第24話
「そうそう、その感じ。そこはもっと腕を大きく振って」
「いいぞ、慎一。そのまま腕を下げずに行こう」
愛瑠の、とてもいい匂いのする部屋の中で、俺は愛瑠のピアノに合わせて指揮をひたすら練習する。俺の指揮を見ながら、ピアノ経験者の夢乃と指揮者経験者の彼方が指導をしてくれる。
2人の指導は熱心でいて優しさにあふれている。2人の性格の良さがすごく伝わってくるし、俺もやる気が出てどんどんやろうってなる。
何より、愛瑠のピアノが素晴らしかった。いや、俺ピアノなんて分からないけど、以前聞いた花音の圧倒的な音とは違って、俺に寄り添ってくれるような、優しくて暖かな音色だった。だから、とにかく指揮が振りやすかった。
愛瑠って見た感じちょっとギャルっぽいっていうか、常に相手のことをからかってるイメージがあるけど、演奏はこんなにも優しいんだな。もしかしたら、本当の性格はちょっと違うのかな? 彼方も、愛瑠は中2から変わったって言ってたし。
俺は指揮に集中しつつも、愛瑠のことをついつい考えてしまっていた。
「慎一、ちょっと集中できてないぞ。どうした?」
「ちょっと慎一、愛瑠に見とれてない? ちゃんと集中して」
やべっ。彼方と夢乃は見逃してくれない。ちゃんとやらなきゃ。
そんなこんなで、練習をしているうちにあっという間に時間は過ぎて、昼近くになった。
「しんいち~、めっちゃうまくなったね~。演奏しやすかったよ~。褒めたげる~。」
そう言うと、愛瑠は背伸びをして俺の頭をなでなでした。
「ちょっと、はずいって。でも、ありがと」
何故だろう。今日の愛瑠の前では、素直になってしまう。音楽のせい、なんだろうか。
「じゃあ、休憩にしようか。いいよね、愛瑠」
「そうね~。そうしよっか~」
夢乃と愛瑠の間で昼休憩が決まった。俺たち男子は従うだけだな。
「それで、食時はどうするんだ?」
確かに、彼方の言うとおりだ。今から買い出しでも行くんだろうか。
「あ~それはだいじょ~ぶだよ~。そろそろ来るから~」
愛瑠がそう言ったすぐ後だった。
愛瑠の部屋のドアが開き、きれいな女の人が入ってきた。多分、愛瑠のお母さんだよな。
「こんにちは。みんな、愛瑠の友達? 来てくれてありがとう。この子、友達が少ないから、来てくれて嬉しいわ」
愛瑠のお母さんは柔らかで優しげな雰囲気だ。俺はさっき愛瑠のピアノからそれを感じたことを思い出した。
「は、初めまして。愛瑠さんの友達の園山慎一です」
「あなたが慎一君? よく愛瑠が家で話をしてるわよ。愛瑠にからかわれてない?」
あ~、お母さん何でもお見通しだな。
「初めまして。愛瑠さんの友達の雛崎夢乃です。お邪魔させていただいています」
夢乃はとても丁寧に、落ち着いて挨拶する。
「夢乃ちゃんね。いつも愛瑠と仲良くしてくれてありがとう」
「空野彼方です。初めまして。」
彼方が、少し緊張した様子で挨拶をした。
「あら、初めまして。彼方君の名前は愛瑠から聞いてなかったわ」
「ちょっとママ~、早くして~」
「はいはい。ご飯作ったから、良かったら食べてね」
そう言って愛瑠のお母さんが持ってきたのは、カレーだった。
「ママのカレーおいしいから、食べてね~」
そう言われて、俺は思わず一口食べる。
「うまい!」
うちのカレーとはちょっと違って、なんかリッチな感じがする。これ牛肉だろうか。家の家は母さんと妹が牛肉ダメだから、ほとんど出てこないんだよな。俺好きなのに。
「おいしい~。お母さん、ありがとうございます。」
夢乃も本当においしそうな顔をしている。彼方は黙々と食べてるな。
「あらそう? じゃあ、私は出かけるから、ゆっくりしておいてね。愛瑠、皿はキッチンに返しといてね」
「分かった~。またね~」
愛瑠も、お母さんと仲よさそうだな。普段があんな感じだから、どうだろうとは思っていたけど。
「ごちそうさまでした。おいかった。ありがとう」
「ど~も~。作ったのママだけどね~」
彼方と愛瑠が話している。今日は何というか、2人とも素直だな。
食事をいただいた後、しばらく談笑してから再び練習が始まった。
これからは本番に向けた詰めの作業だ。指揮の細かいところを1つずつ夢乃と彼方に指摘してもらった。
「そう、そこはしっかり手を広げて表現して。最後の一番いい場面だから」
「そうだ。そこで思いっきり叩くように振るんだ。最後は両手を広げて、こうだ」
2人の指摘を聞きながら、俺は必死に食らいついてく。正直言うとおりにするのに必死で、指揮で音楽を動かしている感じは全くない。
ただ、愛瑠のピアノが下から優しく支えてくれるから、俺が不安になることはなかった。
しかし、夢乃と彼方って本当に息ぴったりだよな。お互い告られては振ってるって話だし、なんで付き合わないんだろ。どう見てもお似合いなのに。
一方愛瑠は、こうしたほうがいいなんてことは何も言わない。演奏中、時々俺のほう見てはクスッって笑ってただけだ。そして、演奏が終わった後に必ず褒めてくれた。
正直、もう何十回目だろう。日が西に傾いてきている。
両腕が、すごく重い。
だけど、俺はくじけるわけにはいかなかった。俺のためにみんなが集まって大事な1日をくれたんだ。それに応えなきゃ、男じゃないだろ!
疲れていきながらも、俺はだんだんと手応えを感じていた。今日の朝は全然できていなかったことが、思うようにできるようになってる。明日からの本番前練習に向けて、指揮者の俺が足を引っぱる訳にはいかなかった。
いや、明日からは俺がみんなを引っぱるんだ。絶対に優勝に導く。その思いだけで、俺は重く動かなくなった腕を動かし続けていた。
「慎一、疲れてない? ちょっと休憩しようか?」
「ありがとう、夢乃。でも、大丈夫。もうちょっとだけ、やりたいんだ」
俺のその言葉に、夢乃と彼方が目を見合わせて、うん、とうなずきあった。
「わかった。お前がその気なら、俺たちはとことん付き合う。少し遅くなるけど、いいか愛瑠?」
「い~よ~。ここまできたら納得いくまでやろ~」
3人の言葉に俺は胸が熱くなる。本当に、いい友達持ったよな、俺。
「・・・ありがとう。じゃあもう一度お願いします」
最後の練習が終わった時、俺たちはとてつもない充実感に包まれていた。
完璧だ。これなら、明日からの本番前練習を最高の状態に持って行って、勝てる。
「しんいち~、頑張ったね~。かっこよかったよ~」
そう言うと愛瑠はピアノから離れ、俺の手を握った。いつもなら恥ずかしいからやめてくれって言うんだけど、もう腕が上がらない。でも、なぜかわからないけど、全然恥ずかしくもないし、むしろ嬉しかった。なんでだろ?
「やったね」
「ああ、これなら絶対大丈夫だ」
彼方と夢乃はハイタッチしていた。
「あら、こんな時間までやってたの? 若いっていいわね」
愛瑠のお母さんが帰ってきて、もう18時を過ぎていたことに気づいた。
「すみません、お邪魔しました」
俺たちは急いで愛瑠の家から外に出る。
「いいのよ、またいつでも遊びに来てね」
お母さんはいつまでも優しい。
「そだよ~。しんいちは、いつでも来ていいから~」
愛瑠は本気か冗談か分からないことを言っている。正直言って反応する気力がないから、「はいはい」と言ってそのままにしておいた。
帰りの自転車や電車の中では、俺と夢乃は多くを話さなかった。
何て言うか、話す必要がないって言うか、話さなくても分かるというか。
本気で1つのものを目指した8時間を共にした人間にしか分からないと思うけど。
気がついたら、もう空は暗くなっていた。
「じゃあ、また明日ね」
「うん。また明日」
西園寺駅に着くと、俺たちはそれだけ言い合ってそれぞれの家に向かった。
家に帰ると、俺は風呂に入ってご飯を食べるとすぐに自分の部屋に戻り、ベッドに入った。
宿題は終わってたからよかったけど、正直何もする気力がない。
「しんいち会」のグループラインでは、お互いの今日の特訓について言い合っているらしく、LANEの通知音がピコン、ピコン、と常に鳴っていた。
俺はその通知音を子守歌にして、いつの間にか眠っていた。
次の朝、すぐにLANEを見てみる。
すると、夢乃と愛瑠から、全く同じメッセージが来ていた。
『昨日の慎一、かっこよかった』
俺は焦ってスマホを落としそうになる。
いや、昨日のテンションで書いたんだろうな、きっと。
とりあえずメッセージの意味について考えるのをやめて、今日からの練習について気合いを入れ直した。
みんなのために、絶対に、勝つんだ。




