その名はアニー缶
数多の物語より出会えた、めぐり合わせに感謝を。
精一杯綴らせていただきました。
前作「給食おじさんの異世界食育」もよろしくお願いします。
月明かりの下、ぱち、ぱち、と乾いた枝が弾ける音が、夜の野営地に小さく響いた。
緩く吹く風に焚火の橙が揺れ、立ち昇る細い煙の筋が、夜空へ向かってくねりと曲がる。
冷えた空気の中、温もりを逃すまいと火を囲む三人の視線の先には、草臥れた黒い手鍋がひとつ。
湯気を立てる湯の中で、金属の小さな箱――“缶詰”が、ころりと揺れている。
「あつっ! あっつい!」
小さな手で缶詰をお手玉しながら、小柄な少女が声をあげる。
熱さに苦戦しながら缶切りの刃を立てる少女の赤銅色の髪が、焚火の光をきらりと返す。
「うーん……やっぱりもっと縁を厚くしないと、缶切りが滑っちゃうな……」
ブツブツと小言を呟く少女の手が、キコキコと閉じられた缶を切り開けていく。
刃を半周ほどさせ、フタをめくるようにこじ開けると――
ふわり、と湯気が立ちのぼった。
脂が照りを返す山鳥の煮込みが顔をのぞかせ、濃い肉と香草の香りが夜気に溢れた。
「うん……いい匂い……!」
ペリドットを想起させる少女の緑の瞳が、きらりと輝いた。
「よし、では頂き――」
「やっぱおいしいね! これ!」
喜ぶ男の声が、少女の言葉をあっさりと遮った。
「……オリヴァー、もう食べてるの?」
「もちろんさ! 身もいいけど、この残り汁。パンにつけても最高だ~」
オリヴァーと呼ばれた短い栗毛の巨漢は、焼いたパンを片手に、鶏肉、鹿肉、魚……と、次々と缶詰を平らげていく。
頬をゆるませ、食べるたびに「うまい!」と膝を叩き、素直な賞賛をあげた。
「すごいね、アニーの考えたこの缶詰! “アニーの缶”って呼ばれるだけはあるよ!」
「ま、まあね……」
アニーと呼ばれた少女は、恥ずかしそうに言葉を濁すと、頬を掻きながら視線を逸らした。
胸の奥のむずがゆさを我慢するように、アニーは缶詰へそっと視線を落とした。
アニーのこれまでを思い起こすように、じんわりとした缶の温かさが掌に染みこんでいく。
――アニー=キャンベルが考案した携行保存箱、通称“アニーの缶”。
安い装飾品に使われる柔らかい金属、“軽粗鉄”を薄く伸ばして作った鉄の箱だ。
その中に瓶詰めと同じ要領で保存料理を詰め、蓋をかぶせて、溶かした軽粗鉄で封をする。
瓶詰より壊れにくくて、運びやすい。
しかも、なぜか瓶より長持ちすると、気づけば評判になっていた――私の発明だ。
……正確に言えば、“私だけの”発明ではないのだが。
そう、私にはいわゆる前世の知識がある。
冒険者支援技術開発局・生活改善部・食料課に配属された私が、最初に携わった仕事は瓶詰めの輸送だった。
その瓶詰めが割れやすいと聞いた瞬間、胸の奥がざわりと揺れた。
「だったら缶詰にすればいいのに……」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
その一言をきっかけに、前世の記憶が一気にあふれ出したのだ。
けれど、私が前世で何者で、どんな人生を送っていたかは、今はどうでもいい。
前世の知識を頼りに作った缶詰は、商人たちに目を付けられ、あっという間に広まった。
瓶詰めより軽くて丈夫な“アニーの缶”は、遠征隊や騎士団でも採用が検討されるほどの評判になり、
その成果から保存食の研究部署――“糧食係”まで新設されてしまった。
そして気づけば私は、その主任として個室まで与えられていた。
たった一人の“糧食係”に、入社したての新人なのに、である。
……恐るべし異世界知識。ほんと、どうしてこうなったんだろう。
――大きな影がもぞりと動き、私はハッと物思いから覚めた。
隣では、オリヴァーが嬉しそうに体を揺らしながら、追加の缶詰を背嚢から取り出していた。
食いしん坊な彼の姿を眺めつつ、少し冷めた缶詰を口に運ぶ。
山鳥のモモ肉をかみしめると、本来は硬めのその肉は十分に柔らかく、たっぷりの汁気があふれ出る。
味も、保存性も、持ち運びのしやすさも、前世の知識を頼りに再現した自信作。
工夫の余地はまだあるけど、十分美味しいし、これから――
「ふん……まぁ、悪くはねぇな」
視線の端。
焚火から少し離れた風上で、低い声が夜気を裂いた。
「ロークさん……」
私とオリヴァーがそちらを向くと、岩の上に腰を下ろした黒外套の男が、月明かりに浮かび上がった。
ローク=スモーカー。
冒険者上がりという異色の経歴を持つ同僚。
さらに今回のこの、現地試験の護衛も兼ねている。
ロークは岩の上で片膝を立てたまま、厚手の革コートの上に置いた缶詰の中身をつついていた。
「こいつは……山鳥か」
器用にナイフで開けた缶詰から中身を取り出し、ゆっくりと口に運ぶ。
噛む音ひとつ立てず、ただ淡々と味を確かめるように目を細めた。
埃っぽい灰色の髪をひとまとめに後ろで縛る浅黒い肌に、左目を切るように走る傷跡。
防具も兼ねたコートの内側にはナイフだけでなく、様々な道具がしまわれているらしい。
「ど、どうでしょうか……」
年上の、粗野な男の隠さない荒々しい雰囲気に、私の問う声が震える。
「味付けも香草の使い方も、肉の締まりも悪くねぇな」
温度のない彼の声からは、美味しさや喜びは感じられない。
幾つかの缶の中身を確かめた後、革袋の水をゴクリと飲み干した。
「――だがな、これじゃ足りねえよ」
吐く息と共にロークは冷たく評した。
一陣の風に焚火の橙が揺れ、彼の浅黒い横顔に鋭い影を落とす。
「冒険者は基本、大食いだ。……まぁ、そこのデブほどじゃないがな」
「で、デブはひどいな~、事実だけど」
オリヴァーの苦言は私の耳をすり抜け、その一言は胸をぎゅと締め付けた。
味は悪くない――そう言われたばかりなのに、缶詰の“欠点”を突きつけられたような気がした。
「軽粗鉄製とはいえ、これを何個も持ち歩くのか? ずいぶんな重さになるだろうな」
……言われてみれば、その通りだ。
手の中にある缶詰が急にズシリと重く感じた。
パンや干し肉、他の糧食と合わせて量を確保するとしても……汁気の多い缶詰はどうしても、重いのだ。
考え込む私を見て鼻を鳴らしたロークは、空になった缶を指先で弾いた。
カン、と乾いた音が夜気に溶けた。
「ま、立派な“保存食”だと思うぜ」
――ザバン。
突然の水音に、私は思わず顔を上げた。
その先には、焚火に向かってロークがゆっくりと歩みを進めている。
「だがな……」
どさり、と湿った重みのある音が、彼の背から地面に落ちた。
焚火の揺らめきと立ち昇る煙のせいで、向こうは長い影のようにしか見えない。
「だが、俺にはそんな問題は関係ない」
スッと座り込んだロークは、降ろした何かに手を伸ばし、作業を始めた。
焚火越しの橙に照らされた彼の顔だけが、不意にこちらを向いた。
ニッと白い歯をのぞかせて、冒険者上がりの発明家が獰猛な笑みを浮かべた。
「教えてやるよ。冒険者が求める本物の飯ってやつをな」
その時、私は彼の経歴――所属をはっきりと思い出した。
私と同じように“炊事係”という、一人部署に配属されている、奇才を持つ人物なのだ。
☆や感想を頂けましたら、これ幸い。




