4章 伊沼義彦(7)
空っぽの弁当箱をビニール袋に包み、鞄に仕舞う。しかしまだ歩く気にはなれず、背もたれに寄りかかりふと空を見上げた。
漫画などで見る、ソフトクリームのような形をした雲なんてものは現実で見たことがない。そもそも雲の形を何かに例えた記憶がない。雲はただ雲であり、形を変えることはあれどそれが何かに似ることなんてとても少ない確率だろう。今はたまたま、イケメンの顔が浮かんでいるが……。
「……遠藤氏?」
喋ったッ!? あ、ちげえ、現実の人間だ。しかも見たことある奴だ。
えーと、確か名前は……。
「伊沼、か」
「Yes,yes,yes! 伊沼義彦さ! 覚えてもらえて光栄だよ」
そう言うと伊沼はずいっと顔を近づけてくる。キモいのでサッと顔を離す。
「何か用か」
「やだなあ、遠藤氏。用がなくても知り合いを見かけたら近づくことくらいあるだろう?」
「いや、無いが」
「……遠藤氏って変わってるんだね……」
ナルシストに言われたくはない。
「そう言う遠藤氏は何をしてるんだい?」
「空見てただけだ」
「なるほどね、自然観賞か。確かに、天高く広がる青空は美しい。加えて有限であるのに無限であるかのように錯覚してしまう雄大さだ。それを観賞するのは素晴らしいことじゃないか」
そんな考え、一切ねえんだけど。
「でも一番美しいのはボクだけどねっ! 観賞するならボクを観賞したらどうだい?」
「断固として断る」
「遠慮しなくていいのに」
そう言いながら伊沼は男性ファッション誌にありそうなポーズを何回かとる。性格がアレなのに外見は様になっているのがどこか腹立つ。
「まあボクを観賞したくなったら声をかけてくれ。それではバイビー」
「ああ、じゃあな」
絶対にしないが。何故好き好んで男を見なけりゃいけないんだ、気持ち悪い。
そして伊沼は俺に背を向け……たと思えば振り向いて、こっちに戻ってくる。また俺の前で立ち止まると、真っ直ぐ俺を見た。一体何事だ?
「……もしかして暇かい?」
「ああ」
「帰りはどっちだい? 駅の方? 山の方?」
「駅の方だが」
「そうか、それなら……」
あれ。この流れはどこかで?
思い出すと同時に、伊沼は俺の両肩に手をかけた。
「ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ。引き受けてくれないか?」
ほら来た、頼み事だ。何故か最近は頼み事を受ける機会が多い気がする。やっぱあまり人と関わるべきじゃないな。
簡単な事だとしても、面倒なものは面倒である。特に今は休みたい気分なのだ。する意味もないし、してやる義理だってこれっぽっちも――
『チッ……おい遠藤! 命拾いしたな! この借りは必ず返す!』
『逃げた……か。ふっ、口ほどにもない人たちだ。大丈夫かい? 君』
……義理は、あったか。
「ってやっぱ無理だよね。ごめん、この話は」
「構わない」
「……え?」
「構わない、と言ったんだ」
聞き返す伊沼にしっかり答える。すると、みるみるうちに顔が喜びの色に染まっていった。
「本当かい遠藤氏!」
「ああ。ただし、これで貸し借りナシだ」
「……? 貸しなんてあったかな?」
手を顎に当て、伊沼は首を傾げる。
「昼に俺を助けてくれただろう、体育館で」
「ああーアレか。そんな当たり前のことなんて貸しになるものなのかい?」
当たり前、だと? 自らを省みず、見知らぬ奴を助けることが?
……理解できない。相当喧嘩が強くない限り不利益の方が大きいだろうに。
「なってるから言ってるんだ」
「まあ、それでボクの用事に付き合ってくれるなら有難いことだけどさ……」
首を反対側に傾げながら頭を掻く。不可解な表情は継続中だ。こっちの方が不可解だっての。
「一応聞くが、何時間かかる。さすがに夜遅くなるようだったら親に連絡入れるが」
「No problem.遅くとも夕方までには終わるよ」
「それならいい」
内容も聞かずに承諾したが、義理があるのだ。相当無理なことじゃない限りやる所存である。休みたかったがそれを言っても仕方ない。もしかしたら気分転換になるかもしれん。
「……それで、俺はどうすればいいんだ。荷物運びか? ゴミ拾いでもすればいいのか?」
「えーっとね、駅前のデパート分かるだろう? その屋上で二時からイベントがあるんだよ。そこまで一緒について来て欲しいんだ」
「……? 何のイベントだ、それは」
「アイドルのライブさ」
「は?」
「だから、ボクの好きなアイドルの、ニューシングル発売記念のライブだって」




