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音哉⑩

向けられる歓声のほとんどが音哉に対してだと、シノブはわかりきっていた。

自分やケイやサポートメンバーが出てきた時から客は声を張り上げてはいたが、音哉が現れた瞬間と比べたら。


客たちはざわめいた。

音哉が顔面になんの加工もせず、そのままの姿をさらけ出したから。


本物かどうかいぶかしむ表情も困惑によるざわめきもいくつか見えたが、音哉が声を上げた瞬間それは吹き飛んだ。

メイクや衣装一つで人の心を揺さぶるのだから、大した才能だ。




ライブは何事もなく進んでいった。何の問題もなく。

音哉は止まることなく歌い続け、客は休むことなく体を動かしていた。

たくさんの目がこちらに向けられ、たくさんの腕が音に合わせて突き上げらていた。

人のかたまりは気味が悪いほど一つになり揺らめいていた。


シノブもいつも通り、なんの乱れもなくギターを弾いていた。どこか冷めた気持ちを抱えながら。

こんな大きなステージをやったんだ、もういいだろう少し休んでも違うことをしても。

辞めるわけじゃなくて、そう、少し離れても。


手はしっかり弾いていたものの、シノブはつかの間ステージ以外のことに気をやっていた、その時。

音哉が見ていた。

今この場に集中できていなかったその瞬間を、音哉がしっかりと見ていた。

見透かされているかのようで、シノブが思わず目を反らしたその時。


ステージの左右に設置された長いアンティーク調の燭台に火が灯った。

篝火という曲が始まる合図だ。


火がもたらされたおかげで人類は爆発的な発展を遂げたが、それに比例するかのように残虐になり他の命を脅かすこととなった。いずれは自分たちにその炎が浄化のために返ってくるだろう。

そんな歌詞だった。


自分だってその発展した文明とやらがないと生きていけないくせに随分上から目線だなと。


口にはしなくてもシノブはいい加減うんざりしていた。

音哉の被害妄想だらけの歌詞に。

それを絶賛し群がる人々に。


長い前奏を弾くのに合わせて警備スタッフが散らばり始めた。客は不思議そうに見ている。と、あちこちからガン、ゴン、と何かが激しく床にぶつかる音がした。

始まったとシノブは思った。

今回の音哉が言い出した演出。


会場の隅にいくつも置かれたドラム缶に水をたくさん入れておく。曲とともにそれを倒させる。客の足元には水が。


この、命を育て命を奪う炎は消すことができるんだと、ステージから床に向かって燭台を倒す。

水、つまりは海こそが全てを覆い尽くす命の源だと感じさせたいと。


撒かれた水で客が転んで怪我したら訴えられるぞとシノブは言ったが、篝火はバラードだ、棒立ちで聞いてるやつがほとんどだから大丈夫だと音哉に言われ、この演出は採用になった。

確かにその通りだった。

客は前奏が始まった瞬間暴れるのをやめ大人しくなったからだ。  


しかしそれはほんの一瞬だった。

ざわめきは波紋のようにゆっくりと会場に広がっていった。


水から、臭いがした。


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