36話 ピンチです
ケイレヴの特殊魔具が床石を削り、笑えない状況にゼルスの口元が引きつる。
(本気で殺すつもりの攻撃だな。このカタシロというものが無かった危なかったかもしれない)
肩口に巻き付いている白い紙切れが、僅かにだが躱しきれなかったダメージを肩代わりしてくれている気がする。
防ぐだけでは駄目だと分かるがケイレヴの蔦のような特殊魔具は、鞭のようにしなったかと思えば、槍を突き出したかのように直線に飛んでくることもあり躱すので精一杯だ。どこから飛んでくるかも分からない攻撃を視界におさめる為距離を取るが、そうすればゼルスの剣は届かなくなってしまう。
「大神官!」
何度目かの呼びかけを口にするが、やはり対話は難しいようだ。フェイルの薔薇のように赤色の目をした男は、この場に現れてから一言も発していないし、様子も平常とは異なり得体の知れない不気味さがあった。
(なにか精神操作のような魔法を施されているのか……? だが、だとすればいったい誰に?)
この男と昨日、神殿で騎士たちに首を落とさせたムエルマという女。そしてそんな二人に協力をしていたダニエル・カレツァ。それぞれに使っていた手駒はいたかも知れないが、他にも協力者がいたのだろうか。そしてその人物にケイレヴは操られているのか。はたまた、ケイレヴが自分自身に何かしらの魔法をかけていたのか。
だが、この際どちらであろうが関係ない。目の前の男を倒さねば、此方がやられてしまう。
ゼルスは深く息を吐き出し呼吸を整える。魔力を全身に行き渡らせるように。次第にゼルスの五感は研ぎ澄まされ、筋肉も大きく膨張し始めた。
(過度な身体強化は負荷が強すぎるが――――)
通常の域を越え、鼻血が伝う。ゼルスはそれを乱暴に拭い、視線は外さぬままだったケイレヴへと向かい走り出す。
長くは保たない。身体強化の魔法が解ければ、その時点でゼルスの身体は使い物にならなくなるだろうことも覚悟の上で。
「大神官! ケイレヴ・シオン!!」
ゼルスは大きく吠えた。
ササハに向かい、ヘドロの化物は黒い泥の塊を飛ばしてきた。ササハが避け地面に落ちた泥は、泥がかぶった部分の石畳を一部抉ると、また身体に戻ろうと地面を這い移動する。
「やだ! もしかしてわたしを食べようとしてる?!?!」
フェイルの石と同様、取り込み吸収しようとしているのだろうか。抉り取られた地面を見るに、迂闊に泥を浴びてしまうだけで大惨事になりそうだ。
「絶対にあの泥は浴びない!!!!」
いつ飛んでくるかも分からない攻撃とその威力に、ササハの顔色はすこぶる悪くなる。再び足元に飛ばされてきたヘドロを躱し、とうとう自身もターゲットになったことを自覚した。
(アイツの体内に埋もれている呪文の媒体を壊せば、倒せると思うんだけど)
だがその媒体は体内で移動させられるようで、どこを攻撃すればいいか分からない。普段の状態であれば魔力量で「全部まとめて押し流す!」みたいなことが出来たかも知れないが、今のササハにそれほどの魔力は残っていなかった。
だから的確に媒体の箇所を見極め、かき集めた魔力だけで撃ち抜かなければいけないのだが。
(集中……集中すれば呪文がある場所が分かるかも知れない!)
おそらく呪文を形成する際に使われているのは第六魔力。それならササハにも追えるかも知れない。
(そうだ。昔は視えすぎていたのを、お母さんが助けてくれてたって)
ツァナイと話した事を思い出す。視えないように抑えることが出来るなら、一時的にでもより視えるようにすることは出来ないのだろうか?
ササハは目を大きく開くと、集中して己の魔力を手繰り寄せる。それは自身の内なる魔力だけでなく、周囲の、相手の、離れた距離にいる黒い化物へも向かい手繰り寄せようとする。
(あ――――視えた)
黒い、ヘドロの化物。そのデカい図体の右下辺りに、赤い光を見つけた。それは泥をかき分けるように緩やかに移動している。
ササハはまるで夢の中にいるような心地で特殊魔具を構える。そして何の予告もなく自身の魔力を撃ち込んだ。その一撃は的を外したが、ササハに動揺は見られない。だた夢現の狭間で、あれを撃たなければとそれだけが頭に浮かんでいた。
化物も自身の泥を放り投げ反撃してくるが、それもササハは簡単に防ぐ。先ほど化物が閉じ込められた魔法障壁を再現するかの如く、前方に透明の膜を張ったのだ――――無意識に。
「げほっ!」
二撃目を放とうとしたササハが、急に血を吐き倒れ込んだ。
(駄目、体が保たない……)
無茶な魔力の使い方をした反動。これ以上は危険だと身体が訴える。手足が震え、倒れそうになるのを気持ちだけで踏ん張る。相手の動きは機敏なものではないが、今の状況で意識を失うなど自殺行為だ。
どうにかせねばと思うが、まともな思考能力など残っておらず無駄に視線だけが彷徨う。馬鹿の一つ覚えに特殊魔具を構えようとするが、すでに具現化させるだけの力も残っておらず石へと戻っていた。
ゼルスのほうもササハに気をやれる状況ではなく、こちらの様子に気づいてさえいないだろう。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう!)
近づいてくる化物に、逃げなければと思うも震える足は自由に動いてくれない。
特殊魔具もカタシロも、新たに込める魔力なんて残っておらず、自身の魔力量も把握出来ていなかった愚かさを呪う。
(動け、走って、とにかくこの場を離れないと)
動け動けと念じる。
(お願い、どうか)
最後は祈りに近い願いを込めるが、化物が泥を飛ばす動作に入ったのが見えた。その動作がゆっくりと体感したことのない速度に感じたのは、ササハの気が高ぶっていたせいか。
一切の音さえ遮断したような緊張感に、ササハは耐えられず固く目をつぶり身を縮こまらせた。
――――と、その瞬間ササハのポケットの内から強い光が発せられた。
「え? なに?」
白く、目が焼かれそうなほど強い光。なのに実際に焼かれるなんてことはなく、むしろ暖かく心地よい気にさせなるようなそんな光だった。
化物もその光に怯んだのか、攻撃の手を止め苦しそうに後退していく。
「あ――――」
何が起こったのかは分からないが、光を発したのは一つの石。ノアから預かっていた、彼の兄の魂が閉じ込められているフェイルの赤い石。その石が光を放ち、まるで何かを求めるように強く、何処かへと呼び掛けているような気がした。
「っ……!」
ササハが息をのみ、涙がこみ上げてくるのを耐える。
光が欲した先。目が眩むような白も徐々に収まり、その向こうに人影が浮かび上がった。ゆらゆらと揺れる影は頼りなく、次第に鮮明になっていく。
「ノア!」
鮮明になった影はここにいるはずのない人物のもので、しかし別の問題が気になりササハはそれどころではなかった。
なぜなら光の中から現れたノアの身体は宙に浮かんでおり、薄っすらと向こうの景色が覗けるほどには薄かったのだ。
――あれ? ササハ!
「なんで!? ノアが幽霊になっちゃってる!?!?!?」
半泣きどころかギャン泣きでノアへと駆け寄る。それまで動かなかった足は簡単にその場を離れ、伸ばした手は何も捕まえることは出来ずに空をかく。
「ノアノアノア!」
――あ、あれ? おれ今どうなってんだ?
悲痛な声とササハにしか聞こえていない不思議そうな声。噛み合わない二つの声が困惑しながら重なった。




