深夜の友は真の友?(前編)
みんなが寝静まる、深夜のこと。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット、二階にある下宿の一室で、異変は起こった。
寝静まった暗闇、むくりと、大きな体が身を起こす。
彼は同居人が寝ているのを確認し、太った体に見合わない素早さと慎重さで、部屋を後にする。
ネコの模造人である彼は、その由来となった動物の静穏性を、なんとか保っていた。
忍び足で廊下をたどり、階段を登っていく。
「……」
二階と三階は下宿所で、四階はギルドメンバーが使う作業所として開放されている。
そのすべてを足早に通り過ぎ、屋上へと出た。
空は夜の黒。解放された最上階の片隅に建てられたプレハブへと、入っていく。
そこは彼の所属する、冒険者パーティの事務所だ。
装備を置くロッカーや私物を置く棚が並び、部屋の奥まった場所に、小さな箱型の物体が据えられていた。
少し慌てたように、ネコは戸棚の奥から中身の詰まった紙袋と水筒を取り出し、箱型に着けられたスイッチを入れ、その前に座り込む。
やがて、
『田宮丹世の、ラジオはナポリターン!』
番組のタイトルコールとともに、流れ出すイントロ。
袋の中に手を突っ込み、中身のお菓子をほおばりながら、ネコの模造人、福山文城は満面の笑みで、箱型のラジオから流れる音に耳を傾ける。
毎週日曜日、夜十二時半。
彼が、この背徳的な快楽に魅了されてから、一月以上が経とうとしていた。
「おい、文城」
寝ている。
それも、ただ寝てるだけじゃない。
事務所の床につっぷし、ムチムチした顔がつぶれ饅頭と見まごう形に変形するほど、どっぷりと睡魔に溺れている。
現時刻は朝の九時。早いわけでもないが遅いわけでもない、早寝早起きしていればそうそうこんなことにはならない、はずだった。
「ふーみーきー!」
「リーダー、ダメ! 起こさないで! ふみっちかわいいフォルダが、あと少しで1TB到達するから!」
涎と鼻ちょうちんで、ブサイク顔になった文城を、舐めるように記憶していく柑奈。
俺はため息をつき、集まってくれたメンバーを見回した。
「今日はもう駄目だ。ミーティングは明日以降にする」
「よろしいんですか?」
少し不安そうなしおりちゃんに、俺は肩をすくめた。
「このところ、朝に弱いのがぶり返してきちゃってさ。特に月曜は壊滅的だ」
「原因は分かってんのか?」
紡の問いかけに、事務所の奥に鎮座した、諸悪の根源を指さす。
パーティの共同資金から大枚をはたいて購入したラジオ――蘭さんに初回購入特典で格安にしてもらった――に、みんなは微妙な反応を示した。
「もしかして、催眠電波みたいなのが出てんのか?」
「インスピリッツでも解明できていない、副作用ですか……」
「違うよ。深夜放送にはまっちゃったの」
異変が起こったのは、大体一月ぐらい前。俺がトイレに起きた時、文城がいないことに気づいた。
どこに行ったのかと探してみれば、
「ラジオの前で背中丸めて、お菓子食いながら放送を聞いてたってわけ」
「うーん、ラジオかぁ、そんなに面白いん?」
「まあ、v同士の雑談回とか、あんな感じ。しゃべってる人とか、ネタにもよるけど、ハマれば面白いはずだよ」
「それで、どなたの番組なんですか?」
俺は番組パーソナリティからいただいた、宣伝チラシを差し出した。
「『田宮丹世のラジオはナポリタン』……なんだろ、この、タイトルから漂う、びみょーな九十年代臭は……」
「これって、ゲーセンのおねえさんじゃん!? ラジオなんてやってんだ! へー!」
「それで、これはどういった……?」
一応、俺も一通り聞いてみた。
番組はリスナー参加型の、日常のことやちょっとしたテーマを軸に、緩いトークを繰り広げる感じのやつだ。
「柑奈の言う通り、ハマれば面白いってやつだよ。で、文城にはぶっ刺さっちゃった、らしい」
「あちゃー……それは、なんとも」
「でも、あれだぜ。どんな番組聞いてるかって、いろんなヒトが話してるの、時々聞くぞ」
「グノーシスでも、宿坊にラジオを持ち込んだ方が、破門になる騒動も起こったそうで……まさに、ヒトビトを惑わす悪魔の機械ですね」
グノーシス派が悪魔認定するの? とか、そもそも機械に善悪は存在しないとか、せっかくだから説教番組でも流したらとか、いろんなツッコミを飲み込んで、俺は解散を宣言する。
「起きたら文城と相談して、対策を考える。悪いけど、今日のダンジョン入りはなしで」
「あんまり怒らないであげてね。ふみっち、ずっと頑張ってきてるんだし」
「オレも二徹ぐらいなら、平気でバイト行ってた時もあったけど、命のやり取りだしな」
「それでは、失礼しますね」
みんなを送り出すと、俺は持ち込んだ本を開き、時間が過ぎるのに任せる。
文化屋の露店で手に入れてきた時代小説。最近は剣豪物を中心に読み始めていた。
「ん……あぅ?」
「おはよ」
「あ……あれ、みんなは?」
寝ぼけ顔から一転、どうやら状況を理解したらしい。
ニンゲンのころの表現でいうなら『青ざめた』表情で、文城は頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 僕……寝ちゃってて」
「文城」
「う……うん」
「毎週日曜日、夜遅くに何をやってるのか、聞かせてもらえるか?」
ひげも顔もしおしおになりながら、文城は現在の状況を説明してくれた。
「で、お菓子を食いながらラジオを聞いて、終わったら戻ってきてたと」
「……ちょっと夜更かししても、起きられると思ったんだよ……でも、なんか、続けていくうちに、眠くてしょうがなくて」
「そもそも、なんで深夜放送?」
それは文城が暇つぶしに、ゲームセンターに行った時のこと。
『知っているかね。わたしはいま、ラジオのおねえさんなのだよ』
『ラジオって……ほんとに!?』
『毎週日曜、夜の十二時半。視聴者参加型でね。うちのゲーセンに『おたより箱』も設置済みだから、興味があるなら聞いてみるといい』
そのお供にと、ゲーセンのお菓子とカタスビアを提供され、一回ぐらいならと聞き始めたのが運の尽きだった。
「その、僕もお便りのコーナーに応募して、読んでもらったことがあって。それで、うれしくなっちゃって……」
「あー……そういや、ハガキ職人とかって文化もあったって聞いたなあ。いつの時代も承認欲求は強いってわけだ」
事情はよく分かった。
次は、この現状をどうするかだ。
「そろそろ昼だな。飯食いに行こうか」
「う、うん」
「ついでに、問題の元凶に話を聞きに行く」
向こうも悪気があったんじゃないのはわかるが、このままだと文城の健康、ひいてはパーティの存続にもかかわる。
恐縮したままの文城を引き連れ、俺たちはぱちもん通りへと向かった。
「事情は分かった。だが、わたしは謝らない」
白衣にサマーセーターのおねえさんは、ゲームセンターのカウンターでふんぞり返り、きっぱりと言い切った。
「わたしはあくまで娯楽を提供する側。どう受け取るかは、リスナー諸君次第だよ」
「まあ……正論なんですけどね。とはいえ、補填できるところは、して欲しいっすね」
「まさか、うちの舎弟が世話んなったのぅ……という感じのアレかい?」
首を振ると、俺は一つの解決策を打診した。
「番組を収録したテープの類を、こっちでダビングさせてもらえませんか? リアルタイム視聴でなければ、寝不足問題も解決しますし」
「それね。うちの番組は全部生。録音もないよ」
あっけらかんと言い放ち、イタチの模造人は笑った。
「あの番組は、わたしのノスタルジーとリスペクトの産物だもの。残すことに意義を見出してはいないのさ」
「もしかして、ニュータウンFMの番組、全部そうとか?」
「いや、やってるところはアーカイブ化してるし、収録したのを流してるのもあるね」
そういや柑奈の番組も、本人がダンジョンに入ってる時や、別の仕事をしてる時でも流れてるっぽいもんな。
とはいえ、深夜番組を生放送とか、なんて無茶な。
「深夜テンションだから面白い、ってのもあるからねー。そういや、一部リスナーが放送を録音してるって話も聞いたかな」
「どうやって?」
「そりゃ、機獄や廃ビルから拾ってきたラジカセなんかで、直接」
な、なんかすごいこと聞いちゃったぞ。
ラジオの音声を別の機材で録音とか、いつの時代だよ。この街の文化と文明、めっちゃくちゃなことになってるな。
「なら、夜の番組は、夜に起きて録音しないとダメ、なんですか?」
「その通りだ、ラジオネーム『お弁当ネコ』君」
「あ……っ、や、なんか、それ、言われるの、はずかし……」
「おねーさーん! そういう匿名性破り禁止ー!」
とはいえ、これで解決からは遠のいてしまった。嘆息する俺たちに、おねえさんは冷たいジュースの瓶を差し出して尋ねてきた。
「ラジオの聴取を止めさせる、という風には考えないんだね」
「せっかく文城が楽しんでるんだから、それを強権で禁止するのはなしでしょ」
「ふむ、であれば、わたしから一つ提案だ」
白衣のイタチは、小さな手で己を指し示した。
「わたしとパーティを組んで、ダンジョンに潜らないかい?」
午前十時、P館北前通りの端。
道具屋街を背に、目の前にはそびえたつ廃ビル群。装備を整えた俺たちの背中から、のんびりとした声が掛かった。
「やあ、おまたせー」
振り返ると、そこにはいつもの白衣ではない、イタチのおねえさんが立っていた。
皮のジャケットにグローブ、頭には大ぶりなゴーグルを引っかけている。いつものドローンをお供に連れて、いかにも冒険者という感じの装いだ。
「『おねえさんが なかまになった』ててーん!」
「なかまになった、はいいんですけど、一時間以上待ってたんですが?」
「済まない。お化粧と身支度と朝ごはんと二度寝に時間がかかった」
「冒険者は時間厳守! ゲームでもそうでしょ!?」
あきれる俺たちをよそに、おねえさんはノコノコと、廃ビル群へと歩いていく。
仕方なく、その後についていくと、彼女は俺を振り返った。
「ここで、おねえさんチュートリアール! 少年、廃ビル群についてはどこまで知っているかな?」
「……機獄層の崩落によってできた地上のダンジョン。内部には機械文明の遺産や、地球由来の素材や道具などが点在し、金属マテリアルなどの入手先になっている」
「うーむ及第点。君ってあれだね、設定説明の選択肢が出てくると『知ってる』って方を選ぶタイプと見た」
ほかに何を言えと。俺だってこっちに来て、そろそろ一年近くになる。街の構造やエリアの情報は大体頭に入れたつもりだぞ。
「じゃあ、こういうのは知っているかい? 廃ビル群には、他の崩落跡には見られない特徴があるのを」
「……積層、でしょ。他の獄層は住人の干渉によって除去されていくけど、機獄を構成する土台は折り重なって沈んでいくって」
燃料や素材として切り出される晶獄、相容れない大敵として完全滅殺される肉獄、食料や素材を得るために、循環系としての性質を維持される緑獄。
しかし、機獄はそうはならない。
固い地盤のような基底部と、その上に林立する廃ビル群、崩落の時に、もともとあったビルは押しつぶされるが、基底部は圧力によって沈み込むことはあっても、原型をとどめて埋没していく。
「正解! あるいはEXACTLY! さすがは新進気鋭の冒険者パーティのリーダー、よく勉強しているね!」
「……で、この問題に、何の意味が?」
「特にないよ。強いて言うなら、一週目プレイヤーに対する、世界観の説明セリフ」
「メタいな! もしかして第四の壁とか超えちゃうタイプ!?」
などというツッコミも気にせず、おねえさんは大ぶりなゴーグルで両目を覆った。
「でもね、少年。君の答えでさえ、八十点だ」
いつの間にか、彼女の左手には小さな液晶にキーボードが付いたものが装着され、ゴーグルとワイヤーで直結されている。
「え、なにそれ!?」
「あー! なんか昔のゲームで見たことある奴だ! かっけー!」
「こけおどし……じゃないよね? ドローンとリンク形成してるし」
「ふふん。では行こうじゃないか」
気が付けば、俺たちは彼女と一緒に、廃ビル群の奥までたどり着いていた。何の変哲もない、雑居ビルの一棟の前に立ち、彼女はニヤリと笑う。
「モック・ニュータウンの裏ダンジョン『電子の陵墓』に」