Ep.8 天に架ける道
寺院に戻り、朝食をとった後、リーシェは杖を片手に出かけて行った。
倒れてしまった後に、出来なかった依頼を果たすため。リーシェがやってきたのは、古びた家だった。
その家は、元々空き家だったそうだ。取り壊しが予定されていたものの、調査のため中に入った者たちは、次々と霊たちに追い出されたらしい。彼女を浄化することが、リーシェに寄せられた依頼。
——もう、大丈夫。根拠はないけれども、彼女にはそんな確信があった。
霊と対峙することは孤独な戦いではあるけれども、決して独りではない。様々な人たちの支えがあるからこそ、今まで立っていることができたのだ。
リーシェが一歩中に入ると、それを認識した霊たちがやってきた。
「ただじゃ入れてくれないってことですね」
リーシェは杖を構える。
近づいた霊たちを次々と浄化し、建物の奥へと入ると、一人の少女の霊がいた。
ほかの霊たちは姿が朧げで、大人しく浄化されてくれたものの、彼女は違うとリーシェは直感した。彼女こそ、この屋敷の霊を従える存在なのだと。
少女の霊は、生者に近い程はっきりとした姿をしている。年の頃は十三、四くらいだろうか。彼女は俯いており、顔はよく見えなかった。
「あなたが、ここに住んでいる霊なのですか?」
「……だ」
「え?」
リーシェが問いかけても、少女の声はかすかにしか聞こえない。
「嫌だ。あたしはまだこの世にいたい!」
尋ね返した所、少女は彼女の目には、狂気が宿っていた。
一筋ならではいかない相手だと、リーシェは直感した。
「邪魔をするのなら、容赦しないんだから。やっちゃって!」
霊たちはリーシェを取り囲んで、彼女の魂を引っぱり出そうとする。
彼らにおよそ意識と呼べるものはなかった。ただ生きたいという本能だけが、彼らを現世に縛り付けていた。
「そうはさせないよ」
リーシェに近づく霊たちに、クレンはとおせんぼをする。
多数の霊たちに対して、こちらは人間ひとりと精霊ひとり。数からすれば、リーシェとクレンは不利な立場った。
「……生に執着していることならば、わたしも同じですから。手荒な真似をしてごめんなさい」
霊たちは浄化魔法に抗おうとしたが、最終的には力尽きた者たちから、順々に浄化されていった。
「これで残りは、あなた一人」
残された少女に、リーシェは近づく。
「どうしてもあたしを連れて行こうとするんだったら、道連れになってよ!」
「それはできないわ。この世界には、わたしを心配してくれる人たちがいるから」
「だったら尚更!」
「あなたは、一人でいるのが辛かったの?」
リーシェはそっと少女を抱きしめようとする。それは、一か八かの決断だった。
しかし、抱きしめようとしても、リーシェの腕は少女の体をすり抜けてしまった。
「それが何? だったら一緒に死んでくれるっていうの?」
リーシェの腕をすり抜けた少女は、相変わらず悪態をついたままだ。
「わたしにはなすべきことがあるから、死ぬことはできないわ。あなたも、理由があるからこそ現世に留まっているのでしょう。そうまでしてここにいたい理由は、何?」
冷静になれ、そうリーシェは自己暗示をする。少女の刺のある言葉は胸に突き刺さった。けれども、ここで怯んでしまったら一貫の終わりだ。
「行く当てもなく彷徨って、たどり着いた先が、ここ、ティル・ナ・ノーグだった。楽園のような街だったよ。……この街に住んでる人たちが、羨ましかった。ほんとは、あたしもその中に加わりたかった」
「わたしは、あなたを生き返らせることは出来ない。死というものは、避けられないものなのだから」
「そんなの知っていたよ。けど……」
「わたしにはあなたが視えて、あなたと話をすることが出来る。けれども、他の人がそうかと聞かれたら、頷くことはできないわ。ここにいる限り、あなたは苦しみ続けることでしょう」
「もう、ここにいちゃいけないってこと?」
「いいえ。本当にあなたが幸せになれるのは、この世界じゃないというだけよ。——さあ、行きなさい」
「ちょっと待って。名前、なに?」
「リーシェよ。リーシェ・マリエット」
「ありがとう、リーシェさん——」
少女は笑う。それは最初で最後の、彼女が見せた笑顔だった。
だからこそなのか、その笑顔は、リーシェの脳裏から焼き付いて離れなかった。
——やっと、答えが見つかったような気がした。
決して救われなかった霊たちへ、最期に希望を残していくことが、自身の役割なのだと。
彼らを見ると、幸せに生きることが罪であるように思えていた。彼らにとってみれば、幸せそうな生者たちはさぞ憎たらしいだろうと。
けれども、今は違う。彼らが生きたかったぶんまで、自分が精一杯生きていくべきなのだ。
人生は、たった一度。やり直すことは叶わない。霊になったからといって、ふたたび生者として生きることは叶わない。
だからこそ、霊たちを天へと導き、そして人々を生へと導ける存在になりたい。そう、リーシェは心に誓った。
彼女の決意した道。まさにそれは、天に架ける道だった。