the past episode・2 秘めた意志は光に変わる
「クレン。わたしと契約して」
それは、ある夕方のこと、リーシェがありったけの勇気を振り絞った言葉だった。言い出すまでに、どれだけ悩んだことかわからない。
彼女が望んだことは、精霊クレンと契約して魔法使いになること。
クレンと出会ってからのこと、リーシェは頻繁に彼と会うようになっていた。不思議と意気投合して色々なことを話したような気がするが、そんな中で知ったのは、クレンは迷える霊を天に還す、浄化の精霊であるということ。それが故に、他の霊たちから浮いていたということ。そして——。
「だめだよ、リーシェ。ボクと契約すればキミは温度を失うことになる。あったかいものをあったかいとも、寒い時には寒いとも、もう二度と感じられなくなるんだよ? キミは本当にそれでいいの?」
精霊と契約して魔法使いになるためには、重い条件を課されることとなる。
契約のためにクレンが課した条件は、「温度感覚を一切感じられなくなる」ことであった。
「温度なら、心で感じられれば大丈夫。それよりも、魔法がわたしにもたらすもののほうが大きいと思うから」
温度のない世界は、どんな風に感じるのだろう? きっとこれから何かと不便になることは間違いないと、不安がない訳ではなかった。それでも、リーシェの心に恐れはなかった。
きっとクレンの力を借りれば、迷える霊たち、そして霊によって苦しむ人々を救う事ができるのかもしれない。それは、誰もが気付くことではないし、地味なことだけれども、確かに誰かの役に立つことだ。リーシェはそんなことを考えていた。
迷いなく、真っ直ぐにクレンの目を見る。
「どうして?」
それでも、クレンは首をかしげて躊躇いを見せた。
「わたし、人には視えないものが見えるでしょう? 本当は、それが嫌だった」
リーシェは語り始める。その目は、今にも涙を流すかのように震えていた。
「けれどあなたの力を使ったなら、もしかしたらわたしの目が誰かの役に立つかもしれないって思った。……あなたと契約することで、わたしの力に意味を見出せるような気がしたの」
図らずも、リーシェの瞳からは一筋の涙がこぼれていた。それは、溢れ出す想いを止められない衝動。
「泣かないで、リーシェ。そこまで言うなら、ボクの力を預けても惜しくはないかな」
「え……?」
「さあ、目を閉じて」
目を閉じたその直後、左の上腕に軽く痛みを感じた。思わず、リーシェは右手でその場所を押さえる。
「——契約は成立したよ」
押さえた右手は、ただ、左腕に触れているだけ。そこに手のひらの暖かさはなかった。
——これでいい。
リーシェは、孤独な戦いに身を投じる覚悟を決めていた。
そこに、悔いという感情はなく。恐怖という感情も、どうにか乗り越えてみせようと誓った。
「行きましょう、クレン。人々を困らせる霊を追いかけるの」
◇◆◇
リーシェはクレンとともに大通りに出た。
通りには、次々と行き交う人だけではなく、霊も所々に彷徨っていた。
「あの人、霊が憑いているみたい」
そんな中でクレンが指したのは、顔色の悪い男性だった。足下はおぼつかず、彼はただぼんやりと歩いていた。
「本当ね。力になれないかしら?」
「そんな時こそ、キミが魔法を使うべきじゃないかな」
「……よし。やってみる」
リーシェは深く息を吸い込んだ。はじめて魔法を行使することに、緊張感がない訳ではない。寧ろ、上手くできるのだろうかという不安が頭の片隅にあった。
——あなたのいる場所はそこではないでしょう?
リーシェは悪霊に向けて浄化せよと念じる。すると、霊のまわりに光が生まれていった。
霊は光から逃げ出そうと、もがいている。早めに終わらせなくてはとリーシェは思った。
——苦しいのは少しだけ。在るべき場所に還れば、あなたの苦しみも昇華されることでしょう。
光は徐々に明るさを増して、霊を包んだ。
もう少し、あともう少し。リーシェは霊を浄化することにだけ集中した。
やがて、役目を終えたのか、光は消えてなくなった。リーシェははっと我に帰る。
そこに、霊の姿はなかった。霊に取り憑かれていた男性も、調子を取り戻したようだった。彼は前を向いて、何事もなかったかのように歩いていった。
「出来た……。ほんとうに、魔法が使えた」
霊を浄化した後、リーシェは思わず立ち尽くしていた。
「うまくいったようだね、リーシェ」
「ええ。本当に、ありがとう」
思わず、笑顔がこぼれていた。魔法が使えたこと、クレンが誉めてくれたことが本当にうれしかった。
「そうだ、あの霊は低級なものみたいだったね。油断はしちゃいけないよ」
「もっと強い霊もいるってこと?」
「さっきはわりと簡単に浄化されてくれたけど、浄化魔法を打ち破るだけの力を持つ霊もいるってことだよ」
「そんな時は……」
「リーシェの力次第さ」
どこか遠くを見るようにつぶやくクレン。そんな彼の姿は後のことを知っているかのようにも見えたし、まったく分からないようにも見えた。
「もうこんな時間。早く帰らないとね」
あたりは、もう日が今にも落ちようとしていた。段々と、街灯に火がともりはじめていた。
暖かな感情を胸に、夕暮れの道を歩き出す。
いつかは、胸に秘めた夢を両親に言えるかもしれない。リーシェが歩きながらそう考えていると、小さな勇気の光がかすかに心に灯ったかのようにも感じられた——。