『穢れ』
そうは言っても日々は過ぎる。
召喚されて一週間が過ぎる頃には、二人はほぼこの世界に馴染んでいた。
颯太は騎士団に混ざって鍛錬したり、魔導士に魔法を習ったり。
依那もレティと共に聖女としての公務をこなしたり、魔法や世界について学んだりしていた。
そのうちに判ってきたことがある。
この世界の神様は創生神アルスだけではなく、星女神ヴェリシアや火の神エスタスなど、多種多様の神様がいること。
その中で国の守護神として創生神アルスが(ここは神官庁管轄)、大聖女の守護神として星女神ヴェリシア(こっちは聖教会管轄)が祀られているのだが。
神官長サ―シェスが統治している神官庁はともかくとして、聖教会を統括する枢機卿ラウレス。こいつが結構なクソだった。
「これはこれは聖女様。ようこそこの地へおいでくださいました。この枢機卿ラウレス、心より歓迎いたします」
と、ご挨拶までは良かった。………が。
危機に瀕しているという世界の状況を訊けば
「聖女様は下々のことになど、お心を煩わせる必要はございません」
騎士団から東の地方で『穢れ』による被害が出ていると聞き、救援隊を出すべきと言えば
「あのような辺境の地、その地方の領主に任せておけばよろしいのです」
二言目には「聖女様はまだ、この世界にいらっしゃって日も浅いですからな」と含み笑いを漏らす始末。
小聖女とはいえ稀有な霊力を持ち、王女であるレティの方が立場的には上のはずなのに、そのレティが何かを言おうとすれば
「姫様ともあろうお方が関わることではございません」
「些事はわたくし共に任せていただき、姫様は大聖女様にお祈りを捧げてはいかがかな」
などと頭から押さえつけて何も言わせない。
確かに日が浅いし、レティを差し置いてでしゃばるのも、と我慢していた依那がそろそろ限界に近づいたころ、その事件は起こった。
すっかり日課になった朝の礼拝を終えて、レティと二人中庭を横切ろうとしたとき。
ぞわり、と感じたことない悪寒が背筋を走り、依那は顔色を変えて立ち竦んだ。
「エナ様?」
「…なに……今の……」
悪寒なんてもんじゃない、怖気、ともいうべきおぞましい感覚。
「ね―ちゃん!」
近くで鍛錬していたらしい颯太も感じたのだろう、剣を片手に走ってくる。ともに稽古していたらしいアルも一緒だった。
「なんか今、ぞわっとした!」
鳥肌の立った腕を擦る颯太に頷いて……あたりを見回した依那は城壁の外、東の空に立ち上る黒煙のようなものを指さした。
「……なに……あれ……」
これほど遠くからでもわかる。あれはただの煙や靄ではない。あれは……何か、悪いものだ。
「……!あれは!」
ひっと小さくレティが息をのんだ。
「あれは『穢れ』です!『穢れ』がこんな近くに!」
「…クソっ!守護結界はどうした!」
手にしていた剣をその場に突き刺し、アルは身軽に傍らの木に登り、回廊の屋根に飛び移る。
「…外壁の…外か。かろうじて結界が保ってるようだが……いつまでもつか……」
「あれってやっつけられないの?」
「神官や聖女なら祓えるが……って!お前どうやって!?」
後を追ってきた依那に驚くアルの腕を掴み、依那はきっぱりと言った。
「あたしをあそこへ連れてって!」
「!何を馬鹿な…」
〈導きの声〉は、『穢れ』は恐ろしいものだと言った。普通の人間が触れれば、たちどころに肉が腐り、狂い死にする。草木は枯れ、瘴気が地を汚し。力を持つ人や動物を魔物に変える、と。
「ああいうの、ぶっ飛ばすためにあたしたち呼ばれたんでしょ!?ラウレスのおっさんはなんでもダメだって言うけど、危険が迫ってるのに何もできないんじゃ、何のための勇者や聖女なのよ!」
「……お前……」
瞠目して依那を見つめていたアルは、ぐっと唇を噛むと、やおら依那の腰を抱き寄せた。
「はあ!?」
素っ頓狂な声を上げる依那をまるっと無視して中庭にいるレティに叫ぶ。
「レティ、念話で皆に知らせろ!ソータは騎士団と来い!」
「ちょっ……近い近い!」
「しっかりつかまっていろ!舌を噛むなよ!」
そう言うと同時に二人の体はふわりと浮き上がった。
「なっ……」
「飛行魔法だ。下は見ない方がいいぞ」
と、言われましても!!!
慌ててしがみつき直して眼下を見ると、王城の城壁とその周りの湖、王都の家々がすごい勢いで飛び去って行く。あっという間にアルと依那は王都と外縁部の城壁を飛び越え、『穢れ』が立ち上る地点へと到達した。
「これ以上近づくな」
50メ―トルほど離れた草地にふわりと着地して、アルは依那を背に庇い、いつの間にかその手に戻っていた剣を構える。
間近で見る『穢れ』は真っ黒で10メ―トルほどの高さまで立ち上り、うごうごと蠢きながら見る間に膨れ上がっていく。
吐き気を催すほどおぞましく、見ているだけで気力がゴリゴリ削られる気がした。
祓う、って言っても、具体的にどうすればいいのよ、これ!
今更ながらレティと離れてしまったのは大失敗だ。偉そうなことを言っておいて、依那はまだ一人では何もできない。
「来るぞ!」
その声と同時に『穢れ』の一部が盛り上がり、槍のように伸びて二人に襲い掛かった。それを剣で切り払い、アルが叫ぶ。
「結界を張れ!」
「そんなこと言ったって、どうやって張るのよ!結界って!」
「できるはずだ!王宮でじじいどもをふっ飛ばしただろうが!」
叫びながらアルは、数を増し、四方八方から襲い掛かる触手を斬り伏せる。斬られた触手は地に落ち、霧になって消えるようだった。
「あの気合がありゃ大丈夫だ。やれ!エナ!」
右下から突き上げてきた触手を斬り払った瞬間、左側に回り込んだ別の触手が、まるで網のように広がってアルを包み込もうとした。
「アル!」
思わず依那はその触手をぶん殴っていた。と、光が迸り触手が霧散する。
「…武闘派かよ」
一瞬目を丸くしたアルが噴き出す。
「つくづく、規格外だな!お前は」
「うっさいわ!」
笑いながら別の触手を斬り飛ばすアルの隣で、依那も別の触手を蹴飛ばした。
なぜかは判らないが、依那の攻撃は光の波動を伴い、『穢れ』に効果的らしい。とはいえ、本体を叩かなくてはこのままではジリ貧だ。
「…………」
ふ、と一歩下がり、息を整える。
結界を、張る。
その力がほしい。
あの『穢れ』をここから先に行かせないために。
『穢れ』を消すために。
………颯太を、レティを、みんなを、護るために。
心からそう願った瞬間。
ふわりと依那の足元から風が巻き起こり、光が身体を包み込んだ。
と、同時に、依那の目の奥に結界の術式が浮かび上がった。あんなにわからなかった結界の張り方も、浄化の方法も、すべて手に取るように判る。
「……結界を、張ります!」
自分でも驚くくらい凛とした声で宣言し、依那は結界を発動させた。
その足元に魔法陣が浮かび、一瞬のうちに光る波動が迸って『穢れ』を包み込む。
眩しさに思わず閉じた目を開いた時には、『穢れ』は跡形もなく消えていた。
「……凄まじいな」
感嘆の声を上げながら剣を鞘に戻しつつ、アルが振り向く。
「できたじゃね―か。聖女様?」
「だからその聖女様ってのやめてって!」
にやにや笑いながら、からかうアルに食って掛かっているころになって、やっと騎士団が到着した。
「エナ様!ご無事でよかった!」
「ね―ちゃん!」
「アル様、エナ殿、お怪我は!」
レティと颯太に左右から飛びつかれ、依那もほっと肩の力を抜くのだった。
『穢れ』を祓ったとはいえ、被害は大きかった。
突如発生した『穢れ』は小さな村を丸々ひとつ飲み込み、住人の半数以上が犠牲となっていた。もし守護結界がなかったら、王都にも被害が及んでいたかもしれない。
被害にあった村の調査と警護、守護結界の強化を騎士団と神官に任せ、颯太たちはいったん王宮に帰ってきていた。
「お前の姉ちゃん、すげえな」
初めて結界を発動して力が抜けたのか、ヘロヘロになって、レティに連れていかれる依那を見送っていた颯太に、アルが声をかける。
「まさか、素手で『穢れ』殴る女がいるとは思わなかった」
「ね―ちゃん、暴れん坊だから……」
くっくっとアルは笑うが、依那の戦う姿がありありと想像できてしまって、颯太は肩を落とす。何やってんの、ね―ちゃん。
男勝りで行動力があって、美人で。
颯太にとって自慢の姉ではあるのだが……なにも、王子様の前でまで喧嘩っ早さ発揮しないでもいいんじゃないだろうか?
……敵わないよなぁ……
こんな世界へ飛ばされて。勇者と言われて、なぜか力も強くなってて。
オレが姉ちゃんを護らなきゃと思うのに、いつも姉ちゃんに護られている。
アルと依那が空を飛んでいくのを、唖然と見送った後。
『王都の東の外れに『穢れ』が現れました。エナ様とアル兄様が向かわれましたが、騎士団と神官は直ちに出動をお願いいたします』
頭に直接響く「声」がレティの念話だと知って驚き、出動する騎士団に無理に同行を頼んで駆け付けたものの、肝心の戦いはすっかり終わっていたなんて。
強くならなきゃ。
ぐっと拳を握り締める。
もっともっと強くならなきゃいけない。早く、早く、一刻も早く……
「ソータ殿」
ぽん、と肩をたたく温かい手。
「オルグさん…」
「焦りは禁物ですよ」
長身を折り、颯太の顔を覗き込むようにしてオルグは微笑んだ。
「一歩一歩で大丈夫。大事なのは日々の積み重ねです。あなたは筋が良いとアルも褒めていました」
「……でも……」
素直に喜べなくて颯太は俯いた。
剣道をやっていたとはいえ、この世界の剣は勝手が違う。騎士団に基礎を習い、毎日鍛錬しているものの、時々相手をしてくれるアルには、まるで歯が立たない。
「聞いていませんか?アルはああ見えて、この国で三本の指に入る剣士ですよ」
「そうなの!?」
美形で王子様でそのうえ強いって、なにそれズルくね?
「この国どころか、大陸最強と謳われた剣士の、最後の弟子ですからね。アルは…」
顔を上げ、騎士団長と話し込んでいる従兄弟を眩しそうに眺めて、オルグはもう一度颯太に向き直った。
「あなたは強くなれます。……勇者だからではなく、誰かを護りたいと、誰よりも強く思っているのですからね」
ふわりと颯太の頭を撫で、オルグは執務室の方へ戻っていった。
「……ずるいなぁ………」
この国の王子様は二人とも、美形で強くて、そのうえカッコいい。
撫でられた頭を押さえて、颯太はちょっとだけ感慨に浸った。




