六時十八分
お父さんは旅行のしおりに、行き先だけしか書かなかった。
私は大学ノートを開き、次のページに「帰り」と書き足した。お父さんはそれを見て少し笑った。
「帰りのことは、行ってから考えよう」
「何時ごろ帰るの?」
「そんなこと、今から決めなくてもいいだろ」
渋滞を嫌って給油する場所まで決めるのが、いつものお父さんだった。
「それより梨央。みんなを六時に起こせるか」
「起こせるよ」
「母さんは寝かせてやって。昨日も遅かったから」
お父さんは、先に寝たお母さんの茶碗まで片づけた。旅行の準備はお母さん任せで、出発の朝になってから車のキーを探す人なのに。
旅行が決まったのは三日前の夜だった。学校を一日休んで海を見に行こうと言われ、晴は跳び上がって喜んだ。悠はホテルにプールがあるかと聞き、菜々は家族みんなで乗れる船を探してほしいと言った。お父さんは何にでも「いいぞ」と答えた。私は晴たちがそんなに喜んでいる前で反対したくなかったけれど、学校を休むのは気になった。
「お父さん、仕事は?」
「休みを取った」
「土曜日じゃだめだったの?」
「土曜は道が混むだろ。たまには学校を休んだっていいじゃないか」
私はまだ納得できなかったが、そのとき台所でお母さんがスプーンを落とした。「大丈夫」と言ったものの、拾ったスプーンを持ってしゃがんだまま、しばらく立ち上がらなかった。
*
出発の朝、車の窓は夜露で白くなっていた。近所の家はまだカーテンを閉めていて、道路には新聞配達のバイクが一台通ったきりだった。
車の後ろには、六人で一泊するにしては少ない荷物が並んでいた。お母さんは髪を一つに結び直し、鞄を荷室へ押し込んだ。
「一泊なのに足りる?」
「足りるわよ」
「菜々、絶対服を汚すよ」
「汚さないでって頼んで」
私は菜々に聞こえないように「無理だよ」と言った。お母さんは笑わなかった。
菜々がぬいぐるみの耳を窓から出そうとしたので、お父さんが気づく前に叱った。すると菜々はぬいぐるみの耳元で「おねえちゃん、すぐおこる」と告げ口した。私は聞こえないふりをした。晴は三列目でコンビニのおにぎりを食べ始め、悠は海が見えるまで寝ないと宣言して、最初の交差点を過ぎるころには眠っていた。
菜々が袖で窓の露をぬぐい、小さくなっていく家に手を振った。お父さんがルームミラーの中で笑った。
「そんなに振らなくても、家はどっかに行ったりしないぞ」
ノートに出発時刻と、最初の一行を書いた。
『六時十八分。全員元気。』
帰ったら、みんなで読み返すつもりだった。




