196年③微、村に暮らす
秋。
朝から村は慌ただしかった。
収穫の時期だった。
畑では大人たちが作物を集め、子供たちも小さな籠を抱えて走り回っている。
【微】もその中にいた。
「こっちはもう終わったよ!」
「じゃあ、次はあっちを頼む!」
「分かったわ!」
【微】は籠を抱えて走った。
以前なら、村の仕事を手伝うことなど考えもしなかった。
自分の荷物をまとめ、馬に乗り、どこかへ行く。
それが当たり前だった。
けれど今は違う。
誰かに頼まれれば手伝う。
足りないものがあれば取りに行く。
馬が必要なら馬を出す。
気がつけば、そんなことが自然になっていた。
「微!」
村の子供が駆け寄ってくる。
「馬、借りてもいい?」
「今日は駄目」
「なんで?」
「昨日、走らせすぎたでしょう」
「でも元気だよ」
「馬が元気でも、明日まで元気とは限らないの」
「……分かった」
子供は不満そうに戻っていった。
【微】は笑った。
「馬のことになると、すっかり先生だな」
背後から声がした。
振り返ると、【田疇】が立っていた。
「先生じゃないよ」
「では何だ?」
「馬の番人」
「随分と大げさだな」
「大事なことよ」
【微】は笑った。
【田疇】はふむ、と手を顎に添える。
「馬がいなくなったら困るでしょう?」
「ああ」
【田疇】は村を見回した。
畑では人々が働いている。
家々からは食事の匂いが漂ってくる。
子供たちの声も聞こえる。
「……馴染んだな」
「そう?」
「以前は、村の仕事を手伝うのも面倒そうにしていただろ」
「そんなに態度に出てた?」
「かなり」
「覚えてないなあ」
【微】は笑いながら籠を持ち上げた。
「でも、今は別に嫌じゃないよ」
「そうか」
「だって、みんな忙しいし」
【微】は周囲を見る。
「私だけ何もしないのも変でしょう?」
【田疇】は手を顎に添えたまま何も言わなかった。
【微】は少し考える。
「……それに」
「何だ?」
「ここにいるなら、手伝った方がいいもの」
【田疇】が【微】を見る。
【微】はそれに気づかず、籠の中身を確認していた。
「これ、どこに持っていけばいい?」
「あっちだ」
「分かった」
【微】は歩き出した。
少し進んでから、振り返る。
「【田疇】さん!」
「何だ?」
「今日の夕飯、何?」
「知らん」
「じゃあ聞いてきて!」
「自分で聞け」
「もう手が塞がってるの!」
【田疇】は呆れたように息を吐いた。
「……はぁ、分かった」
「ありがとう!」
【微】は笑って走っていった。
夕方。
仕事が終わる頃には、空が赤く染まっていた。
村の人々が家へ戻っていく。
【微】も馬を厩へ戻した。
水をやる。
飼葉を入れる。
最後に首を撫でる。
「今日もお疲れさま」
馬が鼻を鳴らした。
「明日もよろしくね」
【微】は笑った。
厩を出る。
村の道を歩く。
以前なら、この時間になると帰る場所を考えていた。
今日中に戻れるか。
どこで泊まるか。
明日はどこへ行くか。
そんなことばかり考えていた。
けれど今は違う。
夕方になれば、自然と足が向かう場所がある。
食事をする場所がある。
話をする人がいる。
明日の予定もある。
【微】は村の中を見回した。
子供たちが遊んでいる。
大人たちが今日の仕事について話している。
誰かが笑っている。
それを見ながら、【微】は足を止めた。
「……帰ろう」
そう呟いてから、少しだけ笑った。
帰る。
その言葉が、以前とは違って聞こえた。
ここへ来る前は、故郷へ帰ることを意味していた。
今は違う。
【微】が歩き出した。
向かう先は、山の上にある庵だった。
【田疇】のいる場所。
そして、自分が暮らしている場所。
「ただいま」
庵の前で声をかける。
中から【田疇】の声が返ってきた。
「おかえり」
その一言を聞いて、【微】は少しだけ目を丸くした。
それから、笑った。
「……ただいまって、いいね」
【田疇】は何も答えなかった。
【微】は庵の中へ入った。
外では、秋の風が松の枝を揺らしていた。
いつかまた、遠くへ行く日が来るかもしれない。
それでも今は、この村で暮らしている。
それでいいと思えた。
【微】にとって、この村はもう「滞在する場所」ではなかった。
帰ってくる場所になっていた。
なんだかんだ居着いた話。族長の娘、遊学とも言えるかも?




