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210年田疇、袁尚を弔う

 それから三年が過ぎた。


 北方では、戦の気配が少しずつ薄れていた。

 白狼山で【蹋頓】が討たれ、【烏桓】の大勢は決した。

 【袁尚】と【袁熙】も遼東へ逃れたが、やがて【公孫康】によって殺された。

 その知らせが北方へ届いたのは、戦が終わってしばらく経ってからだった。

 【田疇】は、その話を聞いても何も言わなかった。


 ただ、しばらくしてから、一人で柳城の外へ出た。

 そこには、戦の後に残されたものがいくつかあった。

 壊れた武具。

 朽ちた旗。

 そして、誰のものとも分からなくなった墓。


 【田疇】は、その中の一つを見つめていた。


「【袁尚】を弔うつもりですか?」


 後ろから声がした。


「ああ」

「やめた方がいい」


 相手は声を低くした。


「【袁尚】は【曹操】様の敵だった。

 敵対した者を弔うことは、今の軍では問題にされる」

「分かっている」

「ならば、なぜ?」


 【田疇】は墓の方を見た。


「死んだからだ」

「それだけですか?」

「ああ」


 短い答えだった。


「生きている間は敵だった。

 だから戦った。

 だが、死んだ者まで敵として扱う必要はない」


 周囲の者たちは顔を見合わせた。


「それでも、処罰されるかもしれません」

「そうかもしれない」

「ならば……」

「それでも私は弔う」


 【田疇】はそれ以上、何も言わなかった。

 小さな墓を作った。

 大きなものではない。

 名前を刻んだ石もない。


 ただ、土を盛り、乱れた地面を整えた。

 そして、静かに手を合わせた。

 【袁尚】がどのような人物だったのか。

 何を望み、何を失い、どこで道を誤ったのか。


 【田疇】には分からない。

 かつて多くの人々を従え、袁氏の勢力を背負っていた男が最後には辺境で命を落とした。

 それだけは確かだった。


「……これでいい」


 【田疇】は立ち上がった。

 その後、弔いのことは曹操軍にも伝わった。

 周囲には、処罰されるのではないかと心配する者もいた。


 だが、何も起こらなかった。

 呼び出されることもなかった。

 咎められることもなかった。

 ただ、それだけだった。




 【微】は不思議そうに尋ねた。


「怒られなかったね」

「ああ」

「どうしてだと思う?」


 【田疇】は少し考えた。


「分からない」

「でも、よかった」

「そうだな」


 【微】は墓の方角を振り返った。


「敵だったのに、弔っていいんだね」

「弔うことと、許すことは違う」


 【田疇】は答えた。


「【袁尚】を弔ったからといって、あの人のしたことまで肯定するわけではない」

「うん」

「戦うべき時には戦う。

 だが、戦が終われば、死者は死者だ」


 【微】は黙って聞いていた。

 白狼山で【蹋頓】を討った時も、【田疇】はそれを否定しなかった。

 戦場では、敵として刃を向けられた。

 だから戦った。

 だが、戦うことと憎み続けることは同じではない。


 【田疇】はそう考えていた。




 三人は馬上から、静かな村を見つめていた。

 まだ煙は上がっている。

 まだ人もいる。

 まだ、村と呼べる。

 けれど、少しずつ変わっている。

 戦が終わった。

 道も開いた。

 人々は、ようやく自由に動けるようになった。

 その代わりに、ここに残る人は少なくなっていく。


 【田疇】は何も言わなかった。

 ただ、馬上から村を見つめていた。

 【微】も、その隣にいる。

 【力】も、少し離れたところから村を眺めている。

 そこには、まだ人の暮らしがある。

 けれど、かつてのような姿ではない。

 【田疇】が目指した道は、人を外へ運んでいく。


 人が自由に行き来できるようになったからこそ、この村に留まる理由も少なくなっていく。


 それは間違いではない。

 けれど――


 【田疇】は、かつてこの場所にあったものを知っていた。

 争いから離れ、人々が互いに支え合いながら暮らしていた場所。

 外の世界と隔てられながらも、そこには確かに人の暮らしがあった。

 それは、【田疇】にとって一つの理想だった。


 ――無何有郷。


 何もないからこそ、争いもない。

 人が人として生きられる場所。

 だが、そこに人が住み続けるためには、外の世界から切り離されているだけではいけない。

 道を拓けば、人は外へ出ていく。

 外と繋がれば、村は変わっていく。


 それでも【田疇】は、道を閉ざそうとは思わなかった。

 人が自由に生きるためには、自由に出ていける道も必要だからだ。

 【微】は父の横顔を見た。


 【田疇】は、まだ村を見つめている。


 その目に映っていたのは、失われていく村だったのか。

 それとも、かつてそこにあった無何有郷だったのか。

 三人はしばらく、馬を止めたままそこにいた。

 やがて【田疇】が手綱を取る。


「行こう」


 馬がゆっくりと歩き出した。

 その背後に、村が残されていく。

 人の暮らしも。

 記憶も。


 そして――


 いつか無何有郷と呼べたかもしれない場所も。

【袁尚】を弔った話。

【田疇】は魏の法を犯すも不問とされた。


三国志の注釈で【裴松之】は【田疇】が【袁尚】が死ぬ原因を作ったのに弔うのは偽善だと断じていますが、

【田疇】はただ、村に恩があった人物を弔っただけ。それだけです。

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