逃げても無駄だと思うけどね。あの旦那さんならきっとすぐに君を見つけるよ」

 エミリオは笑う。

 レオニーク・バルトンは、ドレファン一家に身を寄せていたいた頃、海王ウォルターの計らいでいろいろな人間とつながりを持った。

 シーアがエミリオの手配で女子修道院にいる事も、早い時点で把握していたのかもしれないと思った。


「いい加減、素直になれば?」

 まぁ、これだけ素直に意地を張れるのもある意味甘えなんだろうけどさ。

 あの旦那だし。

 訝し気な視線を寄越してくるシーアを見ながら、あの優美な顔をした男は実に寛大だと思った。

 さすがは海の国の王と呼ばれるだけはある。


◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆


 修道院裏の通用門につけた馬車の御者台でジェイドは顔を上げた。

 リザが港の宿を尋ねたた翌日から、彼は反対するグレイの意見に抗って職場に復帰していた。

 約2ヵ月ぶりに職場に戻ってみれば、向けられる視線も多少は落ち着いていた。自分はもっと厳しい目に晒されるべきだと、ジェイドもまた思った。

 そしてもっと早くグレイの元に戻るべきだったと反省するとともに、面倒見のいい年上の幼馴染に甘えた事を、ジェイドは心底後悔したのだ。


 運営が上手く行っているのだろう。

 女子修道院の重厚な建物から出てきたグレイは、周囲に警戒するような鋭い視線を投げかけてから、一人の人物を庇うように連れ出した。

 顔を隠す気があるのか無いのか、判断に迷うほど軽くショールを被っている。

 ジェイドはその顔を見て少しだけ目を見張った。表情の変化の乏しい彼だ。非常に分かりにくいが彼は驚愕していた。

 動揺しながらも御者台から降り、上等な部類に入る馬車の扉を開ける。

 海の国オーシアンとソマリの国境で手配したそれは上等ではあるが、王族が乗るものとしては相応しくはない。

 今回の任務もまた、秘密裏に行われるものである。


 馬車に乗る手助けなど、彼女には不要である事をジェイドは知っている。

 しかしそれはかつての彼女の場合である。

 記憶が無いと聞いている彼女に片手を差し出して乗り込むのを手伝おうとすれば、ショールの人物は恐る恐ると言った様子でぎこちなくそこに手を乗せた。


 相変わらず化粧映えのする、美しい人なのは間違いない。

 しかし、伏せられた目と血の気のない頬。少しやつれたようにも見える顔には、眩しいほどだった覇気がない。

 これは本人か、とグレイを見返れば彼は苦虫を噛み潰したような表情をしていた━━


「さっさと帰るぞ」

 言って顎をしゃくるグレイに続いて御者台に上がれば、御者台のすぐ後ろの小さな引き戸が空いた気配が伝わる。

「待たせてすまない。いつもと化粧の仕方が違うんで時間がかかった」

 背後からジェイドに掛けられたそれは、聞き慣れた口調だった。


※※


 室内で化粧を始めたシーアはすぐに愕然として固まった。

 伏目がちで怯えた弱々しい女。基本的にうつむいた状態の予定であるため今までのように強いアイラインが入れられない。

 そんな状態で「海の国の黒真珠」を匂わせる人間に化けるための化粧は想定以上に難しい物だった。

 約3か月ぶりの化粧であり、なおかつ伏目にしているため正面から客観的に鏡が見られないという想定外の問題が浮上したのだ。


「なにやってんの」

 本当に、心底呆れた様子で言いながらも異性に関して並々ならぬ経験があり、絵心のあるエミリオが手伝った。

 あぶなかった、あいつがいないと化粧が出来ないところだった。

 シーアは動悸を感じるほど動揺したのだった。


「どうせこっそり帰るんだから、化粧なんていいじゃねぇか」

 記憶があやふやである事に配慮し、ひっそりと帰国する手筈となっている。

 待たされているグレイが不満そうに言った。


「ずっとここで化粧してなかったから、帰る時ぐらいは顔を見せとかないとまずいんだよ。後でそんな女はいなかったとか騒がれたらせっかくの苦労が全部水の泡だ」

 3か月もこもっていたというのに。


 王妃は記憶を失って隣国の女子修道院にいる。

 3か月経過し、ようやく自分の名前を思い出した為発見に至った。



 海の国オーシアン中枢の人間は皆そう認識している。

 なぜ隣国で、同じ時期に引き上げられた女が「海の国の黒真珠」と認識されなかったのかと物議を醸し出したが、引き上げられた場所は事故が起きた岬の下の海流からどう計算しようともそこに流れ着くのは不可能な海域だったからだ。

 そして中枢の人間は王妃の素顔を知る者も多く、「ああ、あの顔では認識されなかったか」とすんなりと納得してしまった。


 どうにもならなくなる一歩手前まで足掻き、事実を作り上げるために丁寧に虚像を塗り重ねて自分の居場所と、海の国オーシアンの圧倒的有利を確立しようとしている海姫。

 エミリオに意見を求めながら顔を作り上げていくその女の背を見ながらグレイは思う。

 女一人でやるとか、おっそろしい女だな。


※※


「お前にも悪いことをしたな。長い間すまなかった」

 背後の小窓から聞こえる声に、ジェイドは微かに表情を緩めた。

 この不遜な態度は、間違いなく自由奔放でグレイを振り回し続ける王妃の物だった。

 不愛想な幼馴染が珍しく口元を微かに緩めるのを見て、その様子にグレイもまた驚いた。

 職場復帰してからジェイドは国庫管理管の美人とどうもぎこちない。

 つまはじきされている事を自覚しているジェイドがあえて彼女に近付かないのだろうと思っていたが、どうもそれだけではないような気がして、「良かれと思ったんだが、どうもまずい事になったのかもしれない」と気になっていたのだ。

 少しずつではあるが、このまま事態が終息に向かう事を願いながらグレイは馬車を出した。

 


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