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(二)





 童子くんの残薬確認が始まって早くも一週間が経った。順調に包みを貼っていってくれているようだが、最近彼の様子がおかしいことに気付いた。

 受付の隣には調剤室があり、カウンター内の壁にある穴を通して調剤書と薬のやり取りを行っている。薬剤師は女性の妖怪だとは聞いているが、私は今の今まで彼女の姿を見たことがない。

 そんな調剤室の前を、彼は行ったり来たりしているのだ。


 「何してるんでしょうか?」

 「さあ。わたしは爺のやることなんざ、興味がないね」


 受付から彼の動向をずっと見ていた私は、小声でタマさんに話しかけた。今日雪葉さんは娘のせつなさんのアトリエに行っているようだ。何でも新しい絵を制作しているらしい。

 タマさんは籠の中で身じろぎしながら、同じく小声で素っ気なく返してくる。本当に童子くんには興味がないようだ。

 どうやら妖怪は、同級生同士の繋がりは希薄な傾向であるらしい。卒業してからも繋がりを大切にしている人間とは大違いだ。


 「そうですか」


 苦笑いで返しながら、タマさんの頭を優しく撫でる。猫は気持ち良さそうに目を細めた。二又に分かれた尻尾も揺れている。前から思っていたが、他の妖怪には親しげなのに童子くんにだけは素っ気ないのはどうしてなのだろう。

 撫でる手を休めることなく、私は彼の方を振り返った。変わらず彼は調剤室の前を往復して、時々立ち止まってノブに手を伸ばしては躊躇っている。

 ノブを掴んだのなら回せばいいのに。掴んだ姿勢のまま固まっている彼を見て、だんだん焦れったくなってくる。思わず代わりに回したくなる衝動を抑えて見守っているとーー。


 「童子さん、診察室へどうぞ」

 「ぴゃっ!」


 タイミング悪く八坂がやってきて声をかけたのだ。全神経が恐らく想像しているドアの向こうへと注がれていたであろう。呼びかけに彼は驚いて飛び上がってしまった。

 あーあ、空気を読んでほしかったな。八坂には悪いが、私は本気でそう思った。彼が何の為に調剤室へ立ち入ろうとしたのかはさておき、ドアを開けようとしていたのだから、そこは黙って見守っていてほしかったのに。


 「どうしましたか?」


 耳まで赤くして戦慄いている彼に声をかける八坂は、自分がとんでもないことをしたという自覚はないのだろう。


 「どっ……ど……」


 まずい。私は引き出しから耳当てを取り出してタマさんにつけ、両手で自分の耳を塞いだ。来るべく騒音対策のために。


 「どうしましたか? じゃないだろう!? 空気読めよ!」


 診療所内に超ド級の怒声が反響した。私とタマさんには何の被害はなかったが、耳を塞いでいなかった八坂は高レベルの騒音を真面に食らったのだった。



 「ありがとうございました」

 「お大事に」

 「あー、まだ耳鳴りがするよ……」

 その日最後の患者の診察室を終えた八坂は、音の聞こえ具合を確かめていた。童子くんの怒声というか叫喚はかなりダメージがあったらしく、食らった直後に彼は目を回してしまったのだ。


 「それにしても、なんであんなに怒ってたのかな。紫苑ちゃん、何か知ってる?」

 「さあ? 私は知りません」


 消毒し終えた器具の片付けをしながら、わざと嘘をつく。童子くんはあの後大きな足音を立てながら怒って帰ってしまった。今ここで怒っていた理由を言ったところで彼には分かるまい。


 「うーん……」


 診察台をアルコールのウエットティッシュで拭いていると、彼は検査結果の用紙を見ながら唸っていた。


 「何を唸っているんですか?」


 気になり近づいて用紙を覗き込むと、それは先日行った血液検査の結果だった。ずらりと色々な検査値が出ているのを一通り目を通す。


 「童子くんの血液検査の結果ですね。どこか気になる点でもあるんですか」

 「気になると言われれば、気になるね。特にここが」


 彼はある検査値を指差した。私はそこを覗き込み、瞳が捉えた数値に眉を顰める。


 「LDHですね」


 LDHーー乳酸脱水素酵素。肝臓や腎臓、心筋、骨格筋や赤血球などに多く含まれている酵素だ。癌や心筋梗塞などの影響で臓器に異常が起こって細胞が壊死した時、血液中に漏れ出る。

 そのLDHが高値ということはだ。


 「どこかの臓器に異常がある可能性が高いということですかね」

 「僕もそう思ったんだけど、全体的に見たところ特に異常値はないんだよ……これ以外はね」


 やけに含みのある言い方に、背筋から全身が凍りつくような感覚を覚える。考えたくはないが、まさか再発……?

 呟いた私の言葉に、八坂は真剣な表情で可能性はあるかもしれないと言った。


 「あるいは心臓でない別の血管が詰まったか、だね。詳しく検査する必要があるよ」


 とりあえず彼には八坂から伝えてもらうことになった。


  ❆


 「嫌だね!」

 「そんなこと言わないでくださいよ、童子さん」

 「要はさ、再発しているかもしれないから検査のために入院してくれって言うんだろ? 嫌なもんは嫌だ」

 「どうしてもダメですか?」


 優しげな物言いで説得したって無理だろうに。

 後日、検査入院を頑なに嫌がる童子くんを見て八坂は項垂れた。私は彼の側で二人のやりとりを見ていたのだが、何故だろう。激しく誰かを連想させる。

 お願いですからと説得を試みる八坂に対して、嫌だと言い張る童子くんは親子喧嘩のようにも見えるし、まるで前の私と小豆さんみたいだ。

 きっと検査が怖いから嫌なんだろう。なんせ中身はあれでも見た目は子供なのだ。嫌がるのは仕方ない。

 治療を拒否していた小豆さんに比べて、まだ童子くんは可愛げがあるなと思って見ていると

 「薬を飲んでいるんだから、検査なんて必要ないだろう」


 目を剥く爆弾発言が飛び出てきた。それまで微笑ましく見守っていた私は、無意識に口角を引き攣らせる。前言撤回。可愛げなんてあったもんじゃない。


 「童子くん、いくら薬があるからと言っても完全ではないんですよ。あくまで薬は一種の“治療”として処方されているんです。決して再発させないといったことではーー」

 「それくらい分かっているさ。俺から一つだけ言わせてもらうからな。入院を嫌がる患者に強要するのはおかしいんじゃないのか!」


 放たれた言葉に思わず私も八坂も言葉を詰まらせる。何も言い返せない私達を余所に、童子くんは診療所を出て行ってしまった。

 “入院を強要するのはおかしい!” 彼の言葉は案外心に深く刺さった。強要、しているのだろうか。思い起こしてみれば、なるほど近いことはしているのかもしれない。

 けれど私達は医療従事者だ。医師は患者の身体に起こった異変は早期に発見して治療し、看護師は社会復帰もしくは自立できるように、患者一人一人に合ったプランを立てて看護をするのが仕事だ。

 そのためなら例え嫌われようが罵倒されようが、救命と生命維持を優先させる。


 「今のは、なかなか心が痛いよね」

 「はい……久々にきました」


 お互いに顔を見合わせた。医療に携わっているとありもしない非難や罵倒を浴びせられることはある。

 患者に暴言を吐かれたり、油断していて噛みつかれたり物を投げられたり爪を立てられたりなどしながらも、それでも決して背を向けないのはプロであるが故のプライドと、患者のことを心から思っているからだ。


 「童子くん、きっとこれで私達が諦めるとでも思っているのでしょうか?」

 「さあ、どうだろうね。でも、僕達を見くびってもらっちゃあ困るよねえ」


 普通の医療従事者なら、まずここで退くかもしれない。だが、私達はとても一筋縄ではいかない患者達を日頃から相手にしているのだから。ちょっとやそっとのことでは諦めない。

 正に強情な医師と看護師であると言われても、否定はできないだろうな。


 「まあ、小豆さんの時に後悔したからあまりしたくはないけど。そうも言っていられないか。時間をかけて、確実に説得していくしかないかなあ」

 「仕方ないですよ。納得してもらえないんですから」


 記載し終わったカルテを受け取れば、八坂は説得する患者が多いことを嘆いていた。九月は小豆さん、十月は雪葉さんとせつなさんといった具合に見事なまでの説得続き。

 こうも説得が多いと、すんなり分かってくれたらいいのにと願わずにはいられなくなる。もちろん誰も好きで病気になるわけではないし、好んで入院するわけでもない。

 完全に予防できて、尚且つ特効薬があったとしたら病院や診療所といった医療機関はとっくの昔にお払い箱だろう。


 「はぁ、皆子供じゃないんだからもう少し聞き分けが良くてもいいんじゃないかな」

 「あははっ……とりあえず、休憩しませんか?」


 診察室を出て行く間際、私は机に顔を突っ伏している彼に声を掛けた。背後から先に行っててーと返ってきたので、お言葉に甘えて休憩室に行かせてもらうことにする。

 じゃあ先に行ってますねとドアを閉める瞬間、振り返れば彼は突っ伏したまま無言で手をひらひらと振っていた。自然に気力が戻るまでそっとしておいておこう。


 「本当に大丈夫かな。ん、何か落ちている……手帳?」


 通路に落ちていた手帳を拾ってみる。誰かの落とし物だろうか。見た所まだ新品みたいだ。何気なく表紙を見てみると、残薬確認と書かれていた。

 今現在通院している患者の中で、これを持っているのはただ一人ーー童子くんだけ。気付かずに落として行ってしまったのだろう。

 悪いと思いつつ、手帳の中身を確認させてもらうことにした。処方された薬の包みがきちんと日付順に貼られてある。前に見た時も思ったが、意外に几帳面なのかもしれない。

 まじまじと包みを見ていると、不意に違和感を覚えた。処方した薬の包みって、こんな色と形だっただろうか。まさか違う薬の包みを……? 

 いやいやそんなことない。よからぬことを考えそうになってかぶりを振る。内服だけは欠かしたことのない彼に限って、こんな小細工をするわけがーー。


 「ここは、薬剤師さんに聞くしかないかな」


 あれこれ悶々と悩むよりはっきり分かった方が後腐れがなくていいと考えた私は、早速調剤室へ向かうことにした。



 「あの、薬剤師さん。いますか?」


 受付隣のドアをノックしながら、在室しているかどうかを確認する。数回ノックを試みるも返答はなし。もしかしたら休憩に行っていていないのかもしれない。

 外に出ているのならここで待っていれば戻ってくるだろうが、そうすると自分の休憩時間が無くなってしまう。日を改めるべきかどうしようかと考えていると、目の前のドアが何の予兆もなく勝手に開いた。


 「え、開いてる!」


 突然の出来事に驚く。過去に何回か会おうとして試した、決して開かなかったドアが開いたのだ。まるで用があるなら入ってこいと言わんばかりに。


 「お、お邪魔します……」


 早る鼓動を必死に鎮めながら、私は一歩部屋の中へ足を踏み入れた。直後、派手な音を立てずにドアはゆっくりとひとりでに閉まる。

 明るい通路からの明かりがなくなり、光すら通さない暗さに冷や汗が止まらない。夜しかも夜中ということもあり、こういったいかにも不気味そうな室内に尋ね人はおらずたった一人というのは、かなり怖い。


 「薬剤師さん?」


 暗闇で視界が潰されているため、呼びかけながら彼女の姿を探す。何の反応がないということは留守か。日を改めて来た方がよさそうだ。

 それに昼間でもない室内を探すには限界がある。引き返そうと後ろを向いた瞬間、視界一杯に顎下からライトアップされた女性の顔と手にした包丁が映った。


 「ひっ……!」


 最早驚きすぎて引き攣った悲鳴しか出ない。足が縺れ転げそうになりながら後退するにつれて、女性も間合いを詰めてくる。手にしている包丁の切っ先は、紛れもなく私に向いていた。

 全身から血の気が引く。ヤバい、この人絶対にヤバい! イっちゃってるタイプだ!


 「ーーっ!」


 叫ぼうにも声は喉に張り付いて出ない。顔面蒼白になっているこちらを見て、女性は大きく腕を振りかぶりそして。


 「いやああああー!」


 来るべき衝撃に腕を交差させて顔を庇う。が、いつまで経っても痛みも衝撃も襲ってこない。


 「あ、あれ……?」


 恐る恐る腕を退けて見ると、女性は小刻みに震えていた。腕を振りかぶった体勢のままで。呆然としている私を置いて、女性は耐えきれなくなったのか噴き出したのだった。



 「ぷぷっ……本当、ごめんなさいね。久々の人間の女の子だったから、つい悪ふざけを。あたしは恵っていうの、よろしくね東雲ちゃん」


 明かりの点いた調剤室内を見渡す。目の前に座る女性の奥に見える壁沿いに置かれた引き出しの多いタンスは、表記名は見えないものの調剤する薬草が入れられているのだろう。

 向かって左側には調剤に使うであろう道具、書籍が均等に机の上に置かれ、右側には本棚が鎮座している。

 中央に置かれたテーブルを挟んで対面し笑いを堪えている女性、恵さんこそ四ツ辻診療所の薬剤師だ。

 艶のある綺麗な黒と白のメッシュのストレートと目鼻の整った顔立ち、耳には小さなサファイアのピアスを着け、黒のトップスにベージュのパンツと白衣を纏っている。

 見た目はどこのビジュアル系バンドかと思うが、彼女も歴とした妖怪であり馬頭と並ぶ地獄の門番の片割れ、牛頭である。


 「それで、あたしに何の用かしら」


 笑いから落ち着いた恵さんは、カップに手を伸ばしながら聞いてきた。テーブルの上に拾った童子くんの手帳を開いて見せる。


 「これは?」

 「童子くんの残薬確認手帳です。通路で落ちていたのを拾ったんです。恵さんなら、これに貼ってある包みの薬が何なのか分かるかと思いまして」


 恵さんは真剣な目付きで手帳に貼られた包みを見ている。その目は正しくプロの薬剤師。


 「この人の主病と既往歴は?」

 「心筋梗塞で、ステント治療を受けています。特に目立った既往歴はないですね。現在薬は本人の希望でバイアスピリンのみです」


 なるほどね、と頷きながら彼女は再び視線を手帳へ移した。じっとアルミの包みを見つめ、思案顔でお茶を啜っている。沈黙が焦れったく感じるのは、割と私がせっかちだからかもしれない。

 つい逆立ってしまう神経を宥めようと、お茶を口に含んだ。鼻腔を優しい花の香りが突き抜けていく。普通のお茶ではない香りだ。


 「あら、ハーブティーを飲むのは初めて? お口に合うかしら」

 「はい。美味しいです」


 にっこり微笑んでみせると、彼女も微笑み返してくれた。見た目があれなので性格がキツそうなイメージがあったが、浮かべた微笑みからは親しみやすさを感じる。


 「どうでしょうか、その包みはバイアスピリンのですか?」

 「率直に言うと、これはあたしが処方した薬の包みではないわね」


 どうかそうだと言ってほしいと祈る私に対して、彼女は無情にもはっきりと違うと言いきったのだった。



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