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4章 伊沼義彦(6)

「おーいエンドーくーん」

 呼ばれて振り向くと、真田が手を振ってこっちに向かってきていた。

「真田か、どうした」

「どーしたもこーしたも三下でもないよ! エンドーくんが急に飛び出してきたからびっくりして追いかけてきたんだよ! 呼んでも返事しないし」

 ああ、走ってる途中で誰かに呼び止められた気がするが、あれは真田だったのか。


「で、中でなんかあったの?」

「特になんでもねーよ」

「あんな思い詰めたような顔して、なんでもないわけないじゃん!」

 両拳を上にあげて頬を膨らませる。若干怒っているようだ。感情表現が大仰なやつである。


「お前には関係ねえだろ」

「関係大有りだよ、あたし達は図書委員の仲間じゃん!」

「……お前もそう言うのか」

「えっ?」


 頭に疑問符を浮かべる真田。俺が小声で言ったためか、どうやら聞き取れなかったようだ。聞き取れたところで意味が分からないだろうが。

 まあ別に何があったかくらい言ってもいいか。頑なに言わない理由もない。


「奈々城に友達になろうって言われてな。拒否して出ただけだ」

「でもそれならあんなに急いで出る必要……あー……いや、それはいいか」

 真田はどこか納得したように頷き、腕を組んで考えこむ。そして数秒悩んでから俺のもとに駆け寄ってきた。


「ちょっと外に出よっか」

「は? 何で」

「いいからいいから」

「おい、押すな、離せ!」


 言っても真田はニコニコ笑いながらぐいぐい俺の背中を押している。元々外には出るつもりだったから別にいいが……。

 昇降口で靴を履いて外に出て、いくらか進む。そこで真田はキョロキョロ辺りを見渡すと、ある一点を指差して俺にこう言った。

「あのベンチに座ろう!」

「……まあ、いいか」


 走って疲れたし、今はあまり動く気になれない。少し休んでから帰るのもいいだろう。

 校庭の隅まで歩き、荷物をおいてベンチに腰掛ける。


「ふぃー疲れた。どっこいしょーっと」

 爺臭いな、おい。

「ふーんふふーんふーん♪」

「…………」


 そして会話が出てこない。元々俺は何を話す気もないし、真田はやけに上手い鼻歌を歌いながら足をぶらぶらさせているだけだ。ちらりと真田を見るが、俺の視線に気付かない。

 まあいいや、食いかけの弁当でも食うか。


「ふふふふーん、ふーふふーん、ふーんふーん」

 鞄から取り出して膝の上に広げ、食べる。真田はまだ歌っている。

「ふーふーんふふーん……よっし、言いたいこと纏まったかな」

「?」

「エンドーくんはそのままでいいよ。ただ聞き流さないでくれるとありがたいかなーって」

 聞く義理も別にないが、まあ耳だけは傾けておこう。

 弁当を食い続ける俺を横目に、真田は話しだした。


「十二人いるはずの図書委員がほとんどいなくなった理由、エンドーくんは知ってるかな? まあ皆サボっただけなんだけどさ。残ったのがあたしと、セレナちゃんと、祈だけ」

 それは知っている。俺を誘う時に奈々城が話したはずだ。随分とクズが多いとこだと思ったことを覚えている。


「まあそれでね。あたし達も黙ってたワケじゃないのさ。先生に相談したり、仕事してくれるよう説得しに行ったりね。……結果は見ての通りだけど」

 そういや真面目そうな顔して放任主義なんだっけか、鈴本先生。しかし開館日は毎日いるし、図書委員の仕事を一番頑張っているのは先生のような気もする。いや、仕事だから当たり前か。


「で、それだけで諦めてハイおしまい、って訳にもいかないんだよね。実際十二人でやってたローテーションを三人……あ、先生含めて四人で回すのって大変だし。仕事自体は楽なんだけど、ほぼ毎日行かなきゃいけないしねー」

 確かに、俺みたいに放課後だけならともかく、昼休みも放課後も出ずっぱりというのはとてつもなく面倒だな。想像したくもない。


「そこで新しくボランティアを募集する方向にシフトチェーンジ! したの。知り合いを当たったりしたんだけどー……まあ、やる気がね? 正規の委員じゃないのに続くワケもなくてー」

 そりゃそうである。たまたま俺は部活動に無所属であり、読書に価値を見出だせたからやってるだけで、本に興味ない人間がほぼ毎日やる気にはなれんだろう。


「にっちもさっちもいかなくなっちゃって、私達……というか祈は最終手段に出たんだよ。見知らぬ人を誘うっていうね。それが」

「俺か」

「そーそー。……おっ、反応してくれた」


 真田がこっちを向いて、えへへーと笑う。そこで俺は手元の弁当ではなく、いつの間にか真田の方を向いていたことに気付いた。……無意識だった。


「あたしは祈じゃないから分からないけどさ。祈にとって知らない人に誘いをかけるって、どれくらい勇気の要ることなんだろーね?」

「……知るか」

「あたしはそーゆーの結構平気なんだけどねー。元々そんなに知り合いいないし」

 からからと笑う。そんなことはどうでもよいのだが、結局何が言いたいんだろう。疑問に思う俺をよそに、真田の言葉は続く。


「でさー。エンドーくんはやってくれた。知り合いな人が拒否したりやらなかったりする中で、縁もゆかりも無かったエンドーくんが一番一生懸命にやってくれたんだよね」

「そりゃ対価を貰ってる以上はやるさ。対価に魅力がなくなるまではな」

「それでもエンドーくんが……んー、何が言いたいかって言うとね」


 途中で言葉を切り、また何かを考える素振りをして、満面の笑みで俺を見た。

「きっと祈はそんなエンドーくんを結構大切に思ってるはず。それを忘れないで欲しいな」

「……そうか」

「それだけだよっ! 時間を取らせてごめんねー。あとは戻るよ、サ・ラーバ!」

 そして真田は俺の前を横切り、校舎に戻っていく。初対面時も走ってきていたし、走るのが好きなのだろうか。そんな場違いな疑問が沸く。まあどうでもいいことである。


「あ、エンドーくん!」

 と、いきなり真田は立ち止まった。振り向かずに俺を呼ぶ。

「あたしは勉強できないし、頭も悪いけど、耳と勘には自信があるんだー! だから言うよ!」

 何をだ。


「きっとセレナちゃんも、祈と同じこと言うと思う!」


「え?」

 つぶやきのような俺の声は真田に届くはずもなく、再び走りだした彼女の後ろ姿は昇降口に消えた。

 風が吹き、木々が揺れ、低く砂が舞う。太陽は雲から出て、どこからか鳥の鳴き声が聞こえる。

 景色をいくらか眺めたあと、俺は手元に目を向けた。


 ……飯、食うか。

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