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咄嗟に避けるも爆風に煽られた彼は、近くの岩に頭を強く打ち付けそれで意識不明に陥ったそうだ。
その場で応急処置を施され、すぐに病院に運ばれたおかげで意識を取り戻すも、彼は大きく取り乱した。
ここはどこだ、何だこの身体はとパニックに陥り、彼が仲良くしていた同僚の顔を見せても「知るかそんな奴!」と更に暴れた。
鎮静剤を打って眠り、再び目覚めた彼は今度は泣きながら怯え始めたという。
医師がゆっくり話を聞いていくと、彼はちゃんと自分の名前を言った。完全な記憶喪失ではないと悟った医師は、今度は彼の年齢を問うた。
すると彼は小さく答えた。13歳である、と。
「驚かせてしまいましたね。こちらの配慮が足りませんでした。大変申し訳ない」
「い、いえ…その、夫は今」
「また鎮静剤を打ちました。今は眠っておられます」
小さな診察室に案内されて、彼の担当してくれている医師の話を聞く。
「奥様の目から見てもどうでしたか。
ゼスト卿は、嘘をついていると思いますか」
「…彼が、自分が13歳であると言った事についてですか?」
「はい」
思わず俯く。
彼があんな乱暴な言葉を使って取り乱した姿は初めて見た。何よりあの鋭い眼光は、本当に私を他人と見做し、警戒していた瞳だった。
「私は彼の13歳の頃を知りません。ただ…あんな姿の彼は初めて見ました。本当はいつも穏やかで優しい人なんです。
何より私を見つめるあの瞳は、完全に他人に向けるものでした」
「…やはりそうですか」
「先生…この様な事ってあるのですか?」
私が問うと、医師は目を閉じてしばらく黙った。
やはりイレギュラーな事なのかと察する。
「正直、初めてです。
記憶障害と言っても大体怪我を負う前後の記憶が無くなる事が殆どです。それと病気で記憶を失っていく事もありますが、こんなに急速ではなく緩やかに進行していくものです。
しかもゼスト卿は具体的に13歳と答え、本当に今の状況に困惑している。私もあれが演技だとは思えないのです」
私はますます不安になる。これからどうしていけばいいのか。
「とにかく、今は外部性ショックによる記憶障害としか言えません…申し訳ありません。
当院だと少し遠いので、あなた方の屋敷の近くの病院に紹介状を書きます。火傷も負っておられるし、頭の怪我ですからまだ安静にした方がいい。そこでしばらく療養しましょう」
「…はい」
とにかく今は医師の指示に従うしかない。
心ここに在らずの状態だったのだろう、医師は優しく私の肩を叩いた。
この病院近くの宿をとっていた私は、そこに向かう前にもう一度彼の病室を覗いた。
言われた通り彼は眠っていて、その寝顔が何故か幼く見えて心臓がどきりとした。
本当に、彼は13歳に戻ったのかもしれない。
翌日も会いに行ったが、今朝も不穏だったらしくやめた方がいいと医師に言われ大人しく従う。
転院もこちらでします、と随分と手厚く彼の事をサポートしてくれるので、思わず何故なのかと聞いてしまった。
「騎士団の方々がすぐに来て下さったおかげで、冷戦状態ではありますが多数の犠牲者が出る前に収まったのです。
なかでもゼスト卿は大変尽力なさったと聞きます。
私は改めて、ゼスト卿に礼が言いたいのです。
どうか記憶が取り戻せます様に、祈っております」
彼はまた人を救ったのだ。
私も、一日でも早く彼にその事を知って欲しいと願うのだった。
転院日が決まった。
けれど馬車の手配も何もかもしてくれるので、私は言われたものをその転院先の病院に届けるだけだ。
そしてその日、彼の荷物を持ってその病院へ向かい、担当して下さる新しい医師と話をした。
彼の様子を聞くと、終始何も発さず、誰とも目を合わせようともせず、唯一喋った言葉は誰にも会いたくないとの事だった。
とにかく今は病状は安定しているし、ゆっくり長い目で見ていきましょうと言われた。
私は無言で頷く事しか出来なかった。
騎士団側は彼の記憶の事については公にはせず、上層部と対面した同僚の騎士だけで共有し、爆発に巻き込まれた怪我という理由だけでしばらく休職扱いとなった。
あっという間に一週間が過ぎる。私は未だにどうすればいいのか分からない。
とりあえず病院に行って、医師から彼の様子を聞いているだけ。
一応手土産を持っていってみているが、私は彼の好物も、嫌いな物も、何も知らない事に気付かされた。
彼が自分を見せてくれなかったとはいえ、ずっと目を背けてきた皺寄せがこんな所に現れる。
この様な関係性だから、彼はずっと私を拒否しているのかもしれない。
とりあえず無難な花を毎回持っていき、世話をしてくれる女性に託して帰る毎日。彼の様子も変わりなく、誰とも喋らず部屋に引きこもっていた。
それからまた一週間が経過した。いつもの様に病院へ向かい到着すると、慌てた様子の医師が私を見るなり小走りで近づいて来た。
「奥様!ゼスト卿があなたにお会いしたいと」
「…え?」
いきなりの展開に一気に緊張が走る。
手に持っていた花束を思わず握りしめた。
一応最初だけ付き添わせて欲しいと言われ、医師が彼の病室の扉をノックする。返事はなかったが、だめな時だけ声が返ってくるそうなので医師は扉を開けた。
最後に見たのはあどけない寝顔。動く彼を見たのは暴走した姿が最後だったので、心臓をばくばくとさせながら入室する。
「ゼスト卿、奥様が来られましたよ」
医師が先に声をかける。
しかし彼は何も言わずに、私だけを見ているのが分かった。
目を合わせられなくて俯いてしまう。
「では何かありましたら、お呼びください」
彼は心を落ち着かせる薬を飲んでいるらしく、特に不穏な状態も見られなかったからか、医師はそっと退室した。
無言の時間が続く。その間も彼はじっと私から目を離さない。私は思い切って口を開いた。
「元気そうで良かったです。
もうどこも痛くないですか?」
頭に巻かれていた包帯もとれ、背中の火傷も落ち着いたと聞く。とりあえず無難に彼を気遣う言葉をかけてみたが、何も返事はなかった。居た堪れない。
「俺達は、いつ結婚したんだ」
突然彼が口を開いた。
私は慌てて返事をする。
「4年程前です。あなたが30歳、私が21歳の時に結婚しました」
「何で?」
「あなたの多大な功績が認められ、爵位を頂戴すると共に、私との婚姻も決まりました」
「子どもは?」
反射的に口を開けたが、言葉が詰まる。
少し間を開けてから、いません、と答えた。
私達は望んでいるものの中々授かれず、次第に彼は多忙となった。今は流れに任せようという空気が流れていて、私もあまり深く考えない様にしていた。
私の空気感で彼は察したのか、少し申し訳なさそうな顔をした。
授かりものですから、と私が言うと、彼は小さく頭を下げて、話を続けた。
それから彼は誰かに聞いたらしい自分の現状を本当かどうか全て私に問う。私はそれらを全て肯定した。
「…分かった、もういい」
そう言って彼は額に腕を乗せて寝転ぶ。そしてため息を吐いた。
「一つ、私からも聞いていいですか」
「…何」
彼な筈なのに、この無愛想な物言いが慣れない。13歳の頃はこうだったのだろうか。
「あなたの、最後の記憶は?」
「…兵士になって、色々演習してた」
という事はもう両親は亡くなり、彼が生きていくための道を選択した時だ。
「もう一つ、聞いてもいいですか」
「これで最後にして」
「私達の家に、帰りたいと思ってくれますか」
彼は今、独りぼっちだ。
突然知らない人に囲まれて、知っている自分の身体でもなくて、彼を支えるものが何もない。
それはどんなに苦しい事だろうかと、私は考えても分かってあげられない。
彼はその質問に答えてくれなかった。
分かってあげられないけれど、私はこう言うしかない。
「あなたの居場所はあります。待っていますから」
そう告げて、彼の部屋を退室した。




