王族だって気は抜きます
あわただしい一日が終わった。
それでも、『穢れ』も払えたし、炊き出しも成功だったし。
頑張ったよね?あたし。
「エナ殿」
「んあ?」
一仕事終えてお風呂も入って、機嫌よく回廊で涼んでいた依那は、後ろから声をかけられてレモン水に浮かんでいたレモン咥えたまま振り返った。
「「あ」」
途端にオルグと目が合って、二人して固まる。ぽろり、と咥えたレモンが落下して、耐え切れずオルグは噴き出した。
「……もっ…申し訳……っ……」
「……いいです、笑ってください」
結構、笑い上戸だわこのひと。
礼儀正しく振舞おうと苦労しながらも、身を折って笑い続けるオルグを横目で見ながら、依那は内心ため息をついた。
たしか、21歳とか聞いた。日本でいえばまだ大学生だ。もっと年相応に振舞ってもいいのにな。
ややあって、やっと笑いの発作が収まったらしいオルグは、再度依那に頭を下げた。
「……大変失礼いたしました、エナ殿。お休みのところを」
「別に構いませんよ。それより、面白かったら笑ったらいいのに」
「……え…」
弾かれたように顔を上げるオルグを見上げ、依那は続ける。
「レティもあなたも。王子様やお姫様だからってのは判るけど、公務じゃないときはもっと普通にしててもいいんじゃないですか?笑うのまで我慢すること、ないのに」
「……ですが……」
「だって、同じ王子様でも赤毛はもっと雑ですよ?いろいろと」
「ざ…」
「ほらまた!」
従兄弟の所業を雑と言われて、また笑いそうになったのを、反射的に堪えたところで依那の指摘が飛んだ。
「せっかく顔がいいんだから、もっと笑ってください。その方がみんなも嬉しいですよ!」
いっそ幼い表情できょとんとして。
それからオルグはふわりと微笑んだ。
「……不思議な方だ。あなたは」
「規格外って言われました。赤毛にも」
恐ろしく強大な魔力を持ち、王にも一歩も引かず意見を述べる剛さがあると思えば、手にキスされただけでひっくり返り、王宮を見てはしゃぎ回って――引っ込み思案な妹をも魅了した。
……いや、魅了されたのはきっと……
「…そういえば、聞きたかったんですけど」
ふと思い出した、というように依那はオルグを見上げた。
「トーリア様って誰ですか?」
「……その名前をどこで」
依那の口から飛び出した名前に、わずかにオルグは眉を顰める。
「ハゲ……ラウレス枢機卿がレティに言ったことがあるんです。トーリア様の再来って…」
「……っ…あの男は何ということを!」
それを聞いた瞬間、オルグは珍しく怒りを露わにした。
「オルグさん?」
「ついてきてください」
驚く依那を促し、オルグは回廊を抜けて城の奥へと足を向ける。
向かった先は細長い広間で、壁面にはびっしりと肖像画が並んでいた。
「……これがトーリア姫です」
しばらく進んだ先、一枚の肖像画の前でオルグは足を止めた。
肖像画には薄桃色の髪に菫色の瞳をした美しい女性の姿が描かれている。だが……
「……あんまりレティには似てないみたい」
確かに色合いは似たところがあるものの、雰囲気はまるで違う。つんと顎を上げ、豪華な衣装に身を包んで、人を見下したような視線をこちらへ向けているトーリア姫からは、なんとなく性格が悪そうな感じがビシバシ伝わってくる。
よく没にならなかったな。この絵。
「トーリア様は150年ほど前の王族の方ですが…いろいろ問題が多い方でもありました」
王族としては強い小聖女の力を持っていたためか、トーリア姫は気位が高く気分屋で、聖教会を半ば私物化してやりたい放題だったらしい。
挙句に隣国に無理難題を吹っ掛けて、危うく国際問題に発展しかけたとか……
「……それのどこがレティに似てんのよ」
「トーリア様と同じ色の髪と瞳を持って生まれ、同じく小聖女の力を持ったレティは、幼いころよく比較されたのですよ。…レティ本人も、トーリア様のようになるのでは、とひどく恐れていました。レティが成長するにつれ、比べられることもなくなったと思っていたのですが…そうですか、まだそんな戯言であの子を傷つける輩が…」
ため息をついてオルグはトーリア姫を見上げる。
「とはいえ、色味が似ているだけでレティの方が髪はつややかで柔らかく、瞳は澄んだ優しい色合いです。顔立ちも母に似て愛らしく、トーリア様のような険は微塵もありません。小聖女の力だけとっても、トーリア様ではレティの足元にも及びません。すべてにおいてレティの方が数倍、いえ数百倍トーリア様より優れています!」
唐突に始まった妹語りを聞いて、依那は悟った。
あ、これダメな奴だ。
超美形王子・オルグレイ。シスコンかお前~~!!
「……と……ところで、オルグさんのお母さんの絵もここにあるのかな?」
ほっとくと延々続きそうな妹語りから逃げるべく、依那は話をそらした。
「母ですか?はい、母の肖像はこちらに」
心なしかウキウキとオルグは依那を部屋の中央付近へ導く。その後ろ姿にぶんぶん振られる尻尾が見えるのは気のせいだろうか。意気揚々と依那の手を引いているのも無意識に違いない。
「こちらが母のアルテミアです!」
なぜかドヤ顔で母の肖像を指し示すオルグに、依那は思わず噴き出した。
「エナ殿?」
「…や、ごめんなさい。……オルグさん可愛いなぁって…」
「……私が……ですか?」
オルグは目を丸くして、それからほんのり頬を染めて視線を逸らせた。
「…それは……ありがとう…ございます……?」
「いいえ~」
ちょっとちょっとちょっと、なにこのクソ可愛い兄妹!!!
シスコン(?)だったり、はにかんだり、ウキウキしたり。
さっきまでの超優等生ぶりが嘘のような姿に、依那の気分はすっかり親戚のおばちゃんだ。
にやけてしまう口許を隠しながら、依那はオルグとレティの母……アルテミアの肖像を見上げた。
身の丈よりも大きなその肖像には、美しい庭園をバックに微笑む女性の姿が描かれている。豊かに流れる金髪に、青い空の色の瞳。優し気な顔立ちはレティそっくりだった。
「もともと体が強い方ではなかったのですが……レティを産んだ翌年に病で亡くなりました。本当に優しい母でした。レティは母によく似ているでしょう?」
「ほんとに。でも目許はオルグさんにも似てるね」
「そうですか?私は父似だと言われることが多いのですが……母にも似ていますか?」
穏やかに微笑みながらも嬉しそうなオルグに内心にまにましていると。
「おや、これは聖女様……いや、エナ殿、とお呼びする方がよろしいのでしたな」
「王様……じゃない、陛下」
「父上、お参りですか」
苦笑交じりの息子に、国王は手に持った二輪の花を上げて見せる。
「……母と伯父上の肖像にお参りするのが父の日課なのです」
「うるさいぞ、オルグ」
依那に耳打ちするオルグを窘めて、国王は妻の肖像の前に一輪の花を置いた。そのまま静かに頭を垂れて祈りを捧げる。
きっと、お母さんがお父さんの仏壇にお線香あげるのと一緒なんだろうな。
その姿を眺めて、依那は思う。
依那がテストで悪い点を取ったりすると、母はそれも父に言いつけたりしているが、王様はどんな話をしているんだろう。
ややあって、顔を上げた王はもう一輪の花を持ったまま二つ隣の肖像画へと進んだ。
アルテミアのものよりも二回りほど大きなその肖像には、にこやかに笑う長身の男性と、寄り添う女性の姿が描かれていた。前国王と、その妃だろう。
「前国王のアルフォンゾ・エルク・エンデミア様と王妃のエミリア様。アルのご両親です。お二方とも、11年前に生命を落とされました」
「…え……一緒に?事故とかですか?」
「ええ……まあ、そのようなものです」
十一年前…だったら、アルは7歳か8歳くらいか。
「うちの父が亡くなったのも、あたしが8歳の時だったな」
でも、あたしにはお母さんと颯太がいた。ご両親をいっぺんに失うなんて、どんなに辛かっただろう。
「……そうですか。エナ殿のお父上も……」
「エナ殿の父君なら、さぞ勇敢な方だったのだろうな」
「父は警察官で……こっちで言うと、なんだろ?警備兵とか衛兵とかかな。…ある事件の時に、子供を助けようとして亡くなりました。がさつというか、大雑把でよく笑って…悪さするとすごく怖くてよく泣かされましたけど、でも優しい父でした」
「……で、あるか」
よい父君を持たれたのだな。
そう言って王は優しく依那の頭を撫でた。
「前王は…我が兄上も優しくて厳しい方であったよ。誰からも愛され、誰にでも分け隔てなく声をかけて一緒に笑い合う、そこにいるだけで周りが明るくなる…そんな方だった。大臣どもの目を盗んでは、しょっちゅう城を抜け出して城下町へ遊びに行ったり、狩りに行ったり……わしも幼いころはよく兄上に連れられて市井の子供たちと遊んだものだった。また、兄上は自分に厳しく、間違ったことは許せない方でな。町の喧嘩に突っ込んでいったことも、一度や二度ではない。それもすべて弱き者を助けるためであった。魔物の討伐にも力を注ぎ、南の平原を人の手に取り戻したのも兄上の功績と言って過言ではない。まさに太陽王と呼ぶに相応しい方であった……」
ノンブレスでいきなり兄語りを始めた国王に、再び依那は固まった。
なにこのデジャヴ!
お前もか、国王~~!!
「……申し訳ありません。伯父上の話になると父は見境がなくなるのです」
こそこそとオルグが囁く向こうでは、国王の兄上リサイタルがまだまだ続いている。
「どうぞエナ様は自室にお戻りください。父の相手は私がいたします」
「え……いいの?」
「……こうなってからが長いので」
確かに、国王の兄上スイッチは当分切れそうにない。お言葉に甘えて、依那はこっそり退出させていただくことにした。
「…聞いておるか?オルグよ!」
「はいはい、聞いておりますよ。その時に伯父上は剣豪ファーネリウス殿の弟子となったのですよね」
そーっと扉を閉じる寸前まで、そんなやり取りが続いていて。
細心の注意を払って扉を閉め、依那は大きく息をついた。
シスコンの王子様にブラコンの国王陛下。
普段は完璧な王様・王子様でいる分、気が抜けたからこそああなっちゃうのかもしれない。
「………親子だなぁ……」
なんとなく微笑ましくて、温かい気持ちになりながら依那はゆっくり自室に戻ったのだった。




