あとがきにかえて
今作は何のギミックもひねりもない、ただだらーっと、カイコの半生を追っただけの話です。
カイコという、人に完全に依存しなければエサをたべることもおぼつかない、白くて小さな、ふっくふくの愛らしい蛾と、ゴキ退治するアシダカ軍曹△! という萌えだけで書いてます。
もともと絵ありきの話なので、文章で楽しむ物語らしい筋立ては、特にありません。その分、会話以外の文章表現と描写には腐心してみたのですが(当社比)。
今回の話を書くにあたり、様々なカイコ飼育サイトを参考にさせていただきましたが、割と、悲劇の虫、と見る人が多いように思います。
しかし、人に依存して生きる、人に遺伝子をいじくられてもいいという命のあり方は、実は植物をはじめ、生存戦略的には叶っている、という話を聞いたことがあります。
人というのは、地球上で爆発的に増えた種であり、生存環境に適合するかわり、生存環境を大規模に作り変えていくという特異な種です。
しかも、この種は、いつごろからか、自分たちの餌を、意図的に増やす行動をしはじめます。
ハキリアリがキノコを栽培するように、アリがアリマキを外敵から守るように、です。
植物でいえば、現在の麦や米をはじめとする野菜は、おそらくそのあたりの雑草よりも、生えている面積や本数は断トツに多く、人を介して世界を征服しています。
地球上でもっとも繁殖している植物です。
同じことは動物にも言え、牛や豚、鶏も、繁殖数は野生動物よりはるかに安定し、殖やされてきた種です。
つまり、人間の口に合う栄養素、味を持っていた、または栄養素、味をあわせていける、そういった要素と引き換えに、彼らは人間を利用して自分たちの領土を広げてきた、と言い換えることができるのです。
生き物の本分は、生み、殖やすこと。種を繋いでいくこと。その視点から見れば、より安全確実に生き残る戦略として、人間を共生相手として利用するのは「理にかなっている」のです。
カイコは一説によれば、中国ではすでに5千年前から、絹をつくる飛べない虫だった、とされています。ヤママユガの仲間は他にもいるのに、桑蚕(もしくはその近縁種)だったカイコだけが、人間による改良と繁殖に適応しました。
膨大な数のカイコが絹のために煮られてきましたが、それでも自然界にいるヤママユガの仲間よりもはるかに多くのカイコが、原蚕として種苗所で大事に守られています。
五千年、日本の種でも千年、その間にどれほどの生物が絶滅してきたか、させられてきたか、と考えれば、カイコの生存戦略は実は間違ってはいない、と思われます。
本来の野生の性質はほとんど作り変えられて、原種さえ不明な虫ですが、それを不幸だ、ひどい改造だと思うのは人間の勝手な感傷のように思います。
彼らはそれを選んだ。
家畜のように、という言葉はネガティブに使われますが、実は彼らにとって都合のいい環境を整え、繁殖を手伝ってくれる人間のほうが、彼らに使われている下僕なんじゃないか、と思う次第です。
何がしあわせなんて、本人しかわからないことですしね。