第三話 よだかの星空②
「冴木さんは、すぐに聞いてきましたよ」
「……すみません、ああ見えて意外とデリカシーが無くて」
「いいんです、隠しているわけじゃないから」
そう言って、異頭さんは人目を避けるように身を縮める。そして大きく息を吸うと、小さな小さな声で呟いた。
「私、人の視線が怖いんです。気にしすぎだって頭では分かってるんですが、体が硬直して、うまく呼吸ができなくなって……部屋から出られなくなった」
「出られないって、一歩も?」
思わず尋ねると、彼女は空のカップを両手で包み、一呼吸置いてから頷いた。
「何年か前の話ですけどね。そんなときに母が怪我をして、病院とのやりとりとか、色々……母は大丈夫だって言ってくれましたが、嘘だって分かってました。ずっと母ひとり子ひとりだったから。私がやらなきゃ、何とかしなきゃって何度も思って、できなくて……藁にも縋る思いで辿り着いたのが、被り物だったんです」
「……」
「それ以来、被り物がないと外に出られないんです。こんな格好で申し訳ありません」
異頭さんが背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。その体が怯えるように震えていることに気付いて、慌てて口を開く。
「いえ、お気持ちは伝わってきましたから。大丈夫ですよ」
ぶんぶんと手を振ってみせると、彼女は頭を上げて安堵したように息を吐いた。
「あなたが目覚めるのを待つ間、冴木さんからも似た言葉をかけていただいたんです。『パグは理由も聞かずに人を剥ぐような奴じゃありませんから』って」
「あいつ、人を追い剥ぎみたいに……」
「それでも、怒鳴られても仕方がないと内心震えていたんです。それが、まさかアリスの白バラに気付いてもらえるなんて……違う意味で震えちゃいました」
くぐもった笑い声に合わせて、よだかの頭が揺れる。その動きに合わせて、つむじの辺りで跳ねた一枚の羽がアホ毛みたいに揺れている。なんだか人間の頭みたいだ。
俺は小さく笑うと、少しだけ目を泳がせ、おずおずと口を開いた。
「あの、こんなこと聞いていいか分からないんですが……被っている方が視線を集めませんか?」
思わず声をひそめて尋ねる。彼女はきょとんとしたように間を置くと、小さく吹き出した。
「それ、母も言ってました。でも、それは私じゃなくて私が被る物語を見ているだけ。誰も私自身は見ていないと思うと、息がしやすくなるんです」
柔らかな声が、優しく耳に馴染む。
正直言って彼女の言うことに共感はできないが、好きな雑誌の髪型や服装を真似ているのと同じだと思えば、まぁ何となく分かるような気もした。
「良いこだわりですね」
「……納得してもらえたのは初めてです。なんだか不思議なところで気が合いますね」
「あっすみません、分かったような口をきいて」
慌てて謝罪すれば、彼女は手を振りながら「嬉しいんです」と言った。そして、そのまま店の外へと顔を向けると、子供に遠い昔の物語でも語り聞かせるようポツポツと言葉を紡いでいく。
「母はよだかの被り物を見てギョッとしたようで、考えなおすよう何度も促されました。でも私が本気だと分かると、ゲン担ぎだなんて言って、わざわざ勝色の着物を探してきて、刺繍まで……」
「嬉しかったのかもしれませんね」
彼女の言葉が途切れ、頭が僅かに地へ傾ぐ。
「――そう、ですね。外へ出られるようになれば、少しは普通の人に近づけるようになるかもしれないから」
「あなたが勇気を出したことが、ですよ」
思いのほか大きく響いた声に、異頭さんの動きが止まった。
「……私が?」
「被り物を作るのは時間がかかると仰っていたでしょう? 異頭さんが日々もがく姿を見て、少しでも支えになればとお感じになったのでは?」
「どうでしょう。こんな格好ですから、少しでもマトモに見せたかったのかもしれませんよ?」
「……」
「……でも、そうだったらいいですね」
和やかに笑う異頭さんの声には、痛いほどの諦めが滲んでいる。
その惨めさが、俺には分かる。
届かないものから目を逸らす心情は、嫌というほど覚えがあるから。
『私も、よだかみたいに生きられたらいいのになって』
そう言った異頭さんの声が蘇る。
このままじゃダメだ、と唐突に思った。
諦めることに慣れないでほしい。
――よだかは最後まで諦めなかったのだから。
俺はスマホを取り出すと、インターネットの検索画面を開いた。先走る気持ちに言葉が追いつかない。もどかしく指先を動かしながら目当てのページを見つけた俺は、勢い余ってスマホごと彼女に差し出す。
「なんですか、これ?」
彼女の指が俺のスマホを受け取り、不思議そうに覗きこんだ。
「お話を伺った時から気になっていて。六芒星のよだかの星は、確か後ろ襟の下と仰っていましたよね?」
「ええ、そうです。カシオペア座の隣、ちょうど後ろ襟の下ですが」
「それなら位置も一致します。ほら、この“背守り”っていう子供を守る刺繍、ちょっと似てませんか?」
「……え?」
俺は身を乗り出し、彼女の手の中にあるスマホの画面を軽く指差す。
「刺繍の形にも意味があるみたいで……えっと、籠目という六芒星のような形の文様には、魔を祓う祈りが込められているそうです」
異頭さんはスマホから顔を上げると、戸惑うように声を揺らした。
「子供を守るものって……。私、とうの昔に成人してますけど」
「そうですね、見栄や建前で子守りの刺繍を大人に施すとは思えません」
頷きながらも肩を落とした異頭さんから、スマホを受け取る。「やっぱり、そうですよね」と呟く彼女を制するように、俺は首を横に振った。
「だからこそ、踏み出す我が子の無事を願って縫われたのでは? わざわざ星空の刺繍を全体に施してまで」
「……」
「大事に思い合ってらっしゃるんだと思います。きっと」
ギュッと異頭さんが机の上で拳を握りしめる。
「そんなの、分からないじゃないですか」
「でも、尋ねるきっかけにはなる」
「……それは」
グッと息を呑む気配がして、彼女が身を強張らせる。その反応が図星を突かれた子供のようで、つい口が滑った。
「本当は、分かってたんじゃないですか?」
「なにを――」
「だって、異頭さんはお母様のことを大切に思ってらっしゃるじゃないですか」
異頭さんの拳が小刻みに揺れる。踏み込みすぎたかもしれないと少しだけ身構えたが、彼女はすぐに力を抜いて、弱々しく話し始めた。
「分かってましたよ、本当は。普通の子に見せたいだけなら、ゲン担ぎも刺繍も必要ない。でも、違ったらと思うと喉が締まって、言葉が出なかっ……」
不自然に言葉を切った異頭さんは、甲虫を食べるよだかのように嘴を大きく開くと、ハンカチを握った手を肘まで突っ込んだ。
カクカクとよだかの頭が揺れ、短く息を吸う音がする。
その光景に絶句した俺は、彼女が被り物の下で泣いているのだと遅れて気付き、俯きがちにフラペチーノを口にする。
どう声をかけたら良いのか分からない。
せめて嗚咽をかき消せるように音を立てて吸いこもうとした瞬間、氷が喉に当たって咽せた。
「うぐっ、げほげほ」
涙目で俯き咳き込む俺に、ティッシュが差し出される。顔を上げると、嘴から腕を抜いた異頭さんと目が合った。
「今度、母に聞いてみます」
そう言った彼女の大きな嘴は横に曲がり、まるで少し笑っているように見えた。その姿に報いるように、俺は小さく唾を飲む。
「もし違ったら、俺をぶん殴ってください」
「……本気で言ってます?」
震える声に気付かないふりをして、小さく頷き返す。彼女は嘴を直しながら、今日一番の笑い声を上げた。
「約束ですよ」
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