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51.原罪の軛


「どおおりゃああっ!」


 スカラーツ先生は、黒牙狼(グロルノワ)に向かって跳躍しながら剣を大上段に振りかざし、アウラを流し込んで光の大剣と成した。

 その大きさたるや、優に三十マールは超えようか。剣と呼ぶにはあまりにも常識に外れた、森の木々をも突き抜け天に向かってそびえ立つ、まさに光の塔とでも呼ぶべき代物だった。

 それを、黒曜の牙をきらめかせ敵を一噛みに屠らんと襲いかかって来る魔獣の頭上に、容赦なく振り下ろす。

 その一撃は、黒牙狼(グロルノワ)の身体どころか大地ごと一刀に両断し、森の中に一筋の道を作り出した。

 恐怖に慄く暇すら与えられず巨体を真っ二つにされた魔獣は、黒い血をまき散らしながら、その道の両側に地響きを立てて崩れ落ちた。

 スカラーツ先生は息を乱すこともなく地面に降り立ち、左右を振り返って生徒達の戦いぶりを確認した。

 そして教え子達は期待どおり、見事な連携で二頭の黒牙狼(グロルノワ)を倒して見せたのだった。


「よおし、みんな良くやった」

「ふう」

「まあこんなもんだろ」

「軽い軽い」


 皆がほっと息を吐きながら先生に駆け寄る。

 だがその中で、ラルコは胸を押さえながら地面に膝を突いていた。


「ぐうっ……、はあっ、はあっ……」

「ラルコ、大丈夫か」


 共に戦っていたトードが、声をかける。


「ああ……、だ、大丈夫だよ」

「ラルコ、無理するな。君は少し休んでいろ」


 ダカルも寄り添って肩に手を添えた。


「そんな暇はない。まだ戦いは終わっていないんだ」


 全身から汗を流しよろめきつつも、そう言って立ち上がるラルコを、仲間達は心配そうな顔で見つめる。


「よし、ラルコがそう言うなら、大丈夫だろう。ラルコ、済まないがもう一度状況を探ってみてくれ」

「はい」


 スカラーツ先生の明快な言葉に、僅かに救われるような思いを抱きつつ、ラルコは眼をつぶり息を整えた。


「南に二頭。騎士は二十名ほど。魔道騎士が一人いますが、すごい、二頭を相手に何とか持ちこたえているようです。

 北は三頭です。こちらは騎士は多いですが、魔道騎士一人と魔導士一人で苦戦しています。

 早く助けに行かないと危ない」


「ちょっと待て、魔道騎士と魔導士が三人きりだと? もっと大勢いるはずだぞ!」

「残っているのはそれだけです。他はもう、やられました」


 ラルコに詰め寄った騎士の一人が、その言葉に絶句する。


「時間が惜しい。ラルコ、ダカル、ティグラは南へ向かえ。他の者は俺について来い。

 行くぞ!」

「「「はい!」」」

「待て! お前達はいったい!」


 制止しようとする騎士の手を振り切り、先生とラルコ達は二手に分かれて森を疾走した。


「ラルコ、本当に大丈夫なのか?」


 ダカルが並んで走りながら声をかけてくる。


「ああ。余計なことを考えている余裕はない、大丈夫じゃなくても大丈夫にするさ」

「そうだな」


 ラルコは大きく息を吸い、体の中に残る負のアウラを意識の底に押し込めた。

 胸の痛みはまだ消えてはいない。だがいつまでもこんなことに脚を取られている訳にはいかないのだ。

 戦いの後にラルコを苦しめる、全身を貫く痛み。そして彼が魔獣を相手に戦っても決して致命傷を与えようとしなかった、その理由。

 それは仲間達もよく理解している、彼の大きな弱点によるものだった。

 ラルコは、生き物の命を奪うことができないのだ。



―― * ―― * ――



 それに気付いたのは、十二歳組に昇級して間もなく。初めて狩りの訓練を行った時のことだった。


 暁の館は、聖王宮の施設だ。それはとりもなおさず聖王教会に所属しているということであり、当然のことながら館で暮らす子供達には、教会の教義に準じた教育が施されている。

 教会の教えでは、狩りや戦いを禁じてはいない。それは自らが生き延びるために必要なことだからだ。

 だが同時に、命の尊さとむやみに他者を傷つけることの罪も教えている。このため暁の館では、武器を用いた狩りの訓練は、物の分別がつく十二歳組からということになっていた。

 狩りを、殺戮を、決して快楽とはき違えることのないよう、確実に心に刻むためだ。


 その初めての狩りで、ラルコが仕留めたのは野兎(リウブル)だった。

 ラルコに備わる意識を読み取る能力は、人間だけでなく動物や鳥にも及ぶ。とはいえ、獣の思考は人間ほどの明確さや複雑さはなく、概ね感情の発露が主だ。強いて言えば人間の赤子に近いが、その反面、人間を凌駕する狡猾さや情愛も持ち合わせている。いずれにせよ、その異質な思考を理解するのは難しい。

 その代わり、気配を読み取るだけなら容易だ。

 相手が森のどこに潜み、身を隠そうとしても、ラルコの眼を欺くことは不可能だった。


 暁の館の教育方針は、実践が基本。この日の訓練も、初日であるにもかかわらず、弓矢と短剣だけを持たされて好きに狩ってこいと送り出されただけだ。

 仲間達は、それぞれに獲物を求めて森へと散って行った。


 ラルコは、森の中をひとり歩きながら、意識を広げて周囲の気配を探った。

 森には、視界には入らなくても驚くほど多くの生き物たちが暮らしている。ふと見上げれば、枝葉の影に金栗鼠(アルジョキュレユ)が、そして何気なく通り過ぎた藪の中には灰色狐(グリルナール)が。人間に気付かれぬようひっそりと、そして人の眼に触れぬ場所では大らかに、それぞれの生を営んでいる。

 だがいかに息をひそめようと、ラルコの眼を逃れることはできない。

 野兎(リウブル)に狙いを定めた理由は、実に単純。その肉が柔らかくて美味だからだ。

 訓練とはいえ、狩りの目的はあくまで食料の調達だ。同じ狙うなら好みに合う獲物が良いに決まっている。

 森を出て草原に向かったラルコは、辺りの気配を探り標的を求めた。

 野兎(リウブル)は昼行性だが警戒心が強く、常に巣穴の近くにいる。というよりも、地面の下を縦横に走る彼らの巣は、縄張りとほぼ同じ範囲に張り巡らされていて、あちこちに出入り口が開かれている。

 つまり彼らは、自分の縄張りの中にいる限り、いつでも巣穴に飛び込める状況にあるのだ。


 ラルコは草原の中に立つと、弓矢をかまえた。

 その体勢のまま気をしずめ、周囲の景色と一体となる。自らを一本の立木と化して。

 しばらくそうしていると、近くの地面にあいた穴から一匹の野兎(リウブル)が顔をのぞかせた。

 だがラルコは動かない。すると別の穴から一匹。さらにもう一匹。

 多くは望まない、一匹でいい。ラルコは眼をつぶったままゆっくりと弓を引き絞り、流れてくる意識を的に、狙いを定めた。


 野兎(リウブル)が横を向いた瞬間、矢を放った。

 狙い違わず、矢は一直線に飛んで獲物の首筋を貫く。その小さな体は、矢の勢いで蹴飛ばされたように宙に舞い、草の上に転がった。

 その瞬間、ラルコの中に死にゆく魂の断末魔が奔流となってなだれ込んできた。


「うっ……!」


 それは、クロウレが死に臨んで放った絶叫と同じものだった。

 全身を貫く痛みと、突然の悲劇に対する混乱と絶望、そして逃れ得ぬ死の恐怖。その全てが、それをもたらした者に送り還されてきたのだ。


 人も獣も、命の在り様に変わりはなかった。生きとし生ける者すべてが等しく命を持ち、生を全うする権利を有していた。

 だがそれを奪う者にもまた、生きる権利がある。それを行使するためには、ときに他者を害することは必然なのだ。

 それを罪と呼ぶのは傲慢か、あるいはそれこそが生きとし生けるものが等しく背負う原罪に他ならないと、声高く叫ぶべきだろうか。

 いずれが正しいにせよ、間違っているにせよ、ラルコは他者の生を奪い取ったことへの罰を、一言の抗弁すら許されずその身に叩き付けられていた。

 彼は死に等しい苦悶の中で意識を失い、その後、草原の中に倒れ伏しているところを仲間に助け出された。


 その後もラルコは繰り返し狩りに参加したが、その度に死の苦痛を味わうことになった。

 しかもその苦しみは、自らの手によらなくても、他者が行った狩りの結果であっても変わりはなかった。死にゆく者が近くにいる限り、その苦悶の叫びは彼の精神に容赦なく押し寄せてきたのだ。


 それでもラルコは、あきらめようとはしなかった。苦痛は意志の力で抑え込むことができる、そう考えたからだ。

 その努力は、ある程度までは成功した。

 成長するにしたがって彼の能力はより強力なものとなり、感知できる範囲も増大したが、同時にそれを制御する技も身に付けた。周囲から流れ込んでくる他者の意識を、遮断することが出来るようになったのだ。

 だがそれにも限界がある。単なる苦痛だけであれば、それがどれほどの痛みであっても、そうと感知するだけで苦痛そのものを共有することは逃れることができた。

 だが死にゆく魂が放つ断末魔は、その苛烈さにおいて別格だった。ラルコがいかに強固な壁を作りあげようとも、死の叫びはそれを易々と打ち破り、その剣先で彼の精神を容赦なく貫いたのだ。


 仲間達はこれを、クロウレを傷付けた体験が心の傷となって魂に深く刻まれてしまったせいだと考え、ラルコに同情した。

 それ以外の能力が著しい成長を見せ、他を圧倒する力を発揮しつつある状況下にあって、戦士として致命的とも言えるこの重大な弱点は、彼らにとって小さな瑕疵にすぎず、むしろ命に対する慈しみと崇高な(アウラ)の発露に他ならないと、仲間達は更なる好意と信頼を彼に与えた。


 だが真相はそうではない。彼自身の、他者の心を盗み取るという能力が原因なのだ。

 ラルコは、それを告げることができない自分に苦悩した。

 彼らを欺いている。皆が好意を示してくれればくれるほど、それを裏切り続けているという罪悪感を捨て去ることができなかった。

 この能力は、単に他者を傷付けるだけではない。相手の痛みはそのまま自分に跳ね返り、更に誰にも開くことのできない絶対的な心の壁を作り出してしまった。

 これは呪いなのか、それとも何かの罰なのか。

 ラルコはこの孤独からは一生涯逃れ得ないことに、深い悲しみを憶えた。


 その彼に残された、たった一つの救い。

 彼に生きる目的を与え、彼を誰よりも理解し、そしてこの力に秘められた罠をいち早く察し危機を避ける術をさずけてくれた、泉の小妖精。

 ラルコは、胸の奥で金色のきらめきを放ち続ける小さな星粒を、そっと握りしめる。


「ラキィ……」


 彼女に会いたい。

 その想いは、彼の中で日増し強くなっていくのだった。




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