第四話 もふもふの毛玉
『先生の魔術書』
表紙に手書きでそう書かれた魔術書は古く、何十年も前のものに見える。
ソニアはその魔術書の重い表紙を捲ると
「五百八十三頁」
と呟いた。
パラパラパラと風に靡いて紙の薄いページの一枚一枚が捲られていく。そしてソニアが呟いた五百八十三頁が開かれると、その見開き頁が発光した。
「無限のほどの中では彼人は偽り。月が朧でも彼人はせんなくはあらず。神鏡よ。ただ真実の姿を現さん。精霊よ。彼人の声を聞け」
ソニアは詠う。
『先生の魔術書』に書かれている詩は眠りや浄化などの暗唱できる古代語の詩とは使い方が異なる。
本来なら魔力のある者がそれに書かれた文章をそのまま読めば魔術は発現する。
だが、彼女の場合そのまま読むだけでは発現しない。感情を込め、リズムを交えて詠まなければ。
それに書かれていたのは真実の詩。
嘘を付いている者、姿を偽っている者などに対して、この詩で本音を聞き出したり本当の姿に戻したりするのだ。
ソニアは視線を上げ、魔獣と思われる大きな毛玉を見つめた。
すると、その大きな毛玉の中からギョロリと大きな目玉が現れ、ソニアを見つめる。
魔獣はパチパチとその大きな目玉を瞬いていたが、再び目玉を隠すと大きな尻尾をファサファサと振り始めた。
ラウルと二人、暫く様子を見守っていると、今度は毛玉自体が収縮し始めた。洞窟の空間より少し小さくなったところで嵌っていた部分が緩んだようで魔獣は動き出した。
「あぁ、良かった。動けるようになったわね」
ソニアは魔術書を抑えた手を下ろして見守っていたが、ラウルはまだレイピアを構えていた。
「たぶん大丈夫ですよ。こっちに来ても襲いかかるような事はないと思います」
ソニアのその言葉通り、魔獣は小型犬程度まで収縮するとソニアの両手の中に飛び込んできた。すっぽりと彼女の両手の中に入り込む。
「この子、見た事ない魔獣ですね」
ソニアの言葉にラウルも同意した。
「それにしてもなんでこの子あんなところに引っかかっていたのかしら?あんなに巨大化して」
ソニアは先程までもふもふが巨大化して嵌っていた場所にちらりと視線を送り、それを撫でながら首を傾げた。
するとラウルも考えるようにしてもふもふの毛玉を覗き込んだ。
「そうだな。巨大化した事と嵌ってしまった事は原因が別かもしれないな。例えば……」
ラウルは眉を顰める。
巨大化した原因は誰かの悪戯や罠に寄るもので、嵌ったのは自らすすんで、という事も有り得るのではないか、と言いたいのだろう。
(そうね。原因は魔獣が自分の意思で起こす事だけではないかも知れないわ。そういう良くない事態に備えておくのも確かに悪くないわね)
心の中、ラウルの考えに賛同したソニアは、他の者の気配を探りながら行動しようと決心する。
そんなソニアの様子も知ってか知らずか、魔獣は大きな尻尾をブンブンと勢い良く振ってソニアの身体にスリスリと匂いを擦り付けてくる。
(あぁ白くてもふもふで……)
「何だかかわいい……」
ソニアも魔獣の背に頬を擦り付けた。
(猫のような見た目だけど、少し毛足が長くて……。何だかモップみたいね)
実はこの魔獣、人間が作り出した魔獣でアスマーと言う。その人にとって心地良い音を聴かせる事が出来るという能力を持つ。複数の者に同時に心地よい音を聴かせる事は出来ない為、人によって不快に感じる事もあると言う。
だが、そんな事二人は知らない。
(可愛いのはいいんだけど……。)
結局その魔獣は洞窟には残らなかった。
ソニアから離れず、何処までも着いて来ようとする。
「ど……どうしましょう?せっかくラウルさんが洞窟に壁を作ってくれたのに」
「ソニアが一緒にいるなら大丈夫だろ?俺もいざとなったら箱を作って閉じ込めればいいんだし。何とかなるんじゃないかな?」
「まぁ、私も何とかしますけど……」
二人はそうして村に戻ると、小一時間もふもふの魔獣を片手に村長とコリンに切々と事情を説明した。
こうやってもふもふ毛玉を連れ出す事を了承してもらえるように説得するはめになってしまったのである。
***
その日、ソニアはまたコリンの家に泊めてもらう事になってしまった。
とても感謝され、夜にささやかな祝勝会が開かれた。
ソニアはこの件に関して魔獣を討伐した訳ではなかったので申し訳なくって、納得がいかなかったのだが村長は気にしていなかった。
とにかくラウルの事も含め、問題がひとまず解決した事が大きかったのだろう。
やはり魔獣の騒音に悩んでいた人たちが多かったようで、何人もの村民の方たちも招かれており、口々にソニアたちを褒め称えた。
もちろんラウルは騒音を防ぐ壁を作ったのだから、この会の主役だ。
褒められて当然だとソニアは思っている。
ソニアがラウルの悩みを解決する手助けをしたとは言え、正直大した事はしていないと思っている。
ちょこっとだけ、詩を詠っただけだ。
だからこの会でラウルが村民の方々に囲まれている事は全然おかしなことではない。
寧ろ、私なんかこの会に参加していていいのかしら?という疑問さえ浮かんでいた。




