3章 セレナ・橘・セレスティア(1)
腹減った。そうだ、購買に行こう。
そんなわけで俺は、放課後の廊下を図書館とは反対方向に歩いていた。五分くらい遅れたところで問題ないだろう。そもそもすぐに来いとか言われてねえし。
目当ては少しでも腹を満たせる軽食である。パンなら丁度いいだろうか。ジャムパンでもコッペパンでも納豆パンでもなんでもいい。ゲテモノパンしか残ってなかったとしても潔く食ってやる。そう思えるくらいには空腹だった。
しっかり昼食は学食で食べ、体育があったわけでも、特に頭を使う授業があったわけでもない。それなのにまるで何者かが購買へ行けとでも囁くかのように腹が減ってくるのだ。原因は不明。訳がわからない。
夏の夕方はまだ日が高く、風が吹いていても直射日光を浴びると暑い。本校舎を日除けにしながら人混みの中を縫うように歩く。日陰は涼しい。木陰ならなおよい。きっとマイナスイオンが出ているから、という思い込みによる効果だろう。アメリカ政府あたりが世界中にマイナスイオンが蔓延しているという嘘の発表を流せば地球温暖化の進行も少しは遅くなるんじゃないだろうか。この時期にしては暑すぎる。
シャツを手で掴んで前後に扇ぎ、内側に風を送りながら空を仰ぐ。雲ひとつない快晴だ。梅雨だというのに最近はずっと晴れ続きである。異常気象というやつだろうか。登下校が楽なので個人的にはありがたいのだが、梅雨には降らないと寂しいものだ。降りすぎても困るが。
やがて購買の影が見える。佐倉坂高校の購買部は廊下で繋がってはいるが校舎から独立しており、教室一個分の広さを持ついわば小さなコンビニである。品揃えは薄いが商品の単価が比較的安い。たった一〇円程度といえども苦学生には助かるものだ。
角を曲がり、入口が見えた。
「いいじゃんよ、ちょっとくらい付き合ってくれたって」
「さっきから嫌だと言ってるじゃありませんの」
なんということだろう。二つある入り口の一つ――俺に近い方――に行く手を阻むかのごとく一組の男女がたむろっている。たむろっているというよりは男子が一方的に迫っているように見えたが、邪魔なことに変わりない。
「放課後暇でしょ? ちょっとだけでいいからさ。な?」
「仕事があるんですの。付き合ってる暇はありませんわ」
邪魔ではある。かと言ってわざわざ遠い方の入り口を使う気になれず、俺はそのまま足を進め、パンのことだけを考えながら二人の間に割って入った。
「だからさ~、ってちょ、おまえ何すんだよ」
なんでもいいが、食えないものだけは勘弁だ。食えさえすればどんなに不味くても食べ切る。個人的な意見だが、売れてない新商品には注意が必要である。食べ合わせにも気を付けよう。
「おい、聞いてんのか」
「あ?」
何者かに襟首を掴まれ、振り向く。今さっき押しのけた男だ。人のことは言えないが、こういう輩は自分勝手な意見をただ撒き散らかす害悪な存在である。話す必要はないと判断し、俺はパンの棚に向かった。
「人にぶつかっておいてその態度はどういうことだよ!」
入口前に陣取っていてその態度はどういうことだろう。頭が足らないようだ。
「こっち向けやお前!」
「断る」
「んだとコラ!」
「大体」
絡まれている女子がいた辺りを指す。
「逃げてるようだけどいいのか」
「は? ……あっ!」
今更気づいたようだ。彼は「っざけんなクソが!」と叫びながら購買から去っていく。口の悪いやつだ。どこかで見たような気もするが……ま、気のせいだろう。
邪魔をするやつもいなくなったので、俺は唐辛子パンと牛乳を買って図書館へ向かう。本当はもっと普通のパンがよかったのだがこれしか残っていなかった。不味くもない。美味くもない。ただただ辛いだけである。一ヶ月もすれば棚から姿を消す商品だろうと確信し、ストローを挿して牛乳を飲む。
「あのっ」
「うわっ……!」
突如として正面に人が現れた。物陰から飛び出してきたらしい。びっくりしてパンを取り落としそうになるが慌てて持ち直す。あぶねえ、百八円を無駄にするところだった。
「あっ、申し訳ないですわ。大丈夫ですの?」
飛び出してきた当の本人はこう言って頭を下げる。金髪でウェーブがかったロングヘアーの女子だ。顔立ちは日本人というより西洋風だろうか。袖口から伸びる肢体は細く長く、スタイルはよく。端的に言えば美少女である。どこか上品そうな物言いも外見のせいか似合ってると感じてしまう。奈々城は言わずもがな、真田も口を閉じればそこそこ可愛い女子であるし、最近よく美少女に関わっている気がする。だから何だという話だが。
まあ前に目を向けなかった俺も悪い。詫びておこう。
「問題ない、こちらこそすまん。前方不注意だった」
「貴方が謝る必要はないですわ。貴方に用があってわたくしが飛び出したのですから」
「へえ、用か。……俺に?」
何の用だ、お互いに面識はないはずだが。人違いじゃないのか。
「先程の出来事ですわよ。助けて頂いて感謝いたします」
さきほど、先ほど……と思考を巡らせ、思い至る。変な男に絡まれていた女子だ。顔を見ていなかったためすぐにはピンとこなかった。なるほど、この外見だ。ナンパまがいの粘着をされるのも納得できる。
「礼なんていらん。助けたつもりなんてねえ」
「貴方にそのつもりがなくても、わたくしが助かったことは事実ですわ」
「そうか、それならそれでいいんじゃねえの」
彼女の横を通り過ぎ、唐辛子――ではなくパンを一口かじる。早くこれを喉に流し込まねば俺の舌が焼けてしまう。熱い、辛い、痛い。そして暑い。なんでこんなものが購買にあるのだろう。この商品企画を通した奴は誰だ。一発くらい殴ってやりたい心境である。
「大丈夫ですの? さっきから汗が凄いですけれども」
見かねたのか、彼女が正面から俺の顔を心配そうに覗きこむ。いつの間にか俺の横に並んでいた。何故ついてきているのだろう。いや、昇降口に向かってるだけか。偶然同じ方向になってしまったのなら仕方がない。面倒であるが、返答する。
「パンが辛いだけだ。問題ない」
「そんなに辛いんですの? 食べてみたいですわね」
と、物欲しそうな目でパンを見て、チラリと俺に視線を向ける。……なんだよ。
「欲しいんなら自分で買え」
「ただの興味ですわ。一口だけでいいんですの。ダメかしら?」
何で俺の飯をお前にやらなきゃいけないんだよ。自分で買え馬鹿。
と、普段の俺なら言うだろう。しかし俺としてもこのパンをさっさと消費したい。なので、ほんの少しだけ口をつけてない部分を千切って分けてやる。
「ありがとうございますわ。わぁ、切り口からして真っ赤ですわね……」
そう言って彼女はパンの切れ端をぽい、と自らの口に放り込む。
みるみるうちに顔が真っ赤になった。
「辛い! 辛いですわ!? 何でこんなに辛いんですの!」
「知るか」
辛いの苦手なら食べようとすんなよ。
「~っ! なにか飲み物、持ってません!?」
「あるけどこれしかないからやらねえよ。自分で買え」
「…………行ってきますわ!」
少しの間なにかを迷い、目にも留まらぬ早さで彼女は購買へ逆戻りする。辛いってことは分かってんだから最初から買ってくればいいのに。
彼女の背中を目で追って角を曲がり見えなくなったあと、正気に戻る。そうだ、俺には仕事があるんだった。ボーっとしている場合じゃない。
パンの残りをむさぼって、俺は図書館に向かって歩き始めた。……熱い。




