第16話:突然の勧誘!即答でお断り!
机の上に積み上げた辞典と図鑑の山が、今にも崩れそうに揺れていた。
ページをめくるたびに、乾いた古い紙の匂いがツンと鼻をくすぐった。
「……あ、これかも!」
私は図鑑に栞を挟んで、指先でなぞりながら細かい文字に目を走らせた。
その時――
ガチャァァンッ!
「アニー=キャンベル! お話がありますわ!」
「ひゃっ!?」
図鑑の山がガサガサと揺れ、ひとつがグラリと傾いた。
「わっ――!」
咄嗟に手を伸ばして支え、なんとか崩壊を防ぐ。
ホッと胸をなで下ろしてから、私は騒ぎの元凶をジトリと見やった。
「あの……どちら様でしょうか」
縦ロールの金髪がふわりと揺れ、ジルコンのような明るい青の瞳が勝気に光った。
控えめに金の刺繍が施された黒のロングコートの裾から、スラリとした手足が覗く。
黒い手袋に包まれたその手には、見覚えのある金属製の箱――“アニー缶”が握られていた。
「あら、私のことをご存じない? とにかく、今すぐこれをご覧なさい!」
スタスタと私の机の前まで歩み寄り、コトンと缶詰を机に置く。
椅子に座った私は、彼女の勝ち誇ったような笑みに見下ろされていた。
「あー……彼女は先端開発室の室長、オーレリア=フォン=アルケイン嬢だ」
開きっぱなしの扉から、申し訳なさそうに課長が顔を出した。
先端開発室……たしか、ここ食料課じゃなくて、技術研究課だったかな?
ぼんやりと職場の組織図を思い浮かべながら、机の上の缶詰を手に取った。
「……あれ、これ、“開け口”がついてるの?」
フタについた油紙をめくると、その下に小さな魔法陣が隠されていた。
魔法陣から伸びる細い線は、フタの外周をぐるりと一周している。
「ふっ……気づいたようですわね。流石だわ」
オーレリアが嬉しそうに声を弾ませ、閉じた扇でピッと缶詰の上を指した。
「フタに使う金属に魔石クズを混ぜましたのよ」
「開けようとすると、周囲が脆くなってフタが開くんだ……すごい」
オーレリアの声のトーンがさらに上がり、開いた扇で口元を隠す。
「おーほっほっほ。私にかかれば、この程度の魔術回路など朝飯前ですわ」
私は隠れていた小さな魔法陣に指先をそっと置いた。
ひんやりとした金属の感触が伝わる。
数秒ほど触れ続けていると――
チリ、と魔法陣が淡く光り、線に沿って一瞬、光が走った。
パキリ。
小さな音を立てて、フタの縁がポロリと外れた。
「触れてただけで……!」
「先端開発室の技術力はいかがかしら? “缶切り”なんて必要ない、誰もが手軽に使える仕組みですわ!」
驚く私に、勝ち誇ったように薄い胸を張り、扇の影からにっこりと笑みをのぞかせる。
「アルケイン室長。そろそろ本題を話しては?」
ソファーに腰を据えた課長が、低い声で口を挟んだ。
いつにも増して険しい眉間の皺を、揉みほぐすように指で押さえ、こぼれるため息が隠せていない。
「そうでしたわね。 アニー=キャンベル、あなたにお話がありますの」
オーレリアは扇をパタンと閉じ、ぐっと身を乗り出す。
「うちの先端開発室に来なさい!」
「えっ」
あまりに勢いが強すぎて、私は思わず椅子ごと後ろにのけぞった。
「あなた作る保存食は確かに素晴らしいですわ。でも一番はその発想力でしてよ!」
オーレリアがガシリと私の手を掴む。
細腕なのに、思った以上に力が強い。
「食料課なんて狭い枠に収まっている場合ではありませんわ! 私とともにもっと高度で大規模な開発を――」
「あ、スミマセン、無理です」
「――しましょ……なぜでしてっ!?」
悲鳴のように声を上げ、オーレリアの青い瞳がこぼれんばかりに開かれる。
ぱっくりと開かれた口のまま動かない……まるで世界の理が崩れたかのような驚き顔だ。
「え、えっと……その……」
私は掴まれた手をソロリと引き抜きながら、言葉を探す。
「何て言うか……好きなんです。保存食を考えるの」
開いた缶詰の縁を指でなぞりながら続ける。
「この缶詰も、“保存のため”に作っただけ。私は、仕組みそのものの研究がしたいわけじゃないんです」
オーレリアの目がぱちぱちと瞬いた。
“理解できない”という感情がそのまま表情に出ている。
「……保存のため、だけ?」
「はい。食べ物を長く安全に、美味しく保つ方法を考えるのが楽しいんです」
オーレリアは言葉を失ったまま、数拍、ただこちらを見つめていた。
「もういいでしょう。アニーはここ、食料課に残る。そう言いましたよ」
沈黙を破り、課長が静かに言い切った。
その声は、先ほどよりわずかに明るい。
カップを取り上げ、ゆっくりと紅茶をひと口。
珍しく眉間の皺が消えていて、どこかほっとしたような表情だった。
「くっ……なぜですの。貴女ほどの才能が、保存食のためだけになんて……」
「あ、あはは……私なんでまだまだで……」
苦笑いしながら視線をそらす。ヒヤリとした嫌な汗が背中を這った。
私はただ、知っていた物を再現しただけだ。
ロークやオーレリアのように、知識や技術を積み上げてきたわけじゃない。
異世界の記憶という借り物を形にしただけの私が、“本物の技術者”の役に立てるとは、とても思えなかった。
「……そういえば、ダンジョンの視察から戻ったばかりだというのに、もう次の開発を?」
カップを置いた課長が、ちらりと私へ視線を向ける。
その目は、机に積まれた本の山へとすぐに移った。
「あ、はい。冒険者の現場を体験して、どうしても作りたいものができて……」
「よろしければ、何を作ろうとしているのか、教えていただけませんこと?」
オーレリアの目が新たな興味にキラリと輝いている。
私は、コホンと小さく咳をして、ピッと人差し指を立てた。
「作りたいのは、冒険者に絶対必要なものです!」
「ほう……必要なものとは?」
課長が目を細めて問いただす。
「それは……一瞬で食べられるごはんです!」
「「は?」」
課長とオーレリアの声が重なった。
だが、そんな驚きは今の私には一切届かない。
「ダンジョンで私たち、狼の群れに襲われたんです! それはもう、すっごい怖くて……! 冒険者の活動って、本当に常に危険と隣り合わせなんだって、身に染みてわかったんです!」
胸の奥が熱くなり、言葉が止まらなくなる。
拳にぎゅっと力が入り、自然と前のめりになっていた。
「だから! 警戒しながらでも、サッと食べられるごはんがあれば絶対に役立つんです!」
気づけば、勢いそのままに椅子から立ち上がっていた。
さっき図鑑で見つけた、あの赤い海藻――その姿がふっと頭をよぎる。
一刻も早く確かめに行きたくて、もうじっとしていられない。
「絶対に作って見せますよ! 10秒で食べれる“瞬間飯”を!」
「……そう、か。無理は、しないようにな」
一拍置いて課長が声を発した。
その声音には心配が混じっていたが――今の私にはもう止まれない。
「はい! オリヴァーとロークさんにも手伝ってもらいます! では私、早速市場に行ってきます!」
勢いよく宣言すると、私は図鑑をつかみ、バタバタと部屋を飛び出した。
来客を残したままなのは気になったけれど……まあ、課長なら何とかしてくれるだろう。
背後で、オーレリアの「ちょ、ちょっと!」という声が聞こえたが気にしない。
イメージはすでにあるんだ。立ち止まってなんかいられない。
扉が閉まる直前、課長の小さなため息が聞こえた気がした。
☆や感想を頂けましたら、これ幸い。




