14、堕ちた英雄
最初に口火を切ったのは、乙女さんだった。
「さ、佐川君。本気なの? 打ち合わせでは、そんなこと一言も」
「申し訳ない。貴方に余計な負担を掛けるつもりもなかったので、言わずにおきました」
素早く仔細をメモした元町さんが、探るような目で問いかける。
「まさか、福山さんのことを、そこまで重く受け止めなすったんですかい?」
「福山君のことはもちろんあるが、俺自身がもう、無理だと悟ったんだ」
岩のようなその顔は、長い年月風雨にさらされたように、色を失っていた。
ああ、そうか、このヒトは。
「木賀田は、俺にはもったいない奴だった。攻略ルートの設定や、ギルドの運営まで、あいつなしでは考えられないほどだ」
「うちのチームとも、仲良くしてもらってた……なにが、あったの?」
「詳しい話は省くが……比較的新人の連中で構成した、Bチームを率いてもらったんだ」
比較的新人、ってことは、もしかして。
「すみません、佐川さん。そのBチームに、磨平も入ってたんですね?」
「……驚いたな。その通りだが、なぜ?」
「文城のチケット、無理やり奪う必要がどこにあったのかって話ですよ。『蕾』攻略に、間に合わせるためだったんじゃ?」
答えは肯定の沈黙。
悔しさと無念の息を漏らして、彼は告げた。
「うちのギルドは実力さえあれば過去は問わない。もちろん、俺の下につくなら、そういう振る舞いは許さないと、釘を刺してきたんだがな」
「清濁併せ呑むが長の度量。とは言え、奸臣がのさばれば、国も組織も傾くが道理だ」
「ああ、本当に、その通りだ」
短い自嘲を漏らすと、彼は淡々と、事後処理を始めた。
「Pの館への正式な届け出は済んでいる。二十一階のギルド本部も、今日付で失効するから、後はみんなで好きに使ってくれ」
「投げやりなのは感心しませんね。きちんと査定した後、他のギルドに売却手続きを取ったほうがいい」
「そういう事務仕事ができる奴が、もういないんだ」
「では、大川さんと元町さん、それと俺で受け持ちます」
合理主義の塊みたいな北斗の発言に、殿様も元町さんも苦笑いする。売却って話を持ってきてる以上、佐川さんへの気遣いもあるんだろうけどさ。
「ローンレンジャーという組織は無くなるが、磨平に対しての扱いは同じで構わない。ただ、それ以外の連中は、できる限り大目に見てほしい」
このことを、ローンレンジャーの連中は知っているんだろうか。
そういえば『他の連中は置いてきた』って、ここに来るときに言ってたっけ。
多分、その時に通達したんだろうな。今はギルド解散のための大掃除中ってことか。
「おまえんところのギルドがなくなるとあっちゃ、またシャークどもが増えるなあ。そこんとこ、どうする気だ」
「……腐っても獄層入りした連中だ。下の階層でちまちました稼ぎをやるなんて、考えられんだろう。大抵は『新皇』か『ホライゾン』入りを望むと思う」
「ご存じかと思いますが、うちの審査はきびしいですよ」
「むしろ、俺もそうするべきだったんだろうな」
しかし、とんでもないことになったな。
こうして『食事会』に名を連ねるようになったギルドが解散、ってことになれば、影響は計り知れない。
特に、Pの館からプラチケを直接引き出せる権限は、参加していたメンバーにとっては死活問題だし。
磨平の奴は、このことを知って、どう思ってるんだろう。
「ところで、そちらに登録していたメンバー、いかほど残ってらっしゃってるんで?」
「十六……いや十五だ。磨平は、四日前に除名した」
四日前、俺が襲われた前の日か。眉をひそめた俺に、佐川さんはため息で応じた。
「一応、問いただしてみたが、手ごたえはなかった。そんな奴は知らない、そもそも襲う理由がない、って言ってな」
「こっちも、手下の姿を見たって目撃証言だけですしね」
十中八九、まっ黒なんだけど、なぜ犯行に及んだかが分からなければ、詰めようがない。
こういう時、科学捜査とかが出来れば、また違うんだけど。
「ひとつ提案があります」
状況を見ていた北斗が手を上げ、腹案を披露する。
「これから俺は、元ローンレンジャーのメンバーにスカウトを掛けるつもりです。こちらの隊に欲しかった人材もいますし」
「では我も、武勇に目を付けていた者に、手を付けるとしよう」
「そういう事かい。その引き抜き、俺んとこでも一枚噛むか」
「私も協力します。誰を取るかは協議の末、ということで」
塔攻略に関わる四つのギルドが、すぐさま相談に入る。
力のあり余った奴を放出して暴走させるより、有力ギルドのスカウトという形で取り込んでしまえば、混乱も避けられるってわけか。
ホントこのヒトたち、頭の回転が速いなあ。
「残った連中は俺が引き受ける。と言いたいところだが、こんな不甲斐ない男と、もう一度やろうって奴は、居ないだろうな」
「佐川君……」
「そんな顔、せんでください」
彼は、穏やかな表情で自嘲した。
「結局俺は、『王様』にも『星』にも、なれる器じゃなかっただけですから」
王様と星。それはきっと、彼が目指そうとした理想だ。
縛られることを良しとせず、壁の外を目指そうとする、大川さん。
世界の涯を目指して、空へと駆けていく、瞳。
その二人に追いつこうとして、彼は『蕾』の攻略に執着してしまったんだろう。
誰にもたどり着けない、孤高の存在になるために。
「王佐を成す気はないか。部下を犬死させた責、雪ぐ場も欲しかろう」
「ヒトにケツを拭かせるほど、腐っちゃいないつもりでね。また独りから、はじめるさ」
それが結局、『食事会』の結びになった。
文城に関する条約の破棄と、『ローンレンジャー』の解体。その二つの話題は新聞に載せられ、一夜にして街中に広まった。
華やかだった『祭』の会場は綺麗に片付けられ、いつも通りの光景に戻っていった。
食事会が終わって、二日後。
「世はなべてことも無し。平和が一番っすねえ」
俺は『ムーラン』のカウンターに座り、新聞を片手に息をつく。店は昼時で、結構な数のお客さんがやってきている。
「どうなることかと思ったけど、ローンレンジャーの解散、大事が無くてよかったわ」
料理を出しながら、乙女さんが相槌を打つ。その後ろの方から、ロップイヤーがひょっこりと顔を出した。
「海苔唐揚げ弁当、全部はけたぞ。やっぱりもうちょっと、出しておいた方がよかったんじゃないか?」
「文城の弁当は、生活必需品じゃなくて、ちょっとした贅沢品だ。そういうのは、希少性を高くするのがいいんだよ」
「……コンビニ弁当が希少性ねえ」
だってこの世界、コンビニないじゃん。しかも、お米だってとれないんだぞ。充分にレアリティ高いっての。
「孝人君、手の方はもう平気?」
「ええ。山本さんのところでリハビリもしてますし、じきに塔にも入りますよ」
「それなら、後で『大しけや』さんに、仲代君の様子を見に行ってあげて」
あの後、仲代君は『大しけや』に移籍した。しかも、本人の『ギフテッド』が、上の漁で有効活用できたらしい。
「対象のステータス表示ができるギフテッドか……本人にしか見えないそうだから、こっちじゃ分かりようもなかったけど」
「相手の能力が分かるなら、便利なんじゃないのか?」
「それがなぁ、本気で『使えない』んだよ」
彼の言うところによると、確かに対象の『ステータスウィンドウ』は表示された。
だが、そこには、なんの数字も情報も、書かれていなかった。
「ゲームのステータスって、現実を抽象化したもんだろ? 俺たちの筋力とか頭の良さって、単純なポイントで表現できるもんじゃない。身に着けた技術や才能も『スキル』として使ってるわけじゃないしな」
「まさか、この世界はゲームじゃないから、ゲーム的な表現には対応してないって?」
「しかも俺たちの力は『ギフテッド』だから、『スキル』表示されないんだと」
柚木のウサギ顔は、茶渋で煮詰めたような、地獄の表情になった。
「ほんっとにクソだな! あのブヨブヨ野郎っ!」
「ただ、感知範囲はそこそこ広くて、知りたいと思った対象に、ステータスウィンドウを付与できるんだってさ」
「ああ、それで漁師さんなのね」
水底にある魚影を、ウィンドウとして認知できる仲代君は、魚群探知機として重宝されているそうだ。
防水ズボンと『大しけや』のキャップを被ったクマの姿は、なかなか様になってた。というか、何かのマスコットみたいでかわいい感じだったし。
「ただいまー!」
「お、うちのマスコット枠のお帰りか。おつかれ」
戻ってきた文城が、苦笑しつつカウンターにやってくる。協定破棄の後、文城の環境はまた少し変わった。
塔の前や知り合いのギルドだけでなく、弁当を欲しがった店に、自分から卸すようになって、行動範囲も広がっている。
「お疲れ様。スヴィちゃんの方、どうだった?」
「あんまり……喋ってくれなかったです。でも、やりたいこと見つけるために、図書室で本読んでるみたい」
「私も後で、お見舞いに行ってくるわね」
乙女さんの言った通り、みんながみんな、転生を受け入れられるわけじゃない。
特に、前世での暮らしに未練があるヒトの場合、そのまま死を選んでしまうケースも、少なくないと聞いた。
『一度死んで、生まれ変わった以上、過去の自分とは別人じゃないか。他人のことで気を病むなんて、馬鹿馬鹿しい話だよ』
そう言って、先生は皮肉気に笑っていた。
とはいえ、ニンゲンはそこまで強くも無ければ、割り切れもしない。それを知っているから、転生に馴染めないヒトを、積極的にケアしているんだろう。
「店長、私そろそろ上がりの時間なんですけど、大丈夫ですか?」
「いいわよ。今日もお疲れ様」
部屋住み組の中で、あまり変わらなかったのは明菜さんだろう。
とはいっても、柚木の補佐として、他のメイドのスケジュールも見るようになってるから、活躍の場は増えている。
いそいそと奥へ引っ込んでいく彼女を眺めながら、俺は気がかりをつぶやいていた。
「乙女さん、古郷の奴、見ました?」
「『食事会』の時、屋台村の入り口で見たって聞いたわ。ただ……チケットが払えずに、そのまま帰ったみたい」
「ログボ二枚ですよ? あいつ……なにやってんだ」
苦々し気に、柚木がうなる。
普段の生活から、まともな金銭感覚はなさそうだとは思ったけど、出て一週間でそこまで困窮してるとは。
「困ってるなら、帰ってくればいいのに……」
「あいつ、ホントに図々しいからな。すぐ店長の所に泣きついてくると思ってたんだが」
嫌な想像がある。
地球でもよくあった話だ。思春期の家出が、とんでない悪意に足を取られて、泥沼にはまっていくケースが。
親切面した悪党に、犯罪行為の先棒を担がされる羽目になるってやつだ。
「この街に、ギャングとかそういうのは?」
「表立ってはいないわ。もちろん、スリや窃盗団の類はいるんだけど……」
「立ちいかなくなるんだよ。でかい犯罪をするような奴らには、引率屋とかギルドが手を貸さなくなるから」
なるほど、ここでもプラチケが治安維持に一役買ってるのか。
でも、俺はもう一段階、想像を押し進めた。
「でも、例えば、そういう犯罪組織が、ギルドを作ったりしてたら?」
「……まさか孝人君、『ローンレンジャー』が、そうだったって言うつもりなの?」
「佐川さんはそうじゃなかったと思います。けど、下っ端の方はね」
まるで、安っぽいクライムサスペンスみたいな想像が、沸き起こる。
ならず者を集めるギルドと、そこでうまい汁をすすろうとする男。そいつは一刻も早く幹部になりたくて、ヤバいシノギに手を染めた。
その結果、悪事が露見し、そいつもろとも組織は壊滅する。
「もしも、磨平が手を出したのが文城じゃなかったら、ここまで大事にならなったかもしれない」
「そんなことは、ないと思うわよ?」
「俺も、小倉の意見に賛成です。福山は……その、街の中でも特別な存在で、あれが俺だったら……ギルドを辞めるまでには、なんなかったんじゃないかな」
柚木の自嘲に、俺はあえて口を出さなかった。
乙女さんはため息をつき、俺たちのグラスに新しい飲み物を注いだ。
「ここで悩んでいても仕方ないわ。三人とも、時間がある時でいいから、小弥太君を探してちょうだい」
「まったく、古郷の奴。帰ってきたら風呂と店の掃除、きっちりやらせてやるからな」
「んじゃ、早速聞き込みでも行ってきますよ」
俺は素早く席から飛び降りて、店を後にする。
あいつの行動範囲はだいたいわかる。しかし、その範囲から出てしまったなら、後は一番悲惨な想像の先を、当たるほかはない。
とりあえずは、一番の心当たりからだ。
「おお少年、麗しのおねえさんに、何か用事かな?」
「情報通のおねえさんに、尋ね人の聞き込みっすよ」
俺はカタスビア一本を購入し、そこそこ盛況なゲーセンの店内を眺めまわした。
「古郷の奴、来てますか?」
「あー、センザンコウ君だね。ここ二日ぐらいは見てないね。最後に見た時は、だいぶ羽振りが良かったけど」
「……ゲーセンで豪遊? ケチなはずの子供が、ジュースと駄菓子で?」
俺の問いかけに、朗らかだったイタチのおねえさんは、険しい顔になった。
「ああ、そういうことか。嫌な雰囲気だと思ったんだ。ゲーセン店員歴うん十年のおねえさんにとって、見慣れたアレだよ」
「え、やっぱりおねえさんって歳じゃ……ぃいやあっ、おねえさん、おねえさんですっ」
だから、いちいちドローンで威嚇しないでってば。
そして彼女は、何かを諦めたように、深々とため息をついた。
「ましな方なら、親の財布からくすねてきたとか。もっと悪いと、チンピラに使われて悪い小遣い稼ぎをしてるって奴だね。こっちも赤の他人だから、それとなく忠告するのが関の山でさ……胸糞悪い話だよ」
「それじゃもう一つ、古郷がうちの面子じゃないのとつるんでたとかは?」
「そっちは知らない。ただ、お金どうしたのって聞いたら『情報で稼いだんだ』って」
情報、という言葉に、嫌な想像が膨れ上がる。
もし俺の考えが正しいなら、あいつはとんでもないことを、しでかしたことになる。
でも、まだ今なら、なんとかごまかせるはずだ。
「見かけたら、乙女さんが帰ってきてほしいって言ってたって」
「伝えておくよ。後輩を悪の手から救ってきたまえ、幸運を祈るよ、少年」
幸運、確かに幸運がどっさり必要だ。
俺がゲーセンから出ると、通りの中央で片手にペラ紙一枚を掲げて叫ぶ、メッセンジャーの姿が目に飛び込んできた。
「号外! 号外! 元ローンレンジャーの佐川氏! 暴行を受けて意識不明の重体! 犯人は元ギルドメンバーの磨平周だ! 詳しくはこの一枚に! さあ買ったり買ったり!」
俺は号外を一枚買い付け、不幸の手紙のようなそれを、睨みつける。
見出しには、こうあった。
『磨平周、造反計画の露呈により、佐川氏を傷害の後逃亡。氏は意識不明の重体』
「魔界の底で幸運なんて、望むべくもないってか」
俺は途方に暮れて、空を見上げた。
こんなことで右往左往する俺たちを見て、喜んでいるだろう、超越者を探すように。