Ep.6 帰る場所はここにある
次の日のこと、リーシェの熱はすっかり引いていた。あれほど具合が悪かったのが嘘のようだ。
「大丈夫だったんですか、リーシェさん!? 施療院に運ばれたと聞いて……」
寺院に戻ると、ビアンカが驚いたような顔をしていた。
「はい。でも、今日はまだ大人しくするよう、イレーネ先生に言われました」
大事には至らなくて良かったとは思うが、まだ本調子という訳ではない。ことさら体調には気をつけようとリーシェは思っていた。
「リーシェくんは無理をする所があるからねえ。少しでも具合が悪いと思ったら、休養を取るべきだよ」
ホープもまたリーシェの身を案じていた。
「すみません……わたしとしたことが、大丈夫だろうと思ってしまいまして」
リーシェはちらりとビアンカのほうを見た。彼女はあの朝心配していた様子であったから、尚更申し訳なかった。
「無事ならいいんです。でも、もしものことがあったならと……」
「皆さんに心配をかけてしまったみたいで、本当にごめんなさい」
「謝る必要はないよ。寺院がこの街でのリーシェくんの家なのだからね」
ホープは穏やかな笑みを浮かべた。
「わたしの、家……」
リーシェは目を閉じて、胸に手を当てる。
思い返したのは、ティル・ナ・ノーグにやってきてから、この街で過ごした日々のこと。それは霊と戦うことではない。平穏でなんでもない、ありふれた日常の光景だった。
嬉しいこと、困ったこと、驚いたこと。ささやかなことでも、いろんなことを感じられたのだなあと、しみじみと感慨にふけっていた。
「そうそう、孤児院に戻って子供たちに勉強を教えないと。行ってきますね、リーシェさん」
「ビアンカさん。わたしにも、何か出来ることがあればお手伝いさせてください」
「お気持ちは嬉しいですが、今はゆっくり休むのがいいと思いますよ」
「……そうですね。お言葉に甘えて、今日くらいは休みますね」
何もしないのは申し訳が無くて、つい、何か出来ることがないかとリーシェは考えてしまう。それは、クレンとの契約を決意した時から癖になってしまっていた。
◆◇◆
「あら、クレン。どうしたの?」
「リーシェの考え無し」
部屋に着いてのこと、いきなりクレンが実体化していた。相当いじけている様子だ。
リーシェの具合が悪くて実体化できなかったことで彼は感情を溜め込んでいたらしい。普段はおっとりしているこの精霊がこれほどまでに機嫌が悪くしていたのは久々のことだった。契約の時ですら、彼は怒らなかったというのに。
「ごめんね、クレン。わたしも相当ばかみたいなことしちゃったし……」
「契約代償で倒れるまで熱に気付かないなんてね」
「なんとなく、変だとは思ってたのよ。でも、気のせいだと思ってしまっていた」
「リーシェは自分のことを考えなさすぎなんだよ。誰かの役に立ちたいって思ってるだろうけど、役に立てないことだって、調子の悪い時だってあるんだよ。それを考えなくちゃ、何も意味がないじゃないか」
言いたいことだけ言って、クレンはそっぽを向いてしまった。
「確かに、クレンの言う通りかもしれないわ……ありがとう、ごめんね」
「そう言うんだったら、今日一日、ちゃーんと反省してよね」
「はいはい」
深く考えてみると、リーシェ・マリエットという人間一人に出来ることは大してない。誰かのためにと思うあまり、何でもやってのけられるはずだと傲慢になっていたのかもしれない。
生まれつき霊が視えたり、クレンと契約したために浄化の魔法を行使することは出来るけれども、それを除けば特別な力なんて持っていないはずだ。
昔は、普通ということに憧れていたものだった。けれども、様々な国の人間、様々な種族が行き交うこの街では、その普通の定義もあまり意味をなさないことだろう。
——もう少し、自分の幸せを願ってもいいんじゃない?
そんな問いかけが聞こえてきたような気がした。今まで気付くことが出来なかった、穏やかな時の流れの中で。