結婚する?しない?
父と兄の策謀を知らず、エレナと過ごし始めてノイラの空腹が満たされ始めてから四ヶ月。
屋敷の北の森もすっかり秋らしくなり、かといってまだ暖炉に火を入れるほどではない寒さに二人は身を寄せ合って眠るようになった頃。
椅子に座りディジィに手紙を代筆して貰っているエレナを見て、ノイラが聞きました。
「ねえエレナ。エレナは家族に会いたい?」
この質問に、エレナは少し考えてから答えました。
「私はもうそんな小さな子供でも無いのですごく、というわけではないですけれど半年近くも離れていると会いたい気持ちも沸いてきますね」
「会いたいんだ」
ことんと小首をかしげてエレナの顔を覗き込むノイラの感情は読めません。
「まぁ会いたくても私は領主様にこの屋敷から出ないように命じられているので出られませんけどね」
そう答えてから再び代筆を進めてもらおうと口を開きかけた所で、ノイラが叫びます。
「私、エレナが家に戻れるようにお父様に言ってみる」
これにエレナは驚きました。
夏の討伐の前はひたすら離れたくないと言っていたのに、ノイラが自分からエレナの事を引き離すような事を言ったのですから。
「私考えたんだ。エレナはよく今みたいにディジィに手紙を書いてもらうね」
ノイラの言葉にエレナは頷きます。
「それってエレナが家族の事好きってことなのかなって思った」
「好きですよ」
「でしょう!?それで思った、私は毎日好きなエレナと一緒だから良い。でも、好きな家族と会えないエレナはどうなのかって」
「お嬢様……」
「だからね、お父様にお願いしてみる」
この会話を聞いていたディジィは眉前で切りそろえた茶髪の下の恵比須顔で、人当たりの良い表情のまま言いました。
「領主様に私から伝えてきますわお嬢様。さ、それよりもエレナさんの手紙の続きを書かないと。インクが乾いてしまいます」
「ん。頼んだ」
ディディの返答に頷いたノイラ。
そして手紙の続きを促されたエレナは視線を適当な所に飛ばし、考えながら口を開きました。
「ええと、それじゃあ……『領主様の館だといっても少し寒くなったからと言ってすぐに暖炉に火を入れるわけではなくて……』」
こうしてエレナを実家に帰省させようとするノイラでしたが、領主様はこれを許しませんでした。
良い事を思いついたと喜んでいたノイラは、がっくりと肩を落とします。
「ごめんエレナ。エレナに旅の間に何かあったらいけないから駄目だって……」
「いいんですお嬢様。私はお嬢様のその心遣いだけで嬉しいですから」
気落ちした事を表すように寝台の上に深く沈みこむノイラを見て、お嬢様も最初に出会った頃から随分と感情を出すようになったな、と感慨に耽るエレナ。
そして、気がついてみれば自然とそんなノイラの傍に腰掛け、頭を撫でている自分も自覚して、慣れたのはお嬢様だけじゃなくて私もか、と思うのです。
なぜこんな無表情なお嬢様から、それを感じさせないほどの情動を受けるのかと考えれば、気がつけばそれは普通の人より大げさな身振りであったり、体当たりで行ってくる好意の示し方であったり、その事に気づいて、表に出せないだけでこのお方は情が深い方なのかも、と気づきました。
エレナはそんなお嬢様を、いつしか愛おしいような気分になっていたのです。
だからでしょうか、こんな事を聞いたのは。
「そういえば、お嬢様は婚約者となった方はいらっしゃるんですか?」
お嬢様の兄は隣の領からお嫁をもらう事が決まっていて、一時期領内を沸かせたものです。
だからお嬢様もそういった縁談の一つや二つはあるだろうと思って聞いたエレナでしたが……。
「いない。お父様は私の力が子供に伝わったりしたら不味いから子供は作らせないって言ってた」
「そんな……!なんで!」
ノイラから告げられた言葉に、思わずエレナは声を荒げてしまいます。
でも、その言葉を発した当の本人はさして気にした様子もなく続けます。
「あのね、忌み子だけならよかったんだって。でも魔力喰いが合わさると駄目だって。制御できる忌み子は皆を恐怖に感じさせるけど、いざと言う時に頼りもするんだって。でも魔力食いで飢えてると、周りの魔力のある人間を無差別に食べて怖がらせるかもしれないから、だから私の血は残せないんだって」
そう言いながら、ノイラはもっともっととねだるようにエレナの手に頭頂部をこすり付けます。
しかし、ショックを受けたエレナの手は動きません。
領主様が自分の娘であるお嬢様を生かしながらも危険視しているのは初めてこの館に来た日に解ったつもりでした。
ですが、領主様の娘に向ける危惧はエレナの想像以上だったのです。
「あ、そういえば婚約者といえばエレナは好きな人とかいた?お嫁さんになりたいって思った事とか、ある?」
衝撃を受けているエレナの様子は、気持ち良さそうに頭を彼女の手に委ね目をつぶるノイラには見えていないのでしょう、無邪気にそんな事を聞いてきます。
「わ、私ですか?ちょっと格好いいと思っていた人はいましたけど、結婚となると……」
「本当に?」
「本当です。そもそも結婚なんて親が相手を決めるのが普通ですし」
エレナの言うとおり、結婚の相手は親が決めると言うのは彼女達の国では普通の事です。
一見恋愛結婚に見えても、親が許さなければ結婚に至れないという背景を考えれば、駆け落ち以外で恋愛結婚は常識的に無いのがこの国なのです。
「じゃあ私もエレナも結婚できない同士なんだ」
「そうですね。歳を取ると子供が欲しくなったりするんでしょうか」
「どうなんだろう。お父様はあんまり私の顔を見に来ないし、歳を取った使用人も屋敷には居るんだろうけど、私のところに来る使用人っていつも同じだからそういう話聞けないし」
「……まぁ先のことを考えてもしかたありませんね。私達は神様じゃないんですから。解る事には限界があります」
「そうだね」
そこで会話を切って、身を起こすノイラの胸元で筒状のペンダントが揺れました。
「そういえばそのペンダント、領主様に貰ったんですよね。毎日身につけていますけど気に入ったんですか?」
「これ?これはね、お薬が入ってるんだって」
「お薬、ですか?」
「もしもの時の為のお薬」
「どんなお薬なんです?」
元は薬草を使った薬を作っていた家の子供として好奇心が出たのか、ノイラに聞いたエレナでしたが、ノイラは首を振りながら言いました。
「秘密なの。お父様と私だけがどんな時に使うか知ってるお薬。秘密を誰かに話すと効果が無くなっちゃうんだって」
「……そんな薬あるのかしら」
「魔法の薬だって言ってたよ」
「はぁ。魔法の薬ならそんなこともあるんでしょうか」
疑問に思いながらもノイラが秘密!というのでそれ以上追及できないエレナ。
ただ、ノイラはその薬がよほどいいものであると信じているのか、大事そうにペンダントを握りこみます。
エレナはそれを見て、健康そうなお嬢様がなんでそんなに薬を大切そうにするのか解らず疑問を感じましたが、過ぎ行く日々の中でいつしかそれを忘れていきました。