Ep.7 朝の空気の中で
それから数日後の早朝のこと、リーシェは日課である街の掃除へと出かけていた。
掃除が毎日の日課となったのは道ばたに落ちているごみが気になって、つい拾ってしまっていたのが事始め。それはある朝、なんとなく外に散歩に出かけていた時のことだった。
早朝の、まだ人々が寝静まっている間には、霊も堂々と表を出歩いている。行く当てもなく彷徨い続けているのだ。そんな彼らが自分たちの世界へと帰っていくのを観察するのも、密かな楽しみだった。
今日もリーシェは箒とちりとり、そして袋を持ち出して、街の掃除へと出かけていった。
昼間には、寺院に隣接する孤児院から子供たちの元気な声が聞こえてくることもあるのだが、今の時間だと彼らもおのおのが眠りについている。
木々のざわめきや鳥の鳴き声。そんなふうな自然が奏でる音の他には何も聞こえなかった。だが、この静けさがリーシェにとっては心地よかった。
寺院の門を抜けて、舗装された道を進んでいく。周りに住宅や商店は、まだ眠りについたままだった。
昼間にはここも人で賑やかなものになるのだろうと思うと、自然と掃除へのモチベーションも上がっていった。
「道がきれいだと、心地いいものね」
箒を握りしめて、そんなことを思いながら。
「こんな時間に掃除とは、感心なものだな」
しばらく掃除をしていると、後ろから声がした。
「あなたは……」
「シリヤだ。この前は、世話になったな」
リーシェが振り返ろうとする前に、声の主は空からリーシェの前に現れ、目の前に降りてきた。
シリヤと名乗ったのは、長い白髪に純白のドレスを身にまとった、十四ほどの年頃と見られる少女。だが、彼女の姿は透けていて、足首から先が消えていた。
彼女は幽霊のように見えるが、実のところは、死亡した妖精たちの思念や魂が集結して生まれた精霊であった。
ある日、劇場で幽霊が出ると聞いて出向いてみた所、そこでシリヤと出会った事がある。幽霊騒ぎは、ただの愉快犯であるようだった。
シリヤの言葉は魔法使いにしか通じないために、数少ない魔法使いであるリーシェは、彼女の話し相手になっていたのだ。
「我はきれいな場所が好きなのだ。その心意気を忘れるな」
腕組みをして、得意げに頷くシリヤ。
「はい。綺麗な場所は心地がいいです」
なんだか褒められたようで、照れくさい。リーシェははにかみつつ答えた。
シリヤは見た目は少女のように見えるものの、実際は遥かに長い時を生きている。そんな彼女には、どこか威厳を感じられた。
「そこ、ごみが残ってるぞ」
リーシェはしばらく掃除を続けていたものの、シリヤの一言で箒を止める。てっきり、どこかに行ってしまったのかと思っていたが、真上からずっと眺めていたらしい。
「えっ……?」
シリヤに指された場所を見ても、ごみは落ちていない。
「なんてな。本当に残ってるのはこっちだぞ、くっくっくっ……」
もしかして、からかわれている? 何がおかしくてシリヤは笑っているのだろう、そうリーシェは思った。
「掃き残しにも気がつかなかったのか。ここは我がやっておく、感謝するんだな」
そう言いながら、シリヤはごみに触れた。落ちていたごみは、みるみるうちに灰になっていく。
「あっ、ごめんなさい……」
「あら、シリヤ。朝からお散歩ですの?」
シリヤを呼んだのは、紺のフードをかぶった丁寧な口調の女性だった。フードで素性を隠していることに加えて、掴み所のない、不思議な雰囲気を纏っている。
「ああ。にしてもお前が人里を出歩くなんて珍しいな、ヤーヤ」
「起きたら、シリヤがいないんですもの。探しましたわ」
「あの、あなたは?」
リーシェはおずおずと尋ねる。ヤーヤと呼ばれた女性は、シリヤと親しげな様子であった。
「我の契約者だ。気難しい奴だが、よくしてやってくれ」
シリヤもまた精霊だ。契約者と聞いて、あっさりとリーシェは納得していた。
「ヤーヤですわ」
「リーシェ・マリエットです。よろしくお願いします」
「ヤーヤ。お前、我を迎えにきたのか?」
リーシェが名乗ったその後、シリヤはヤーヤに問う。
「そうでなかったらなんと? せっかく朝早く起きたって言うのに、あなたを見かけないんですもの」
「全く、お前という者は……。邪魔したな、リーシェ」
「さようなら、シリヤさん、ヤーヤさん」
リーシェはシリヤとヤーヤを見送る。やれやれといったようなシリヤだったが、まんざらでもない様子だった。
ふらりと現れて、ふらりと去っていった彼女たち。
クレンが忠告したことを、自分は認められていないのではないのだろうか?
シリヤとヤーヤが去った後、リーシェはそんなことを考える。
もう少し掃除をしてから帰ろうかなと思い、人気のない大通りでちょっとだけ足を進める。
「あれ、リーシェじゃないか。おはよう」
掃除を再開しようかと思ったとき、誰かに呼び止められた。
「おはよう、クレイアちゃん」
リーシェに声をかけたのは、焦げ茶色の髪を高い位置で結った菓子職人の少女、クレイアだった。
彼女はクッキーを手に提げて、空いてるもう片方の手を挙げる。
「箒……ってことは、掃除してたのか。偉いなぁ……」
クレイアはリーシェの持つ箒を見て、感心する。彼女の目はどこか遠くを見ているようでもあった。
「好きでやってることだから。クレイアちゃんはどうしたの?」
「ただ、散歩してただけだよ。いいアイデアが浮かばないかって」
リーシェの問いかけに、こくりと頷くクレイア。
「いい気分転換になるんじゃないかな」
「だったらいいんだけどね。これ、食べていきなよ」
「え……これ、もらってもいいの?」
クレイアから受け取ったものは、林檎のクッキー。
「あたしからの餞別だよ。掃除頑張ってるみたいだしさ」
「ありがとう……」
「じゃ、あたしはそろそろ行くから。あんまり頑張りすぎないでよ」
「それを言うなら、クレイアちゃんも。じゃあ、またね」
クッキーを胸に、リーシェはクレイアに別れを告げた。
朝の掃除はただ、自分ができることだと思って始めたことだった。ささやかで、誰にも気付かれないようなことだけれども、それが性に合うと思っていた。後で町の人たちが心地よく道を歩けたらと考えてのことだった。
しかし、早朝という人が少ない時間にも、時々外を出歩いている人を見かける。そんな人々を眺めたり、時には話をしたりするのも、楽しみの一つだった。
どうしてそれに気がつくことができなかっただろう。街の掃除という行為に見返りは何もなかったし、掃除のほかにはこれといって目的はなかった筈だ。
なんだかいつもより心地の良い朝だったと、リーシェは感じていた。
今回の更新分で、以下のキャラクターをお借りしました。
シリヤ(考案・steraさん、デザイン・夕霧ありあ)
ヤーヤ(考案、デザイン・猫乃鈴さん)
クレイア(考案・桐谷瑞香さん、デザイン・宗像竜子さん)