第五話 見たけど見てない
アンドレアサーカス団で調教されていた子魔獣のフェンリルは捜査の為、一旦第一魔術師団預かりとなった。
明日、アクリュから王都にその身を移送されることになったのだが、この子フェンリルはラウルにしか懐かなかった。
「森に戻してやれるならそうしたいんだけどな」
ソニアと喫茶店で合流したラウルは果実水を片手にボヤいた。
「そうね〜。でもすぐにはどうにもならなそうね。……あの子は今どうしてるの?」
「今はまだサーカス団の天幕に留まっている。見張りもついているし何かあればこちらにも連絡はあるはずだ。一応ここにいることは言ってあるし、宿も伝えた。だから大丈夫だろう」
ラウルから聞いた話だと、フェンリルは足を冷やしたことで痛みがだいぶ軽減したようで、その後は暴れることなく落ち着いているらしい。
「これからの取り調べで分かって来るとは思うんだけど……あの子。魔獣の裏業者にどうして捕まったのかしら」
フェンリルは独り立ちするまでは親子で行動する。
この子はまだ独り立ちをするには小さすぎるし、親がいない隙を狙われたのかも知れない。
「そう、だな。まぁ考えても仕方がない。捜査が進んだらこちらにも説明はあるだろう?……どうする?一旦宿にでも戻って休むか?」
「ん〜。そうね。さっき水が跳ねたし、体を拭いて来ようかな?イルマもまだ捜査で忙しいんだろうし。彼女とはまた明日話すことにするわ」
ソニアはそう言ってラウルと一旦宿に戻ることにした。
*
宿の部屋は中央にある階段を登ると二階の右奥の部屋にソニアが、その手前の部屋にラウルが借りることになった。
それはラウルが先に不審者に気付けるようにという配慮だったのだが、ソニアはそんなことに気付きもせず言われるがままに受け入れる。
「では夕食はまた外に出ることにして、それまでは部屋で休憩ということでいい?」
「そうしよう。何かあったら声を掛けてくれ」
「えぇ」
二人は特に時間を約束するでもなく、それぞれ自分たちの部屋に入って行った。
(さてと、まずは体をキレイにしたかったのよね)
水と火の魔術式が記述された蛇口を捻ると、ちょうどいい温かさのお湯が出てきた。お湯を作り出す魔導具だ。
高級宿なら魔導具のシャワーがあるが、ここは安宿なのでシャワーはない。だから桶にお湯を張り、厚めの布を何度も絞って体を拭けば、幾分かはキレイになった。
(一晩体を洗えなかっただけなのに、だいぶ汚れてたわね。イルマの水魔術をフェンリルが避けた時に掛かった水はそんなに汚くはなかったはずなんだけど)
ソニアは思いながら、顔を濡れた布で拭うと布にはしっかりと土汚れがついていた。
(おおう……。この感じだとローブの中まで汚れているかも……)
髪や頬から伝う雫は襟首から肩や胸元まで染みている感覚がある。
(あぁ……。とりあえず濡れた布で全身を拭いて、着替えよう。夕食には間に合うかな……ん?何時の約束だったっけ?)
せっかく気づいたのに、ソニアは次の瞬間忘れてしまっていた。早く濡れたところを拭ってしまいたかったからだ。
ソニアはローブを脱ぎ、ワンピースの腰に巻いた太めのベルトを解くと、その裾を胸の辺りまでまくり上げるとさっきの濡れた布で拭った。目の前にある鏡を見ながらお腹周りを拭う。
背中から腰を跨ぎ腹部に繋がって描かれている魔術式の紋様。
鏡から視線を外し、腹部の紋様に目を遣るとそれを静かに拭い、なぞる。
(これがついてから何年が経ったっけ?)
視線を上げ、鏡に目を遣るとはっきりと紋様が鏡に映っている。紋様は古代語で魔術式が細かく書き込まれ、それを囲むように蔦の蔓や葉が絡まり合い丸を二つくっつけたように形に描かれている。
ソニアの古代語の知識はそこまで深くはない。学校の一教科で学んだ程度だ。
彼女が詠う詩は古代語で発声するが、耳で覚えているだけで書いてあるものを詠える訳ではない。
だから古代語が読めるが、自分の体に書いてあるものは読めなかった。具体的に言えば、書かれている古代語の単語を構成する文字の並びは分かるのだが、書かれている単語の意味がわからない。
古代語の辞書にも載っていない単語がいくつも並んでいた。
(ラウルの痣と違ってこれは時間が経ってもボヤけることもないのよね)
呪いの痣とも違うその紋様は、ソニアが子供の頃に付いたものだ。時間はかなり経過していたが、ラウルのものとは異なりはっきりとした形が少し離れたところから見てもその形状はしっかりとわかるだろう。
鏡の中の自分の腹から視線をズラすと、背中側にある部屋の扉が不自然に開いている。
(あれ?私閉めた……よね?)
この部屋にかけた鍵代わりの結界魔術は悪意に対して反応するのだ。
部屋にある物を取ろうとしたり、ソニア本人に対して怪我を負わせようとしたりする悪意。
だから、その悪意が全くなければ反応しない。鍵は開いてしまうのだ。
ソニアがワンピースの裾を膝下まで丁寧に下し、そうっと扉の向こう側を覗き込むと、そこに立っていたのは口元を押さえ、震えているラウルだった。
(――っっ!)
ソニアの悲鳴は声にならなかった。
「ご!ごめ!見てない!いや見たけど、見てない!」
「ど、どっちよ!」
「――――見た!すまない。……見た」
ラウルは両手で顔を隠していたが耳まで赤くなっている。
「ノックしたけど、返事がなかったから開けてしまった……」
「……いいです。私もノック聞こえてなかったし」
ラウルの戸惑う様子に、ソニアは逆にスンッと落ち着いてしまった。
それに、彼の言う『見たけど見てない』が何を指しているのかも理解してしまったから。
身体は見てないが紋様は見た、恐らくそういうことだ。
(本当に身体を見ていないかは些か疑問だけど。だって身体を見なきゃ紋様は見えないはずだし。まぁ他のところに気を取られてると見えるはずのところも見えなくなるっていうのはよく聞くことだし。きっと紋様に気を取られ過ぎていたのよね……でもなんだかモヤモヤするわ)
ラウルが自分の身体を見たはずなのに見ていないと言っていることが、モヤモヤの原因だということにソニアはハッキリとは気づいていなかった。
(でも見たなら見たって言って欲しかった)
多少なりともこの歳になり、身体も成長してきて自信もついて来ていたのだが、残念なことにそこは見ていないとラウルは言う。
(紋様よりも目に入らない私の身体……)
ソニアは若干しょんぼりしたが、ハッとしてすぐに思い直す。
(いや、別に身体を見られたかった訳じゃないから!最近成長が著しかったからちょっと誰かに褒めてもらいたかっただけだから!)
ラウルを目の前に思考の渦に傾れ込んでしまったが、落ち着こうとソニアは頭を振る。
(まぁ気にしてても仕方がない。あまりくよくよしないのが私のいいところ!)
「入ってください。見たなら見たで、知っておいてもらいたいことがあるので」
そのまま夕ご飯を食べに行く予定だったのだが、仕方がない。
室内の一人掛けソファにラウルを座らせ、その背後でワンピースを早着替えしたソニアは彼の向かいにあるベッドに腰を下ろした。
(とうとうこの辺の事情を彼にも話さないといけない時がきたのね。ふふ。こうやって腰を落ち着けて話すのってあの時を思い出すわね)
ソニアは彼と向かい合わせに座って初めて話をしたテット村での初対面を思い浮かべていた。
一旦書きためたものがなくなったのでまた少しお休みします。
できればこの後、五話程度で終わる予定の別の小説を少しずつ上げていきたいと思っているので、よろしければそちらもよろしくお願いします。




