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アーサー⑪

ある程度の高さまで登ってからアーサーは周囲を見渡した。

オオカミはいた。南の方、群れは休憩しているようだ。

だがこのまま進めばこちらに近付くことになる。なんとか追いやりたい。


アーサーは双眼鏡で、群れの様子をただ把握しようとそれだけのつもりでレンズを覗いた。

本当にただ見るだけの予定だったのだ。


群れには子供がいた。三頭。それは子犬と変わらなかった。

残念ながら犬ではないため追い立てられる。

ここでは野良犬ほどの生きるチャンスもない。


子は大人の回りをくるくる飛び跳ねていた。口を開けている。なにか話しかけているようだ。あるいはおねだりか。

大人、母親か群れの仲間はわからないが、じゃれつく子の頭を舐めていた。その目には愛情が満ち溢れていた。見守り慈しむ感情が。


そこには家畜を襲う獰猛でしつこく、頭の切れる野生の犬などいなかった。

だたのひとつの家族しかいなかったのだ。


それはアーサーが産まれてから一度も両親や兄弟に向けられることのなかった、なんの飾り立てもしていない無償の愛情だった。

捨て置かれる子などいなかった。

全ての子が愛されていた。


アーサーは気付かず泣いていた。涙が次々と落ちていった。

あそこにいるのは、そうだ毎晩のように納屋に放り込まれていた日々、自分を暖めてくれた犬たちと同じだ。

同じだった同じ心を持つ生き物に他ならない。


頭の中では間違っている間違っているこんなことは間違っている間違っているんだと誰かが声を張り上げていた。

思えばそれはリード・ブラウンの声だったかもしれない。

あるいは彼の声を借りただけの自分の主張かもしれなかったがもうどっちでも良かった。




アーサーは涙をぬぐい木の上からハンター四人に指示を出した。

オオカミの群れとは反対方向に。

農場側だ。

彼らは車で向かった。

だいぶ離れたのを見計らってからアーサーは木の上から残った従業員つまりアーサーの仕事仲間を一人二人と撃った。

三人目はすでに走っていたが銃弾は命中した。

だが一発で仕留める事は出来なかった。


這いずる男を見ていると、銃声を聞いてか農場に向かっていた車が引き返してきた。

アーサーは運転手目がけて続けざまに撃った。

車は簡単にコントロールを失い、あちこちよろめきながらそれでもスピードを落とさず走り続けた。


アクセルを踏みっぱなしなんだろうなとアーサーは思った。

生きているのか死んでいるのかはわからないが、足を踏ん張る力は続くらしい。


車は最終的に木に激突した。

しかもアーサーに撃たれながらも必死に地面を這いずっていた男を轢いて。


思わず声に出して笑ってしまった。

ドジな末路だ。


アーサーは木から降り、プスプスいいながら煙を吐く車に近付いた。

運転手の上半身はフロントガラスを突き破り、そのまま刺さる形になっていた。

助手席の男の胸元は木の枝に貫かれていた。それもいくつも。太い枝にだ。死んだも同然。


後部座席には二人いたはずだが、一人が血を流して呻いているだけだったのでアーサーは速やかに止めを刺した。

あとはもう一人。

少し離れた所に、体中にガラスの破片をくっつけた男が倒れていた。いつの間に。

フロントガラスを割って飛んでいったのだろうか。

そのうち後部座席でもシートベルト着用義務なんてことになりそうだ。


面倒だなとアーサーは思いながら男をひっくり返した。

とっくに死んでいた。








次は、牧場だ。

たった今ハンターと同僚を仕留めたアーサーにとって牧場主とその家族を手にかけることになんの抵抗も感じられなかった。










かかってきた電話を取るまで、この呼び出し音は新聞社からに違いないとリード・ブラウンは決め付けていた。

きっと考えを改めたに違いないと。

新聞の見出し一ページ分を考えて作った環境保全を訴えるチラシは、数分で断られたのだった。

地元に貢献している企業を中傷するつもりかと。


新聞社の人間はなにもわかってはいなかった。

自然や動物、空気、水、土。

壊したツケは最終的に自分たちに返ってくるというのに。


チラシに連絡先を載せて置いて来たので、てっきり新聞社からかとリードは思ったのだ。

話の通じる者にチラシが渡ったのだと。


聞こえてきた声はひどく疲れているようだったが、どこか軽さも感じた。

なにかが吹っ切れたかのような。

相手はお別れをと言った。演説には賛成だったと。折れずに行動を続けて欲しいと。


声を聞いているうちに相手がバーの常連の、牧場で働いている男だと気付いた。

土と牧草と汗の匂いのする典型的な労働者だった。


バーで話してみて初めて歳が同じだと知った。

相手は自分と比べて余りにも落ちついていたし、シワも刻まれ日焼けしすぎていたからだ。

チラシに電話番号があったと彼は言った。

名前が思い出せない。

相手はいつでも電話を切りそうな気がしたのでリードは話し続けた。


なぜお別れなんだ、もっと話をしたかったのに仕事をやめるのか故郷に帰るのかと。


男は一瞬黙ってから、本当はわかっているだろうと口にした。

なんのことだとリードは言った。

相手は自分に対してなにか言いたい、だから電話をしてきた。


リードは、いつも黙って話を聞いていた男の、頷くばかりの男の言葉が聞きたかった。


男は、自然や動物たちを守るには人間を減らさなければならないことぐらいわかっているだろうと言った。

うじゃうじゃ増えていく一方の人間を間引くことを考えたことはあるのかと。


わかっているそんなことは。

だが簡単にそうやって言うがじゃあどうすればいい、一定の人口を越えたらランダムに死んでもらう法律でもつくればいいのか。

宝くじの逆バージョンでも。

確かにもっともだ減れば守られる。

人間が増えたすぎたことが悪いくらい誰だって。


言葉にはならなかった。リードは押し黙った。

それを口にしてはいけないと思い込んでいた。


きっと生まれながらの教育の賜物か、同属殺しを嫌悪するように遺伝子に組み込まれたなにかなのか。

人間の命だけがなによりも尊重されなければならないという、いつの間にか生まれた風潮のせいか。


受話器の向こうの男も黙っていたが、先に話を続けてくれた。

ついさっき牧場主とその家族、自分と同じ住み込みの従業員、それからハンターを始末したと。


オオカミの家族を守るためだったと男は言った。

……アーサー。


ああなんてことだ、アーサー。


リード・ブラウンは口にした。

頭の中は真っ白だったが、自分が次にするべきことがしっかりと浮かんできた。

牧場へ向かわなければならない。


きっとアーサーと顔を合わせるのはこれが最後だろうとリード・ブラウンはわかっていた。


 


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