第19話 もう、お別れだ。
「もう、お別れだ」
ヤンキーが私に背を向けて去っていきます。
幼馴染みでずっと一緒だったヤンキーが。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか……。
☆☆☆☆☆
時間は少し、さかのぼります。
私はヤンキーと釘バットに続いて、学園長室に向けて廊下を駆け抜けていました。
と、そのとき。
ぐにゃっ。
「うあっ!?」「きゃっ!」「なんにゃ!?」
不意に、足もとが歪みました。
ああ、そうでした。この学園の場合、校舎自体が意思を持って生きているような感じなのです。
以前にもありましたが、廊下を走ってはいけないという校則を守らせるために、校舎が走行妨害をしてきたのでしょう。
私はそう考えたのですが、実際には違いました。
歪んだのは足もとの廊下だけではなかったのです。
辺りの空間すべてが歪んだかと思うと、どこからともなく色が湧き出し、私たち3人を包み込んでいきます。
「ちょっと、なによこれ!? ヤンキー、釘バット、大丈夫~!?」
声はただ空しく響くだけでした。
気づけば、私の周囲には色が溢れていました。
絵の具のついた無数の筆をいっぺんにバケツの水で洗ったような、様々な色が渦巻いているおかしな空間です。
いったい、どこなんでしょうか、ここは。
ベタに考えれば、異空間とか異次元とか、そんな場所になるのかもしれませんが。
そんなことより、ヤンキーと釘バットはどうしたのでしょう?
私はきょろきょろと周りを見渡してみます。
色がうねりを伴って渦巻く怪しい空間が、四方八方すべてを覆い尽くしています。
そんな中――。
影。
そう、影です。
なにやら真っ黒な、人の形をしているように見える影が立っていました。
顔の辺りを見てみれば、吸い込まれそうなほど真っ赤な2つの目が、ギロリとこちらを凝視しています。
「お前たち」
「ひゃっ!? は……はいっ!」
突然声をかけられ、飛び上がりそうになりながらも、どうにか返事だけはします。
今ここにいるのは私ひとりだけで、ヤンキーと釘バットはいないはずなのに、『お前たち』と呼ばれたとか、そんなことに気づくはずもありません。
ともかく、影の言葉に耳を傾けます。
影は感情のこもっていないような平坦な声で、私に向けてこう言いました。
「これ以上、学園の秘密に踏み込んでくるな。死にたくなければな」
これは、いわゆる警告というやつです!
もし素直に従わなかったら、本当に殺されてしまうのでしょうか?
影が見えるだけで表情もわからず、声にも感情が乗せられていないので、真意のほどはいまいちわかりませんが……。
ともあれ、わざわざ危険を冒す必要なんてありません。
「わかりました!」
答えると同時に、再び空間が歪み始めます。
数秒後、私の視界に映った風景は、最初にいた学園の廊下でした。
「戻ってきたのね……」
「そうだな」
「はい、そのようです!」
私の隣には、ヤンキーと釘バットも立っていました。
おそらく私と同じように、別空間で影から忠告を受けたのでしょう。2人とも、呆然とした表情を浮かべています。
「どうしようか?」
影の忠告は、学園の秘密に踏み込んでくるな、というものでした。
私たちは『不思議ちゃん探検隊』なんてグループを勝手に組んで、いろいろと嗅ぎ回り、さらには学園長さんを怪しいと考えて乗り込もうとまでしていました。
そういった活動なんて金輪際やめて、普通に学園生活を送っていくべきなのでしょう。
ただ、ヤンキーが素直に諦めるとも思えませんでした。
だからこそ、まずは意見を聞くことにしました。
もちろん、危険を承知で突っ走る方向に行きそうだったら、親友として止めようと考えていたのですが。
ヤンキーから返ってきたのは、私の想像の域を超えた答えでした。
「自主退学しよう」
「は……?」
意味がわかりません。
どうしてそういう結論に達するのでしょうか?
それなのに……、
「それがいいですね、アニキ!」
釘バットまで、ヤンキーのわけのわからない結論に同調します。
いえ、釘バットがヤンキーに同調するのは、いつものこととも言えるのですが。
それにしたって、おかしいです。おかしすぎます。
「待ってよ! ふたりとも、なに言ってるの!?」
反論しようとする私に、ヤンキーと釘バットが鋭い視線を向けてきます。
絶対零度のような、とっても冷たい視線を――。
「パシリはオレ様たちを裏切るんだな」
「え? なにそれ?」
ほんとにもう、なにがなにやら、全然わかりません。
パチクリと何度も何度もまばたきを繰り返します。
これは夢で、まばたきしたら理解できない理論を展開するふたりが消えてくれるのではないか、といった考えが無意識のうちに働いたのかもしれません。
とはいえ、当然ながら消えるはずもないのですが。
「もう、お別れだ」
そう言い捨てると、ヤンキーは私に背を向け、歩き出しました。
釘バットも黙ってそれに続きます。
「ちょ……ちょっと! どうしちゃったの!? ねぇ!」
必死に手を伸ばしてふたりを止めようとするも、なぜか体が前に出ていきません。
どうして?
本当に、これでお別れなの?
親友のはずなのに、こんな簡単に私を切り捨てちゃうの?
切なさが胸いっぱいに膨れ上がり、私という名の風船は今にも破裂してしまいそうです。
「ヤンキー! 私、ちょっとひどいことを強要されることもあったけど、でもヤンキーのことは大切な親友だと思ってるよ!
釘バットだって、高校に入ってからのつき合いだけど、時間なんて関係ないもん、同じように親友だと思ってる!
どうして私を置いていっちゃうの!? 戻ってきてよ、お願い! これからも私と一緒にいてよ!」
それは嘘偽りのない、素直な気持ちでした。
自分勝手に暴走しまくるふたりではありますが、私にとっては大切な親友です。
一緒にいて嫌な目に遭うことはあっても、それ以上に楽しい気分にさせてくれました。
そんなふたりが、私の前からいなくなるなんて。
出会いがあれば別れがあるのは世の常です。
一生ずっと一緒、なんてことがありえないのは、もとよりわかってはいます。
それでも、少なくとも同じ高校にいるあいだは、離れることなんてないと思っていたのに……。
「こんなふうに思っていたのって、私だけだったの? ヤンキーと釘バットは、私のことを親友だと思ってくれてないの!?」
悲痛な叫びが、静かな廊下に響きます。
ふたりが、振り向いてくれました。
ふたりとも、温かい笑顔を浮かべてくれています。
私も自然と、笑顔になっていました。
と、そこで周囲の風景がまたしても歪みました。
鏡が割れるように、空間が割れて砕け散ります。
さっきまで廊下だと思っていた場所も、偽りの風景だったのです!
私はヤンキーと釘バットと並んで立っていました。
場所は廊下。今度こそ、本物の学園の廊下のようですね。
しかもここは、学園長室のすぐ前の廊下です。
そして私たちの目の前には、ひとつの人影がありました。
「あ……あなたは!」
それは、ロマンスグレーの髪をたたえた、あのおじいさんでした。
おじいさんは、こちらに視線を向け、そのまま――。
「消えた……!?」
すーっとその姿を薄れさせ、消えてしまいました。
……最終回へと続きます。




