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第三章 エメラダ・ポラリス

 畳十六疊ほどの座敷の間の中央に、料理の皿が並ぶお膳を前にして、さかずきを手にする伯父さんと、日本酒の一升瓶を抱える金髪の少女がいた。

 俺は驚きで客間の障子に手をかけたまま突っ立った。

 金髪の少女は赤い花柄の着物姿で、白い肌と衣服の色のコントラストが絶妙に映えている。

 部屋の隅のほうに、日本国防軍の制服の長い黒髪の女性が正座して、盃を交わす二人を見守っている。


 俺は金髪の少女と、黒髪の女性の二人と知り合いなのだ。


「エメラダ! 渡良瀬少尉!」

「ハロー、ムツキ。ごきげんよう」

 着物姿の金髪の少女は振袖ふりそでから白い腕を出して陽気に手を振った。

 彼女の名前は、【エメラダ・ポラリス】。

 俺が特専で赴任ふにんした東南アジアの日本国防軍基地で出会った少女。この少女を紹介するには、小一時間こいちじかん語っても足りないくらいだ。

「草刈睦月。ごきげんよう」

 長い黒髪の【渡良瀬わたらせひとは】少尉が軽く頭を下げた。この女性も同じく海外の基地に赴任していた時の上官だ。

 渡良瀬少尉は制服の短めのスカートをピチピチに閉じつつ、長時間の正座からくる痺れに耐えかねて、太ももをぷるぷると震わせている。

「どうして、エメラダと少尉がここにいるのですか……」

 俺は少尉のそばに寄り、小声で問いかけた。

 渡良瀬少尉は正座を崩さず、こちらに笑みを送った。

「草刈睦月、お前に用があるからに決まっているだろ。お前を迎えに来たんだ」

 少尉は俺にしか聞こえないくらいのささやき声で答えた。

「迎えに来たって……」

 俺は軽くめまいを感じた。

 急な話なので、頭がふらふらしてくる。デスフラッグとは異なる感覚だ。

「お前を連れて行くには、保護者の伯父さんを説得しなければいけないからな。伯父さんのことは、ほら、エメラダに任せていいみたいだな……」

「さあ、さあ、飲んでー飲んでー飲んでっ! ぐいぐい、よし来い♪ ぐいぐいよし来い♪」

 振袖姿の少女は盃に日本酒をなみなみと注ぎ、伯父さんは快活に口へ運ぶ。

「ねえ。アンタ! パパの体を壊す気ィ!」

 コトミが金髪の少女の前に立ちはだかった。

 見ず知らずの外国人の少女が俺と知り合いで、父親ともねんごろになろうとしている場面を目の当たりにしたら、娘としては黙っていられない。

「ふふっ。かわいらしい元気な娘さんね」

 エメラダは一升瓶を小脇に抱えながら、口もとに振袖を添えた。和風の上品な仕草だ。

「伯父さん、何やってんですか!」

 俺は立ったまま、顔が緩みきっている伯父さんに視線を送った。

「ああ、やあやあ、睦月君。久しぶりだ。すっかり体つきが立派になったじゃないか。酔っぱらってしまってすまんな。いま大切な商談をしていたのでね。この方は【ポラリス・インダストリィ社】のエメラダ・ポラリスさんだ」

「俺、エメラダとは東南アジアの基地で知り合いました」

「え、そうかい。そんな仲なのかい?」

「はい。わたしはムツキと同じ地域にいました」

 エメラダは英語で答える。

「ふふふ。草刈コトミちゃん、どうも初めまして、エメラダです。エメと呼んでね?」

 お膳を横によけて、金髪の少女はコトミに向かってウインクしたあと、挨拶のために土下座した。

「あー、まいねーむいず、ことみくさかり、ないすとぅみーちゅー」

 低いテンションでコトミもしぶしぶ畳にして挨拶を返した。

「ポラリス・インダストリィ社は世界的に有名な複合軍需企業だ。そこのエメラダさんが、突然、商談を持ちかけてくれたんだ。いやあ、睦月君との宴会がこんなことになってすまんな」

「は、はい」

 俺はただ冷や汗を流すしかない。


 俺は、東南アジア某国にある日本国防軍の基地で事件を起こし、特専を辞めさせられたのだ。

 このことを伯父さんに説明しに来たのに、あろうことか元上官が同席している……。渡良瀬少尉が、事件についてうまく説明してくれたのならありがたい話だが。

 とにかく、少尉が小声で話した『俺を迎えに来た』とはどういう意味なのだろうか。

 酔っている伯父さんが赤い顔をしたままマジメな顔つきで口を開いた。

「それでだな、睦月君。特専から帰ってきた君を、エメラダさんは、雇いたいと申し出ているんだ」


 エメラダが俺をスカウトするだと?


「えー」

 コトミが一番大きな声をあげた。

「わたしは優秀な若者を求めているの。ムツキ。わたしのチーム、【エーテル・ストライク】に入らない?」

 エーテル・ストライクは、ポラリス・インダストリィ社傘下のPMC(プライベート・ミリタリー・カンパニー 民間軍事会社)の名前だ。このPMCのウリは、日本国防軍の隊員相手に訓練と実戦プログラムを企画し、指導することだ。日本国防軍の教練を担当したエーテル・ストライクのメンバーは強者つわものぞろいだ。

 肩までウエーブがかかる金髪の少女は、神秘的なグレーの瞳を俺に向けた。

 彼女の顔は赤くない。そもそも、まだ酒を飲める年齢じゃない。

 彼女は真剣なまなざしを送り、俺を落とそうとしている。

 照れて体がムズ痒くなった。

 エメラダは、商談を持ちかけて伯父さんの機嫌をうまく伺い、俺のチーム入りの同意をすでに得ていた。

 俺は判断に困り、視線をそらして、助けを求めるように渡良瀬少尉の方を向いた。

 何も迷うことはないと、少尉は柔和にゅうわな笑みを返してくれた。

「草刈睦月。私もエーテル・ストライクに入ることになった。ちなみに軍は辞めていない。軍からの出向しゅっこうというかたちだ」

 渡良瀬少尉は言った。


 黒髪の長髪にまつ毛が長く、切れ長の瞳。

 彼女は東南アジアの日本国防軍の基地で上官として、訓練から日常生活までずっと面倒を見てくれた。

 気の良いお姉さんである渡良瀬ひとは少尉が一緒なら安心だ。

「じゃあ、よろしく。お願いします」

 それから、俺はエメラダに向かって頭を下げた。

「えー、むっちーはこれからウチの家に住むんじゃなかったの?」

 コトミの頬は不服そうに膨らんでいる。

 無理もない。

 突然現れた二人の女性が、俺といい雰囲気の再会シーンをつくっている。

 海外にいたとき、俺はコトミに、エメラダのことをまったく話さなかった。

 コトミは、自分が仲間はずれにされていると感じるのもおかしくない……。

 いろいろとすまないコトミ、俺はもう普通の生活に戻れない。

「この家に世話になるつもりは始めからなかったよ。次の行き先が決まってよかっ」

「はい。決まりー、さあさあ、みんな、飲んでー飲んでー」

 俺の言葉を途中でさえぎり、エメラダはパチンと柏手かしわでをうった。

「ねえねえ、ひとちゃん。このお酒美味しいよー。わたし今日から日本酒党になっちゃいそう」

 いままでは何の酒を飲んでいたんだよ。

 エメラダは席を立ち、渡良瀬少尉のところへ盃を持っていく。

 その白い手にある盃が、少尉の固く結ばれた口をこじ開けようとする。

「ん……、任務中ですから飲めません」

「いいから、おいしいから、試してみて? ひとちゃん? 呑める口だったよね?」

 エメラダが少尉に酒を強要しているようにしか見えない。いっぽう、少尉は太ももに手を据えて、座布団の上で正座をかたくなに崩さない。

 さすが、プロの軍人だ。

「んー。んーんー。護衛中ですから、飲・め・ま・せ・ん!」

 エメラダが驚いてすとんと腰を落とした。

 渡良瀬少尉が一瞬、すごい形相ぎょうそうをしたのか。だが、その表情はエメラダにしか見えなかった。

「もう、お堅いんだからー、ひとちゃんは」

「下の名前で呼ぶの禁止!」

 渡良瀬少尉の軍人らしい凛とした声が広間に通っていった。

「え、でもわたしのチームに入ったでしょ。もうひとちゃんはわたしのものよ」

 エメラダに言われて渡良瀬少尉は、はっとした表情をする。日本国防軍から、PMC【エーテル・ストライク】に移った以上、彼女はエメラダに従わなくてはならない。

「ほほお、あなたは制服から軍人だとわかりましたが、将校ですか。商談しているところをばっちり見られてしまったなあ」

 酔いが覚めた伯父さんの額に冷や汗のしずくが浮かんだ。

「ご心配なく、自分はすでにPMCにいる身です。軍として口だしはしません。精密機械の輸入に関する取引ですか。ポラリス・インダストリィ社の技術を受け入れることは、我が国にとって有益になると思います。問題ありません」

 渡良瀬少尉のお墨つきにより、伯父さんは胸をなでおろした。

 同じく俺も、伯父さんに特専を辞めさせられた話をしなくてもよさそうな雰囲気になり、ひとまず気持ちが軽くなった。

「それじゃあ、パーッとやろうかい」

 伯父さんが仕切り直しとばかりに手のひらをうった。

 まだ一人だけ、コトミが不満顔だ。

 それを察して俺は声をかけた。

「コトミ、連絡はこまめにするよ」

「……うん、GPフォンでね」

 コトミは例の携帯端末を掲げた。

 ネットカフェのビルの階段から転げ落ちたので、端末にあちこちキズがついている。それを見て俺は胸が傷んだ。

 そうだ。黒スーツ姿のアサルトライフルをもった外国人の襲撃を受けたのだ。

 あいつは俺を狙ったのか、あちこちで頻発しているテロの一環なのか、これは渡良瀬少尉に報告しなければならない。

「じゃあ、ピザとお寿司を頼んでいい?」

 父親の承諾の前に、コトミはGPフォンで出前を頼む。

「この子、可愛いね」

 エメラダは、相当コトミのことが気に入ったようだ。うっとりとした目つきで、コトミのポニーテールを眺めている。

 いや、ポニテが好きなのは俺であって、彼女はコトミの別の部分に惹かれているのかもしれない。

 伯父さん夫妻と娘のコトミ、エメラダたちで、出前のピザと寿司のもよおしが始まった。

 エメラダは振袖に注意しながらジュースと一緒に喜んで寿司をつまんでいる。彼女は音楽から何まで日本のものが大好きだ。赤い生地に花柄の振袖も着てみたかったに違いない。

 今日のエメラダの一連の行動が、俺をエーテル・ストライク(以下、略称エースト)に入れるためだと考えると、心の底から嬉しさがこみ上げてきた。

 俺の進路は伯父さんと会ったあとは白紙で、せいぜい学校に行くしかなかった。

 何よりもエメラダが俺を必要としているのだ!


 途中、渡良瀬少尉が席を外して縁側のある廊下に出たところを、俺は追って声をかけた。

「渡良瀬少尉、あのう。【東南アジアの基地で迷惑をかけた】ってのに、俺がエーストに入るよう取り計らってくれて、急な話で何て言ったらいいかわかんないけど、ありがとうってお礼を……」

 渡良瀬少尉は、ふふっと笑い、切れ長の瞳をまっすぐこちらに向けた。

 すこし心臓が高鳴った。

「ああ。よろしく頼む」

 その一言のあと、少尉は屋敷の縁側から中庭の夜空に浮かぶ満月を見つめた。

 少尉のタイトなスカートから伸びる太ももとスラリとした脚、くびれた腰に手を当てる姿勢はモデルのようだ。

 そして、誰が目にしても大きいと思わせるバスト。

 ネクタイ付きのシャツとブレザージャケットの堅めの服装で、胸が少しでも控えめになるように、わざわざ努力して納めている。

 おっと、身体つきを褒めてばかりだな……。

 なんといても少尉の美しさは凛としたその物腰にある。

 この人が俺の上官に当たったのは幸運だった。

 本当に海外赴任のときは楽しかった。また一緒になれるなんて願ってもないことだ。

「暑いところにいると、東京の夜も涼しく感じるな」

 少尉が言った。

 風になびくさらさらした髪が、よけいに涼しい印象をもたらした。

 月光を背にする渡良瀬ひとはのシルエットは眩しかった。

 その美を前にすると、自分が夜光に群がる羽虫のようなちっぽけな存在に感じてくる。

「そうですね。基地ではいろいろとお世話になりました。でも……、俺があの基地で【やらかしたこと】は、かなり問題になっているでしょう?」


 おれは東南アジアの基地で、ある事件を起こしてしまったのだ。


 少尉は庭の暗闇の隅々に視線を向けた。

「なっている。と言っても嘘ではない。今もこの屋敷に数人の警護が付いている」

「えっ、伯父の客間で過ごしているだけなのに、警護が……。その警備はエメラダのためですか」

 渡良瀬少尉はうなずき、それから首を横に振った。

 イエスであり、ノーを意味する。

「昼は市ヶ谷でテロがあった。複数のアサルトライフルを持った人間が街を闊歩かっぽし、銃を乱射した。多数の死傷者がでた。国防省を襲撃した者がいた。驚いたことに、やつらは形勢が不利になると皆、自爆した……」

「……俺はネットカフェで襲撃を受けました。誰かを狙ったものでしょうか。もしかして、狙われたの、俺ですか?」

「……草刈、お前もそこにいたのか……」

「そうです。ベレッタで仕留めました」

 俺は拳銃を取り出した。特専で学んだ技術を始めて実戦で使った。


 俺にはデスフラッグの能力がある。

 うまく危険を察知していければ、俺は不死身だ。


「テロリストは【黒服PMC】という、無差別襲撃、暗殺、誘拐、なんでもやる危険なやつらだ。様々な国の人間で構成され、悪徳な組織が好んで使っている。日本にもしばしば現れるようになった。国防省、国防軍としても対処が急がれている。しかし、黒服PMCは駒に過ぎない。依頼主クライアントが特定できていない」

「ネットカフェにはイトコのコトミも一緒にいて……、俺は……、コトミを危険に巻き込んでしまったのです。コトミが心配です」

 少尉は再び夜空の月を見上げた。

「草刈コトミの精神ケアにカウンセラーを派遣する。草刈睦月。お前は、自分の心配をするだけでいい。エメラダは様々な勢力から狙われている。我々は彼女を守らなければならない。一緒にしっかりやろう」

「はい!」

 エメラダ・ポラリスは、俺に、いま天上にある『月』のように輝けるチャンスをくれるのだ。

 よろしくお願いします。渡良瀬少尉。

 草刈睦月が【やらかしたこと】とは何なのか?

 次回、過去編。

 睦月の東南アジア日本国防軍少年特別専攻科時代、エメラダ・ポラリスとの出会いまでさかのぼります。

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