12、ケモノたちの謝肉祭(前編)
『食事会』の当日。
開催地に指定された、P館北前通りは、たくさんのヒトであふれかえっていた。
大小さまざまな模造人や魔物たちが、東西に延びる通りに建てられた屋台村に群がっている。
軽食や甘味、酒類や果物が、所狭しと盛り上げられて、やってきたヒトたちを楽しませている。
入場料としてログボチケットを二枚払えば、屋台村の料理は無料で食べられるということで、かなりの盛況ぶりだ。
「すごいね、こんなにヒトが集まってる」
「文城は、初めてでもないんだろ?」
俺は文城の腹の上、というか、専用のおんぶ紐のようなもので、ぶら下がる形で連れてこられていた。
ハッキリ言って恥ずかしいし、一人で歩けるって言ったんだけどなあ。
「僕が知ってるのは、もっとちっちゃくて、あそこの道具屋さんから、ムーランまでしか屋台がなかったんだよ」
「それだとせいぜい、テントが五張りくらいか。そりゃ、乙女さんもがんばっちゃうだろうなあ」
「ぱちもん通りでやってた時は、もっとすごかったって」
多分それは、南条さんがお祭り好きだったからじゃないかなー。本人もだいぶ、趣旨を取り違えてた可能性もある。
「おい、小倉」
人ごみを抜けてやってきたタレミミウサギは、相変わらずの仏頂面で、手にした資料をこちらに差し出した。
「前夜祭で使った食材が、思った以上に多かったぞ。追加で小麦粉を二百と、芋を二百発注しておいた」
「それでいいと思う。それ以外は売り切りで考えてくれ。料理は無くなり次第終了だ。いざとなったら甲山組の菜摘さんに連絡。文城の弁当と合わせて、閉会までしのごう」
「分かった。あと、元町さんがギルマスたちを連れて出たって報告があった。店長と一緒に応対してくれ」
挨拶もそこそこに、柚木は跳ねるように走り去っていく。その背中はしゃんと伸びて、嬉しそうに見えた。
「祐司君、楽しそうだね」
「……そうだな」
「孝人君、体は大丈夫?」
滑るようにやってくる乙女さんに、俺は右手を挙げた。すでにギプスは取れて、指先ぐらいなら動かせるようになっていた。
「こういう時、自分が魔物の体だって実感しますよ。皮肉だけど、便利でもある」
「……でも、命は一つだけなんだから。無茶はしないでね」
「三根先生にも言われましたよ。ところで、もうすぐ到着だそうです」
乙女さんは、俺の右手にそっと触れて、目を閉じた。
「ごめんなさい。私がもっと」
「そんなことよりも、見てくださいよ、乙女さん。あなたの周りにあるものを」
その手に俺の左手を重ねて、告げる。
「南条さんのには、まだまだ及ばないかもだけど、あなたが守ってつないだものが、形になったんですよ」
彼女は顔を上げて、俺の示したものを目に入れていく。
やってくる賓客を迎えるために、人波を整理している柚木が見える。
仲間たちと一緒に、食材を運んでいく仲代君が見える。
メイドの子たちやその他のメンバーも、各々の場所で忙しそうだ。
そして、屋台村に集まるヒトたちの顔は、穏やかで楽しそうだった。
「この世に完璧はない。でも、一瞬の十全くらいは、あるんじゃないですかね」
「でも、私は欲張りだから」
彼女は澄んだ目で、ただ明るいだけの空を、挑むように見つめた。
「私が関わったみんなに、幸せになっていてほしいと、思うのよ」
「ダメですよ。そういう甘さを許さないでって、言ってましたよね?」
「でも、そう思うぐらいは、許してね」
俺たちは笑い、それから駆けつけてくるシャムネコの模造人に振り返った。
「ギルドマスターの皆さんが到着しました! ご案内してもよろしいですか?」
「ありがとう明菜ちゃん。あとは会場の方をお願い」
「はい!」
俺たちはそのまま、通りの東端へと向かう。
今回の『食事会』に出るギルドの面々は、うまそうな屋台の湯気が立ち昇る入り口で、列を成して待っていた。
当然のように大川の殿様と、派手な宇藤の奥方が先頭に立ち、その両脇を、凝った鎧兜の武士が守っている。
「ようこそおいでくださいました。心ばかりの宴の席ではございますが」
「口上は、そこな懐刀より存分に振る舞われた。そして、其方の饗応であれば委細を問うに及ばずよ」
言葉遣いは相変わらずだけど、物腰は思う以上に柔らかだ。たぶん、乙女さんを心から敬愛してるんだろう。
「ひさしぶり乙女ちゃん。ネズミちゃん、ぼろっちくなったねー、体へいきー?」
「卯月ちゃんも、遠征お疲れ様。孝人君には、もう少し休んでいて欲しいんだけどね」
「あー、それとねー、小鳥ちゃんのこと、あーし、手加減できなかった、ごめんね」
って、こっちも借りてきたネコみたいになってら。しかも、氷橋の件に詫び入れてくるとはね。まあ、これも社交辞令なんだろうけど。
「むしろ、私が言うべきことを、言って貰ったんだもの。謝るのはこっちよ」
「んー、あーし、せっきょーとか嫌いだし。ふつーのこと、言っただけっしょ。乙女ちゃんも、ふつーがいちばんだよ」
うわー、このヒト、確実にバカキャラ装ってるだけだろ。やだなー、自分を理解してる智謀系美人とか。
「傷痍の身を挺して長の補佐とは、精勤、大儀である。我が臣となる時まで、文城ともども、自愛を心掛けよ」
「ですから、絶対ないですって。返り忠とか、許さないタイプでしょ?」
「我にとり、尾上殿は大恩ある主家筋も同じよ。であれば、臣下を賜わさることも、ありえぬ話ではあるまい?」
こっちもパワー系キャラの見た目で、口八丁の智将タイプかいっ。
「いい加減後がつかえているので、雑談はこの辺りで。ってか、そういうのを円滑に進めるのが、そちらの役目では?」
二人の背後に隠れるようにしてたたずむ、着物姿のトカゲを笑いながら睨みつける。
「あっしはあくまで幇間みたいなもんでして、お殿様の意向を曲げるなんざ、とてもとても」
「はいはい、分かりましたよ。それでは奥の方へ」
「うむ。罷り通るぞ」
殿様たちが奥へと進み、脇に控えた二人の侍もそれに従う。あとでどんな奴なのか、元町さんに聞いたほうがいいかもな。
「こんにちは乙女さん! それと考人さん……大丈夫、だよね?」
「二人ともお久しぶり。上は大変だったでしょう?」
「お気遣い、ありがとうございます」
瞳と北斗は相変わらずの感じで、その後ろには六人ぐらいの、冒険者らしい連中が付き従っている。
「Aチームのみんなもお疲れ様。顔ぶれも変わってなくて、安心したわ」
「今回は、結構危なかったけどねー! その辺りも、一杯話すことがあるから!」
「では、俺たちも奥へ。Aチームは打ち合わせ通り、屋台村で自由行動だ」
精悍な顔立ちの模造人たちは、屋台村へ解散していく。大川の殿様のところが軍隊なら、瞳たちの仲間は、特殊部隊のような雰囲気を感じた。
「ごきげんよう。この度は、良い星の巡りにお招きいただき、感謝いたします」
意外なことに、三番手は『グノーシス魔界派』、ハーピーの一宮さんだった。
いつものローブ姿に、耳や羽に結晶のアクセサリを身に着けて、着飾っている。お付きの人らしい姿は見えない、単身での参加なんだろう。
「お疲れ様です。今回も木島さんは?」
「はい。申し訳ありませんが、名代としての参加を、お許しください」
「ええ。どうか時間の許す限り、楽しんでいってくださいね」
さもありなん。俺たち俗世の塵芥との付き合いなんざ、お偉い導師様には穢れにしかならないだろうからな。
しかし、彼女が代理で来てるってことは、グノーシスとしても、他のギルドとの繋ぎは必要なんだろうな。彼女もなかなか苦労人だ。
「おっす、乙女ちゃん。今回もゴチになるぜ」
「お疲れ様です尾上さん、お世話になります」
見慣れた親方と山本さんのコンビ。その後ろには、結構な数のギルドメンバー、というか食い気が顔に出たメンツが並んでいる。
「親方ー、みんなに手加減するように言ってくださいよー。いつもの調子で食ってたら、屋台村が壊滅しちゃうから」
「安心しろ。屋台村には菜摘も詰めてんだ。いざとなったら、芋煮をたらふく食わせてやりゃいいさ」
「その後、何か変わりはありませんか?」
鷹の模造人の視線が、気遣うように辺りを見回す。俺も少し声を潜めて、ささやいた。
「特には。一応、しおりちゃんや文城には、一人にならないように言ってあります」
「そうですね。小倉君も、十分に警戒してください」
二人が奥に進んでいき、土方の皆さんが、さっそく屋台を食い荒らしにかかっている。
柚木に追加注文、もう少し頼んどいたほうが良かったかも。
「おつかれさまー、乙女ちゃん。こっちもようやくひと段落だよー」
「お疲れ様ですっ!」
キツネのクリスさんと、カピバラの倭子さんが、二人一緒にやってくる。裏方の仕事も落ち着いたみたいだ。
「あれ、安吾さんは?」
「一足先に休憩に入ってもらいました! 今は屋台村にいるかと!」
「今回も、荷人先生は欠席、でいいかしら?」
乙女さんの問いかけに、珍しく倭子さんは困ったような笑顔を浮かべた。
「結晶の純粋化にかかりきりで……それと、こういうお祭り騒ぎは、荷人さん苦手ですから……」
「それならお土産、一杯持って帰ってちょうだい。ワゴンのみんなにもね」
「はい! ありがとうございます!」
そういや、【アルケミスト・ワゴン】に行った時も、ギルドマスターの姿は、見たことがなかったな。
でかいギルドの内、二組もトップがコミュ障とか、大丈夫なのかねえ。
そんな感慨を浮かべた俺の目の前に、小山のような姿が現れる。
「お疲れ様です、佐川君」
乙女さんの声は、基本的にとても柔らかい。耳に心地よくて、ここを通ったみんなのように、心を和ませていくのが常だ。
でも、今の声にこもっていたのは、絶対零度の錐のような感情だった。
「お、尾上さん。今回は、お招きいただき、感謝します」
「今日は、あなた一人ですか?」
い、胃が痛ぇ。いくら本人の監督不行き届きとは言え、佐川さん自身が望んでやったわけじゃない一件なのに。
それを、密かに思ってる相手から、こんな冷たい塩対応されるとか、キツすぎるだろ。
「粗相をさせないように、うちの連中は置いてきた。それと」
「どうぞ奥へ。詳しいお話は、正式な場で、お願いします」
普段から優しいヒトを怒らせてはいけない。それは、優しいヒトの限界値が、文字通りのデッドラインだからだ。俺も細心の注意を払わないとなあ。
その場で、五体投地しかねない後悔を抱えたまま、佐川さんは奥に進んでいく。
「なんだい、そんな湿気たツラして」
進み出てきたのは、白衣を着た太めのウサギだ。毛皮が白で、瞳は赤く、耳がぴんと立っている。
手にした紙巻きたばこを一口して、白煙を吐き出す。
「お疲れ様です、先生。ご足労、ありがとうございます」
「佐川もなかなか、難儀なことになってるねえ。強面の癖に、性根は豆腐と来た。そんなんだから、部下に舐められるんだよ」
ものすごい切り口上。
ここに来たみんな、殿様たちでさえ、はっきり口にしなかったのに。
「そのことも、今回の席でお話します。ごめんなさい先生。折角の『食事会』なのに」
「仕方ないよ。所詮はガキの寄り合い所帯、こうして体面をつけるだけでも、まだましってもんさ」
そして、ウサギは俺をじろり、と睨みつけた。
「今すぐ帰って寝な。死にたいのかい」
「せ、せんせぇ。ホント勘弁してくださいよ。俺はもうだいじ」
「医者の言うことが聞けないなら、今すぐ死にな、このアホタレ」
文字通り、吐き捨てる。煙草の煙と一緒に。
模造人特有の、見た目の可愛さも完璧に消し飛ぶ渋味。どっかで見たよな、動物にミリタリーモノやらせる漫画、あの雰囲気だ。
三根水鳥、この街唯一の病院の運営者にして、『別天吉原』を取り仕切るギルド、『ウィタ・セクサリス』のギルドマスターだ。
「そう言えば、氷橋の方はどうすか?」
「ああいうのは、この街では良くあることさ。むしろ、こっちに来て即座にピンシャン動ける方が、どうかしてるんだよ」
「よろしくお願いします。あの子、繊細だから」
「安心しな。あたしの目の赤いうちは、めったなことは起させないよ」
先生はどうとでも取れる表情を浮かべて、肩をすくめた。
俺たちみたいな素人はともかく、彼女のような百戦錬磨の医療従事者にとって、目の前の患者に感情を振り向ける事が、枷になることを分かっているからだ。
「そういやあんた、別天にも行ったそうだね。どうだった?」
「あ、あの時は、殿様が両門閉じちゃったんで……。そもそも、今すぐ致したいって気持ちも……ないですし」
「気が昂ったら、まずうちに来な。模造人の性行為を、ニンゲンの時と同じに考えると、ひどい目見るからね」
ほ、ホントに歯に衣着せないなぁ、このヒトぉ!?
吉原なんてのがある時点で、この街でもそういうアレは、色々あるんだろうとは思ったけど、こっちが照れくさくなってくる。
そんな俺の顔を、三根さんは怒ったような目で見て、ため息をついた。
「ま、いいさ。ニンゲンのアホさ加減は、どこでも同じさね」
「えっと、それは?」
「気になるなら、うちの医院で講習やってるよ、お勉強しにきな」
そ、そういや、病院の壁にそんなようなポスターが貼ってあった気がする。
言葉に詰まった俺を尻目に、先生はさっさと奥へ行ってしまった。
「いろんな意味で、あけすけな先生ですよねー!」
「でも、一度行った方がいいわよ、先生の講習。ためになるから」
乙女さんの顔はとても真剣で、いわゆる艶笑譚を語っているような空気じゃなかった。
まあ今は、性教育のことは脇に置いておこう。
「これで全員、でいいんですよね?」
「参加人数やギルドの顔ぶれも変化するけど、だいたいはこの面子よ」
生活インフラを支える生産系に、塔や壁外を攻略する戦闘系。しかも、それぞれの守備範囲も目的も別で、意見調整は確実に必要になる。
こういうすり合わせの機会は必要だし、住民のガス抜きとしても機能している。
「南条さんの伝記とか、誰か書いてないんすかね?」
「あのヒト、派手好きだけど、自分のことは語りたがらなかったから。三根先生や浦部さん、元町さんは、いろいろ知っていたみたいだけどね」
「なるほど」
語りたがらなかったってんなら、俺もこれ以上は考えないようにしよう。
「それじゃ、わたしたちも行きましょうか」
「はい。警備の皆さん! 路地の通行止めをお願いします!」
控えていた警備係のヒトたちが、屋台村と『食事会』の場所をロープで緩く閉じる。
ここから先は、関係者以外立ち入り禁止だ。
俺たちは乙女さんの先に立って、会場までの道を進んでいく。こういう時、片手を取ってエスコートでもしたいところだけど、俺じゃ背が違いすぎてなあ。
「文城、乙女さんの手、引いてあげてくれ」
「え? そんなことして、いいの?」
「そ、そうよ。そんな、大げさな」
俺は素早く地面に飛び降り、衝撃で痛んだ腕を押し隠して、二人の手を結び合わせた。
「こんなことなら、モーニングでも作ってもらうんだったな。もちろん、乙女さんもいい感じのドレスとかで」
「まったくもう……それじゃ、文城君。おねがいします」
「あ、う……はいっ」
意外とノリノリの乙女さんと、ガチガチになった文城を送り出し、ほっと息をつく。
「ああいうの、一体どこで覚えてくるんだよ。年の功って奴か」
不機嫌そうなウサギがやって来て、俺をジト目で睨む。『食事会』が始まれば、取り仕切りの仕事は、屋台村と裏方が中心だからな。
「悔しかったら、必死に勉強しろよ。この次は、お前が最初からやってくれ」
「いきなりできるか、こんなの! それになんなんだよ、あの帳簿とかいうの、全然わかんなかったぞ!」
「普段から『ムーラン』の仕事を手伝ってれば、すぐに覚えるさ」
俺の揶揄に、柚木はふくれっ面で応える。
ウサギの襟元には、ギルドのバッジが輝いていた。
「これが終わったら、てなもんやで、メッセンジャーでもやるつもりだったんだけどな」
「大丈夫だよ。補佐の仕事は山積みだ、街中へとへとになるまで走り回れるさ」
「絶対、デスクワークの方が、多いと思うけどな」
まさかギルドの仕事を、一人でやるつもりか。次は部下の使い方も伝授しないとな。
「孝人君、いらっしゃい! あなたも同席して!」
さて、いよいよ『食事会』の開始だ。鬼が出るか、蛇が出るかってな。
「って、鬼も蛇も、どっちもいるじゃんか!」
一人ツッコミをかましつつ、俺は乙女さんの隣へ走って行った。