Ep.5 歩んだ果てにあったのは
リーシェが次に目を覚ました時には、ベッドの上に横たわっていた。
街へと出ていた筈なのに、何があったのか。
そんなことを考える前に周りを見渡し、ここが施療院であることを悟った。
そういえば、道で行き倒れになりそうになっていたような——。
「気がついたか?」
考えを巡らせる前に、リーシェに声をかけたのは施療院の院長、イレーネだった。
彼女はこの街で一番評判のいい、グラッツィア施療院を運営している。長い赤髪を三つ編みにして束ね眼鏡をかけた、背の高い女性だ。
「あれ、わたし……」
リーシェは目をぱちくりとさせる。
「峠は越えたみたいだが、まだ熱は下がりきってないようだね」
「リーシェ、疲れがたまってたみたい。今日は安静にするべきだよ」
カルテをとりながら、医師見習いのイオリはそう言った。癖の無い黒髪の、少年のような印象の少女だ。
「まだ本調子ではないだろう、動くとかえって体力を消耗するよ」
イレーネは警告する。だがリーシェが気になっていたのは、喉が乾いていたことだった。
「流石に今日は休みます。あの、お水を頂けませんか?」
リーシェの頼みにイレーネは水を注ぎ、彼女に渡した。リーシェはそれを両手で受け取り、ゆっくりと口をつける。まだ何も食べる気は起きなかったが、弱っていた身体に水分はじわりと沁みていった。
水がないと人は生きていくことができない。そんなことを改めて気付かされた瞬間でもあった。
「じゃあ、私たちは他の患者の診察に行かなければ。くれぐれも、お大事に」
リーシェがマグカップから口を外したころのこと。そう言って、イレーネとイオリは去っていってしまった。
「そうだ、アイリスにお礼を言ったほうがいいんじゃないかな?」
イオリは病室を出る前に一度だけ振り返って、アイリスに向けて目配せをした。彼女の隣には双子の妹・クラリスの姿も見受けられた。
「ありがとう……迷惑かけてしまったみたいで、ごめんね」
リーシェはアイリスの目を見る。クラリスともども、どこか哀しそうにしていた。
「ううん。とにかくリーシェを守れて、よかったよ……」
アイリスの言葉からは、溢れんばかりの気持ちが伝わってきた。誰かを守るという信念を持った彼女だからこそ、とても心配していた様子であった。
「アイリスちゃんがいなかったら、どうなるかと。本当に、ごめんなさい……」
「リーシェ、暗い顔してちゃいつまでたっても元気になれないよ?」
アイリスへの申し訳なさに、思わず俯くリーシェ。ゆっくりとした口調、けれどもはっきりとした言葉でそんな彼女を励まそうとしたのは、クラリスだった。
「クラリスちゃんも、来てくれたのね」
「あの花ね、お見舞いにってわたしが持ってきたんだよ。アイリスから話を聞いた時には、心配しちゃった」
ふと枕元の花瓶を見る。そこには、色とりどりの花が飾られていた。
クラリスは普段花や薬草を売っており、様々な植物に詳しい。枕元の花は、そんな彼女ならではの気遣いだった。
「そっか。嬉しい」
笑顔を絶やさないクラリスにつられて、リーシェも淡く微笑みを浮かべた。
このまま騒がしくも穏やかな時が流れるのかと思いきや、突然、扉を開ける音が聞こえた。
「リーシェ、大丈夫か!?」
「……キジャさん?」
病室に見えたのは、キジャの姿だった。思わずリーシェは目を見開く。
きっと彼は彼女を想い、姿を見せるだろうとは思っていたものの、このタイミングで彼とはち合わせるのは予想外のことであった。
「私たち、お邪魔かな!?」
「こっそり眺めてたい気もするなあ」
ひそひそ話をし始めるアイリスとクラリス。
「そりゃ気になるけど、リーシェは仮にも病人だよね?」
「そっか。リーシェ、後で報告よろしくね!」
クラリスが満面の笑みでそんなことを言い残して、双子は病室を出て行った。
彼女たちも恋愛話が大好きな人間であることをすっかり忘れていた。
普段、司祭にこの手の話を振られることはどうしてか、日常茶飯事となってしまっていたがために。
「あの……心配、かけてしまったみたいですね」
おずおずとリーシェは口にする。
「リーシェがいなかったから、探したんだ」
「わざわざここまで来てくれたんですね」
「調子が悪そうだったと聞いてな」
「みんな、気付いていたみたいでしたから……」
今朝、寺院を出る前、フェッロとビアンカが心配していたことを思い出す。
けれども、無理を通そうとしたことでこんな結果になってしまった。おかげで依頼人やアイリス、イレーネなど、たくさんの人々に迷惑をかけてしまった自分が馬鹿らしく思えてきていた。
「ちょっと手、出せ」
「はい……!?」
リーシェはなんとなしに左手を出す。そんな彼女の手を、キジャは強く握っていた。
思わず赤面するリーシェではあったが、かける言葉が思いつかなかった。
「……辛かっただろ」
「大丈夫……ではなかったです」
わずかな沈黙の後の訂正。大丈夫、と言いかけたところで、大丈夫でないことに気がついた。
「誰かのために歩いてきたのに、結果として皆の迷惑になってしまった。そんなわたしが、情けなくて、仕方なくて……」
リーシェは続ける。それは、弱音がこぼれ落ちた瞬間だった。
今まで、誰にも心配をかけるまいと、心の奥底にある想いを表にしないように生きてきた。彼女の想いを知っているのは、契約精霊のクレンだけだった。
「もういい。お前が元気になってくれれば、それでいいんだ」
「あなたも、この街の皆さんも、優しすぎるんです。どうしてわたしなんかに、そうやって一生懸命になれるんですか」
「優しすぎるのはお前のほうだ、リーシェ。無茶が過ぎる」
すれ違いが生じる言葉。互いに、譲る気はないようだった。
「……ただぼんやりとなんとなく生きるのは、もう嫌だったんです。けれども今、こうしてぼうっとしているだけだなんて」
病室に横たわったまま、リーシェは嘲るように呟く。その気持ちが、彼女の行動の原動力であった。
しかし、動力があっても、燃料が切れていては行動できない。そんな状況に、リーシェはもどかしく感じていたのであった。
「なら、この手は離さない」
「それは困ります」
リーシェはかろうじて残っている手の力で、キジャの手を離そうとした。けれども、手は握りしめられたままだ。振りほどこうとしても、キジャは離してはくれなかった。
「その手を離したら、お前はまたどこかに行ってしまうだろう」
「行きませんよ。……少しだけ、眠らせてくださいね」
朦朧とする意識の中で、リーシェは目を細めた。言葉にしてみたものの、リーシェ自身にはそれが確証できるとは思えなかった。
この言葉が嘘なら申し訳がなくて、でも彼を不安がらせたくなくって。
ただ、一刻も早く元気になりたかったというのが現状であった。
まどろみに落ちてゆく少女。その表情が少しだけ穏やかになったことに、誰が気付くことができようか?
それはきっと、彷徨う手を握りしめてくれる人がいる心強さであって。
調子を悪くすると、どこか不安感に襲われるものだ。そんな時だからこそ、彼女はキジャのまっすぐな想いにほっとしたのだろう。
温度を無くしていても、その暖かさを感じられたのが不思議だった。
今回の更新分で、以下のキャラクターをお借りしました。
イレーネ(考案・美羽さん、原案・タチバナナツメさん、デザイン・汀雲さん)
イオリ(考案・香澄かざなさん、デザイン・宗像竜子さん)
クラリス(考案、デザイン・緋花李さん)