彼の袖口
私には、好きな人がいる。でも、それを本人に言ったことはない。だって、きっと迷惑をかけるだけだから。だから、ずっと一人でいるしかないの。
でも、本当は……。
***
「ねえ」
私は、その人の袖を引いた。
「ん? 何?」
彼は私を見てくれる。それだけで、胸が高鳴った。
「あの、1時間目って何がいるんだっけ」
「数学だよ。忘れちゃったの?」
彼は困ったように笑う。その笑顔を見ると、私は少しだけ安心できた。
「あ、そうか。ありがとう」
私が笑うと、彼もまた微笑む。それだけで幸せだった。この瞬間が続いてくれればいいと思うほどに。
だけど……ああ、またやってしまった。本当は分かっているのだ。
これは、きっと良くないこと。だから、早く終わらせなければならない。けれど、私一人では終わらせる勇気もなくて……。
私は彼の袖をギュッと握る手に力を込めた。それに気づいた彼は私を見るが、私は何も言わなかった。彼は何かを言いたげに口を動かしていたが、結局何も言わずに前を向いて歩き出す。
「ほら、置いていくよ」
そう言われると私も慌てて歩き出した。そして、私たちはそのまま学校へと向かっていくのだった。
この日は雨だった。私たちは傘を差しながら並んで歩いていた。車道側には車が通るたびに水しぶきが上がる。
「大丈夫? 濡れない?」
彼が心配そうに言う。私は「大丈夫だよ」と答えながら、彼の肩が濡れているのに気づいた。
私はそっと傘を傾ける。すると、彼は驚いた顔をした後、少し照れたように微笑んだ。その笑顔にドキッとすると同時に、胸がチクリとした痛みを覚えた。
ああ……やっぱりダメだな……。
私は心の中で呟くと、傘を持つ手に力を込めた。そしてそのまま歩き続けた。
「ねぇ」
ふいに彼が口を開いた。私は彼に視線を向ける。すると、彼は真剣な眼差しで私を見つめていた。
「どうしたの?」
私は平静を装いながら尋ねる。すると彼は少し躊躇った後に言った。
「あのさ。もし良かったらなんだけど……。俺、喉乾いたからコンビニでも寄ってもいい?」
「え? いいけど。」
私が答えると彼は嬉しそうに笑った。そして、そのままコンビニへと入っていった。
私はその後に続くように店内に入る。彼は飲み物の棚の前で立ち止まっていた。
「何か買うの?」
私が尋ねると、彼は「うん」と答えながら商品を手に取った。それは缶に入ったミルクティーだった。
「それ、好きなの?」
私は思わず尋ねる。すると、彼は照れたように笑った後、小さく頷いた。
「まあね。鎖那さんも好きなの?」
「えっ?」
「それ」
彼が私の手を指さしたので、私はとっさに自分の手を見る。すると彼と同じミルクティーを手に取っていた。
「あ……これは……」
私は慌ててそれを棚に戻した。すると彼は不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も聞かずにレジへと向かっていった。
「はい、どうぞ」
彼がミルクティーを私に差し出す。最初は遠慮したけど、実は彼は事前に水筒を持っていると言ってくれたので私はそれを受け取ると、そのまま鞄の中にしまった。そして、2人揃って店を出た後、私たちは再び学校へと歩き出した。
雨はまだ降り続いていたが、コンビニの中だったため濡れることはなかった。しかし、それでも足元は少しずつ湿っていくのを感じた。
「ねえ、鎖那さん」
「ん?」
彼の顔はなんかすがすがしく見えた。
「やっといえるよ」
「何を?」
私が尋ねると、彼は嬉しそうに言った。
「鎖那さんのことが好きだって」
私は思わず立ち止まりそうになった。しかし、何とか堪えてそのまま歩き続ける。そして、しばらく沈黙が続いた後、私はようやく口を開いた。
「私も好きだよ」
私が答えると、彼は少し驚いた顔をした後嬉しそうに笑った。
「良かった」
「うん……」
私は小さく呟いた。そして、そのまま彼の袖を引っ張った。彼は不思議そうに私を見た後、私の意図を察したのかそっと手を握ろうとしてきた。彼の手は自分の手が冷たいとわかるぐらい暖かかった。




