Ep.2 想いと言葉は、不思議なもので
これは、そう遠くない過去、とある山地の麓での出来事。
「よかった……」
幼い少女の顔には、こぼれんばかりの微笑み。
彼女が見つめる先には、翼を携える男の姿があった。彼の大きな翼には、包帯が巻かれている。
少女はただただ安堵して、ほっと一息をついていた。彼を助けることができて、本当によかったと。
「でも、ごめんなさい。わたし、もう行かなくちゃ」
少女はそっと立ち上がる。
どうか、無事で。そんな想いを残して、彼女はこの場から立ち去ろうとした。
「待て、お前の名は――」
男の問いかけに、自分の名前をぽつりと告げて——。
***
依頼を受けてから数日後のこと。
「こんにちは、リーシェさん。お手紙届いてます!」
元気な声でリーシェを訪ねたのは、郵便屋のティーア。
「わたしに……?」
「はい。間違いなく、リーシェさん宛ですよ」
ティーアはリーシェに向けて、一枚の手紙を渡した。
宛先をちらりと見る。宛名の所には、確かにリーシェ・マリエットと書いてあった。
「ありがとう、ティーアちゃん。いつもご苦労様」
ティーアに向けて、お礼の言葉を述べる。それからリーシェは会釈をし、微笑みを浮かべた。
「いえいえ、仕事ですから。それでは!」
郵便屋の少女は軽く手を挙げてから、軽い足取りで次の届け先へと向かっていった。今日も元気に、配達のため街中を駆け回っているのだろう。
ティーアから受け取った手紙を、そっと眺める。送り主は、先日依頼を受けた女性だった。リーシェは封筒を丁寧に開けると、便箋に目を通した。
そこには、きれいな字で感謝の内容が綴られている。もう彼女が霊に悩まされることはないだろうと思うと、リーシェはほっとした。
こんな風に時々、霊祓いの依頼でお礼の手紙をもらうことがあるけれども、そんな時は嬉しい。かつてもらった手紙も、引き出しの奥に、大事に保管してある。
リーシェは返事を書こうと、部屋に戻って、白紙の便箋を取り出す。
たかが返信であっても、手紙には心を込めて書きたいとリーシェは思っていた。しかし、どんな風に書けば喜んでもらえるだろうか、ということでいつも悩んでいた。
リーシェは、思いを言葉にするのが苦手だ。それは、自分の言葉で、他人にマイナスの感情を与えるのが怖いから。
幼い頃、霊の話をしては気味悪がられたことがよくあった。それが、心的外傷であるということは理解している。だから、言うべき言葉を考えては、これだと気持ちが伝わらないだろうなと、いつも思ってしまっていたのだった。
そうだ、礼拝堂に行こうと、リーシェはふと思い立つ。白紙の便箋とペンを片手に、彼女は部屋を出た。
サン・クール寺院の礼拝堂は、吹き抜けのホール状になっており、開放感のある作りになっている。高い天井に飾られているのは、巨大な絵画。この絵画には、妖精の女王ニーヴが万物を創造していく様子が描かれている。礼拝堂を訪れる人の中には、これを目当てにする人もいるようだ。
ちなみに、ニーヴというのは、ここアーガトラム王国中で広く信仰されている、妖精の女王である。
リーシェもこの絵画が好きだった。見るたびに心が落ち着いて、雑念から生まれるノイズを洗い流せるような気がする。まるで、ニーヴが空の他に何もなかった世界に、海や大地、数多の妖精を生み出していったように。
しばらくの間、リーシェは天井を見上げて、ぼんやりと考えにふけっていた。
「リーシェ、ここにいたのか」
そう、誰かの声が聞こえるまでは。
礼拝堂には何時間もいたような気もしなくもないが、実際にはわずかな時間しか経っていなかった。
「キジャさん!? な……何をしに来たのですか?」
リーシェははっと我に帰り、ちらりとキジャのほうを見る。彼はアーラエと呼ばれる、有翼の一族であった。この国にないいでたちをしていることもあって、姿は非常に目立つ。
ただでさえキジャは大柄であるものの、リーシェは椅子に腰掛けていたために、彼を見上げるような形となっていた。
「リーシェに会いにきた」
ためらいもせずに口にするキジャ。返答はそんなものだろうと思っていたが、聞くだけ無駄だった。リーシェは軽くため息を漏らす。
アーラエは概して、かつての出来事から人間を憎んでいる――のだが、キジャはリーシェに会うために頻繁に寺院を訪れていた。それは、リーシェが幼い頃、怪我をしていたキジャを助けたことがはじまりだった。
それは偶然に過ぎない出来事。けれども、キジャにとって見れば、人間に対する見方が変わった瞬間だった。彼はその後、この街で再開するまでのこと、リーシェをずっと探していたのだそうだ。
そんなことも知らないままリーシェは、やっとのことで見つけた信念を胸に、ここ、ティル・ナ・ノーグへとやってきたのだけれども——。
「わたしはこの通り、手紙を書こうと思ってた所なんです」
困ったように、リーシェは手紙に目を向けた。
「手紙?」
「はい、先日の仕事のお礼に、手紙をいただいたんです。そのお礼を書こうと思いまして」
「道理で見かけなかった訳だ。……探したんだ」
「わたしなら、一人でも大丈夫です。それに、クレンもついてますし」
「あいつにリーシェを守れるのか」
クレンの名前を出した途端に、気に食わないと言ったようにキジャはむっとする。
「わたしが相手にしたのは霊ですから。……魔物退治に行くような、大袈裟なことじゃないんです」
リーシェは思い切って、自分の意志を告げた。
「だが、それでも」
「リーシェくんも罪作りだねえ」
いくら心配されたとしても、これだけは譲れない。それを口にするかで迷っていた所で、また別の声がした。
「司祭様!?」
礼拝堂に現れたのは、サン・クール寺院の責任者、ホープ・ノルマン司祭だった。
「いやあ、面白いものを見せてもらったよ」
教典を持ち、穏やかな笑みを浮かべるホープ司祭。
彼は、一見聖職者らしい聖職者のような風貌をしている。だが、噂話、特に人の恋愛話には目がない性分だった。リーシェも、彼の癖にはたびたび頭を抱えている。
「そんなに面白かったですか……?」
「キジャくんとクレンくん、ね」
困惑するリーシェ。司祭に言われて、キジャのほうにちらりと目を向ける。
クレンは姿を消して、眠っていた。
「あの、クレンはわたしの精霊であって、なんて言ったらいいか分かりませんけど……えっと、あくまで友達のような、家族のようなものなんですよ。キジャさんは……」
言いかけた所で、言葉を詰まらせる。
自分の想いに正直な所に憧れていた、と。
そう言いたかったけれども、言葉にできるはずがない。真っ赤になって、リーシェはうつむく。
「好きだ」なんて、そう簡単に言えるものじゃない。それを普通のことであるかのように言う彼が不思議で仕方がなかった。
眉のあたりで切りそろえた前髪が目にかかったが、そんなことまでに気をかけていられない。寧ろ、このまま何も見たくなかった。
「またまた。リーシェくん、いつまでたってもそんなんじゃ」
「あの、わたしは部屋に戻りますね!」
ホープの言葉を遮って、そそくさと、リーシェは立ち上がる。
――ごめんなさい、少し一人になりたかったんです。
「待って、リーシェくん。まだ話は終わってないよ!」
司祭は呼び止めようとするものの、振り向くことなどできなかった。
「リーシェ……」
「リーシェくんはきっと、君のことで悩んでいるんだよ。私もなんとかしてあげたい所だけどねえ」
しゅんとした様子のキジャに、ぽつりと司祭が漏らした一言。それに、リーシェは気がついていなかった。
お待たせしてしまってすみません……!
展開と文章表現に迷走しつつ、やっとのことでEp.2、書き上げました。
今回は、ティーア(考案&デザイン・相良マミさん)、キジャ(考案&デザイン・タチバナナツメさん)、ホープ(考案・トラムさん、原案・タチバナナツメさん デザイン・猫乃鈴さん)をそれぞれお借りしました。
イメージどおりに書けているか、心配、です……。
ペース上げていきたいところですが、次回もちゃんと更新できるよう頑張ります!