第一話 いつかお姫様が
‘’いつか白馬に乗った王子様が迎えに来る”が許されるなら、“いつか大階段からお姫様が駆け寄ってくる”だって許されるはずだ。
そんな夢を見続けているうちに時は流れ、気付けば“おっさん”と呼ばれる歳になっていた。
検査着姿で総合病院の階段を下りながら、溜め息を吐く。消毒液のにおいがする白い壁は、窓がないからか広さの割に閉塞的で、妙に居心地が悪い。
俺は健康診断の受診票に書かれた体重を睨みながら、滑り止めの効いた濃い緑色の手すりから手を離す。年齢から目を逸らしたところで、下から上ってきた同僚の冴木と階段の踊り場で鉢合わせた。
「よぉパグ、腹囲どうだった?」
「だから、パグって呼ぶなって言ってるだろ」
顔をしかめる俺を諌めるように、冴木が大きな体を丸めて手を擦り合わせる。
「固いこと言うなよ。娘に『痩せたら?』なんて言われないように、同年代の平均値が知りたいんだよ〜頼む!」
無駄に怯えた目をしやがって。
もしや自分の筋肉が脂肪にでも見える呪いにかかっているのだろうか?
「あの子はまだ小さいから大丈夫だって」
「成長したら言われんの!?」
大袈裟に腹をさする姿に内心うんざりしながら、俺は彼の肩を叩いて壁際へ寄るように促した。
「幸せそうでよかった。じゃあまた」
「待て待て、この流れで腹囲検査なんて無理! そうだ、パグは結婚してボロい安アパートを出る予定あんの?」
「出会いがあればな。さっさと腹囲測ってこい」
「おいおい、待ってても良い人は降ってこないぞ」
「余計なお世話だ」
苛立ちに任せて腕に力を入れ、再び冴木を押す。だが、奴は石膏像みたいな顔のまま微動だにしない。
くそっ、この筋肉ダルマが!
俺は彼の肩から手を離すと、あえて一歩下がった。別に階段でしか移動できないわけじゃない。したり顔で踵を返そうとしたところで、冴木の鋭い声がした。
「パグ!」
「しつこい、俺はバリウムに行く!」
声を張り上げ、階段を見る。
突然、顔面に燃えるような衝撃が走った。咄嗟に足を踏ん張ろうとした俺は、直後に降ってきた何かに押し潰されるようにして床に倒れ込む。塩化ビニルの床は思いのほか硬く、鼻の奥に鉄の匂いが広がっていく。
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
胸の上から女性の声がして、床に膝をつく深緑色のロングスカートが視界に広がった。
「パグ、大丈夫かパグ! しっかりしろパグ!」
冴木の声に返事をしようとするも、うまく言葉が出てこない。何とか起き上がろうとする視界の隅で深緑色のスカートが持ち上がり、銀色の靴がキラリと輝く。
「私、看護師さん呼んできます!」
靴音が頭に響く。遠ざかる銀色の靴が、子供の頃に読んだ物語の記憶と重なった。
待ってドロシー、行かないで。
俺の願いを叶えて。
伸ばそうとした手を冴木が掴む。
俺の意識は、そのまま虹の彼方に落ちていった。




