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好きな女の血が吸えない吸血鬼  作者: 阿久理ヒロミ


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8/8

第八話 告白

週末の日曜日、足立区内。

=海堂女史と会う約束がある=

圭介からのラインが頭を過っていく。

今日、彼はあの人と会う‥週末でも、いつも会っていたのかな‥。

心の中がザワザワと落ち着かない。

考え過ぎたらダメ。私は私の気持ちに従えばいいのよ‥。

加穂里は大きく息を吸い込んだ。

午前十一時に自宅マンションを出て、子ども食堂へ行くため西新井駅に向かい歩いていく。

環状七号線から尾竹橋通りへ入る。

中央分離帯のある片側二車線の道路で車通りも多く、さらに付近には小学校もあって通学児童もよく見かける場所だ。

あれ?今日は日曜だから学校休みなのに?塾?一人なんて危なくないのかなぁ‥。

小学校一年か二年くらいの小さな女の子が、反対車線の方から青信号で横断歩道を渡ってくる。

日曜で車通りが少なかった為、加穂里のいる歩道側からもその小学生はよく見えていた。

何となく加穂里が車道に目を向けると、黒っぽい乗用車が一台走ってくるのが見える。

えっ?赤信号だよ‥。

横断歩道が近づいても黒っぽい乗用車に減速する様子がない。

小学生は中央分離帯を過ぎようとしていた。

「危ない!来ちゃダメ!」

減速しないまま、歩き続ける小学生に黒っぽい乗用車が迫る。

ショルダーバッグを投げ出した加穂里が横断歩道に向かい走り出す。

加穂里が小学生を抱えた時、黒っぽい乗用車は二人の目前に来ていた。

鈍い音が道路に響き、黒っぽい乗用車が止まらずにそのまま走り去っていく。

「轢き逃げだ!女の人と子供がはねられた!救急車と警察を呼べ!」

叫ぶ通行人の声で人が集まり、現場は騒然となっていた。

ーーーーー。

待ち合わせは午後二時‥だいぶ早いが飯でも食って時間を潰せばいい‥。

午前十一時、圭介は西新井駅から電車に乗り込んだ。

ーーーーー。

同じ日、神谷町。

あと二時間ちょっとか‥さすがに少し早過ぎたな‥。

午前十二時前、神谷町駅で降りた圭介は、時間潰しのため地下鉄出口側にある珈琲店へと入っていった。

コーヒーとランチメニューを注文し、スマホを取り出す。

海堂とのライン履歴を再確認していく。

業務連絡の合間にプライベートな話が混ざっている。

あれだけの才女がどうして俺なんかに‥。

仕事中の、レストランで食事中の、伊豆をドライブ中の、これまでに見た海堂の記憶が一気に頭の中を流れていく。

あの人は正面から堂々来たんだ。こちらも正面から行かなければ失礼になるーーやはり気持ちを隠さずに伝えようーー好きな人がいると‥。

圭介の前にコーヒーとランチメニューのホットサンドが運ばれてきた。

あの人なら仕事とプライベートを混同するような事は無いはずだーーだから俺は仕事であの人の役に立つ事を考えればいい‥。

ホットサンドを食べながら、頭の中を整理していく。

圭介のスマホが着信のバイブレーションで震えだす。

誰だ?こんな番号は知らないが‥ダイブギアの関係者か‥。

圭介は店員にジェスチャーで合図をしてから、スマホだけ持って店外に出た。

「もしもし‥」

「足立総合病院の広尾と言います。前原さんの電話でよろしいですか?」

病院から?‥。

「はい。前原ですが」

「伊崎加穂里さんの緊急連絡先に登録がありましたので電話しています。前原さんは伊崎さんとは、どのようなご関係の方でしょうか?」

加穂里の‥。

=私、もう親も兄弟も居ないから、何かあっても近くに連絡できる人がいないの=

緊急連絡先をお互い登録し合った時の記憶が蘇る。

「同じ会社の者です。お互い身寄りがないので緊急連絡先を交換していたのですがーー何かあったんですか?」

「車の轢き逃げに遭われて、今こちらに救急搬送されました」

心臓の鼓動が速くなったのが自分でも分かる。

轢き逃げ‥何で、そんな‥。

「それで容態は?今、どんな状況なんですか?」

「搬送時には頭部からの出血が見られました。今、処置医が詳しく検査をしています。前原さん、こちらに来れますか?」

「行きます。病院の場所を教えてください」

ーーーーー。

焦るな、落ち着け‥。

圭介は自身にそう言い聞かせながら、足立総合病院をスマホのナビにセットし、腕時計を見た。

十二時二十分か‥梅島駅からタクシーで‥十三時半には着けるか‥。

支払いを済ませた圭介が神谷町駅へ降りていく。

頭から出血なんてーーやめてくれ‥頼むから生きていてくれ、加穂里‥。

胸の中がグラグラと大きく揺れていた。

ーーーーー

同じ日、足立総合病院。

圭介が病院に着き、総合受付で事情を話すと、直ぐに女性の看護師がやってきた。

「私が前原さんに連絡をしました広尾です」

圭介の身元確認が終わり、広尾に案内されたのは入院病棟の個室だった。

「こちらです。今は‥寝ているようですね」

頭と腕に包帯を巻かれた加穂里が、病院の個室でベッドに寝かされ眠っていた。

加穂里‥。

「今、先生が来ますから、ここでお待ちください」

ベッドの横で椅子に座り、点滴の刺さった手を握る圭介の脳裏に、子ども食堂で会った日からの加穂里が次々と現れては消えていく。

初めて会った時、自分がこんな気持ちになる未来なんて考えもしなかった‥ラインで話すようになって、少しずつお前の事を知った‥。

眠り続ける加穂里の顔をぼんやりと眺める。

そう、少しずつ、笑う顔も、怒る顔も、悲しむ顔も見てきた‥海ではしゃいだり、フィレンツェで三時間喋っていた事も、全部が俺の宝物だ‥。

胸元に下がるチョーカーを手に取る。

これが初めてのペアだったな‥。

時が止まったような部屋で、点滴だけが時を刻むように滴る。

早くこの手を握り返してくれ‥早くその目を開けてくれ‥。

=救急隊員からの報告ですと、横断歩道を横断中の小学児童に乗用車が信号無視で突っ込み、小学児童を庇ってはねられたそうです。意識が戻れば、警察の方も状況を聞きに来ると思いますよ=

広尾という看護師から聞いた話を思い出す。

子供を庇うなんて、お前らしいな‥。

加穂里を見ながら、圭介は内心で呟いた。

ーーーーー。

間も無くして男性医師が病室に入ってきた。

「前原さんですかーー私は処置医の奥山といいます」

「それで、どんな状態なんですか?」

「命に関わる状況はありません。頭部の検査でも、脳に異常はありませんでした。幸い、出血は頭皮の傷によるものでしたので、今日一日様子を見て、何も無ければ明日退院できるでしょう」

「ああ、そうですかーーよかった‥」

胸に引っ掛かっていたものが無くなり、体から力が抜けていくようだった。

ーーーーー。

十四時前、腕時計を見た圭介が小さく頷き立ち上がると、病室を出てロビーへ向かう。

スマホを取り出し、海堂に電話をかける。

呼び出し音が続く。

「もしもし前原さん。もうすぐ、着くから待ってて」

いつも通りの海堂の声が聞こえる。

「急で申し訳ないけど、今日そこに行けなくなってしまって」

「ーーどうしたの?ーー何があったの?」

圭介は静かに息を吸い込んだ。

「大切な人が事故に遭って、いま病院に来てますーー詳しい事は後からラインで送りますので」

無音が続いた。

「ーーそう。それなら私の事はいいから、その大切な人を大事にしてあげて」

それで電話は切れた。

ーーーーー。

病室に戻った圭介は、ベッド横にあるチェストの上に加穂里のチョーカーが置かれてある事に気づいた。

そうか、治療の時に外されたのか‥今日もつけていてくれたんだな‥。

黙って見守るしかできない自分が無力に思えた。

ーーーーー。

暫くして、加穂里の目が開けた。

「前原さん?」

加穂里がベッドとその周りを見回していく。

「ーーそうか、私‥あの時の車にはねられて‥」

「そうだ。それで緊急連絡が俺のところに入ったんだよ」

「緊急連絡‥それで来てくれたのねーー心配かけてごめんなさい」

「いいさーー大事にならなくて、本当によかった‥」

無言のまま、二人の目には涙が滲んでいた。

「体の具合は大丈夫なのか?」

「うん‥今は平気みたい」

「そうか‥それを聞いて安心した」

圭介が加穂里の手を握る。

その手を加穂里が握り返す。

圭介が加穂里を見つめる。

再び、静寂が二人を包んだ。

「もう誤魔化さないーー加穂里。君のことが好きだ」

加穂里の目が大きく見開く。

「ずっと待ってたわーー私も圭介さんが好き」

「加穂里‥」

その時、巡回の看護師が病室に現れ、慌てた二人が目を擦りながら距離を取る。

「目が覚めたんですね。どうですかご気分は?」

「ーーだ、大丈夫です」

「そうですかーーおや、付き添いの方はご主人ですか?」

「あっ、いや‥未だ‥そうではなく‥」

慌てる圭介を加穂里が微笑みながら見ていた。

「点滴が終わったら夕食を持ってきますねーーあと、ベッドの端にある青いボタンで背もたれ起こせますから」

そう言って看護師は病室を出て行った。

加穂里が青いボタンでベッドの背もたれを起こす。

「いきなり来るなよ、ビックリするだろ」

「ふふっ‥驚いた圭介さん、可愛かった」

「よしてくれ」

「ふっ、やっぱり可愛いーーあれ?ーーその歯?」

微笑む圭介の口元からは短い牙が見えていた。

「えっ!」

慌てた圭介が自分の口元に手を当てる。

「なんか牙みたいな‥」

言いながら、圭介の口元に伸ばした加穂里の指先が青く光り始める。

「指が?‥」

光る指先を見つめる圭介の前で、加穂里が咄嗟に指先を隠していく。

口元を押さえる圭介、指先を隠す加穂里、沈黙した時間が流れていく。

牙‥何で今になって‥。

圭介は深呼吸をした。

「加穂里に今まで黙っていた事があるんだーー今から話すけど、驚かないで聞いてほしいーー俺には牙があって血が吸えるんだ」

「‥吸血鬼みたいに‥」

「いや、吸血鬼と言っても、ただ相手を魅了できるだけなんだけどな‥」

加穂里の顔が驚きの表情に変わる。

「こんな話、やはり驚くよな」

「驚いたわ。こんな事ってーーごめんなさい。私も圭介さんに話さなきゃいけない事があるの」

加穂里が指先を隠していた手を退かした。

「光の魔法よ。見た相手を魅了できるのーーいま私が驚いたのは、圭介さんがこれと同じ力を持っていたからよ」

今度は圭介の顔が驚きの表情に変わる。

「魔女?ーーそれで加穂里には牙が出なかったのか‥」

「圭介さんに効かなかったわけーー私もそれを聞いて納得したわ」

「俺達が出会ったのも、この血が関係していたのかな?」

「どうかしら。でも私、そんな力が無くても、きっと圭介さんに恋していたと思う」

「それは俺も同じだ。力で魅了できるのは上辺だけだと、今なら分かる」

「うん、私もーーこれはもう、おあいこって事ね」

二人は顔を見合わせ、照れ笑いを浮かべた。

「どうして今になって私の指、光ったのかなーー圭介さんの牙もね」

加穂里が自分の指先と圭介の口元を見ながら言う。

「今更だよな」

「吸ってみる?」

加穂里が笑う。

加穂里の目を見た圭介の唇が、黙ったまま加穂里の首筋にゆっくりと近づいていく。

ーーが、噛まなかった。

「何で?」

加穂里がまた笑う。

「好きだから」。

その瞬間、二人から牙と光が消えた。

「‥‥‥」

「‥‥‥」

瞳にお互いの顔が映り込んでいる。

加穂里の唇が無音で何かを言うように動く。

そのまま、二人の唇は静かに重なっていった。


挿絵(By みてみん)


ーーーーー。

その夜、圭介のマンション自室。

病院から帰った圭介のスマホに海堂からのラインが入っていた。

『今日は残念だったけど、事故に遭った大切な人の容態はどうなの?』

『軽傷で済んで安堵してます。本当に今日は失礼して申し訳ない』

『別にいいわーー確かに貴方、最初に私が付き合っている人が居るのか聞いた時、今は未だ居ないと言っていたものね。大切な人って、そう言う事なんでしょう』

『見透かされていたわけですか』

『そんな大層なことじゃないわ。言うなら女の勘ね』

『そう‥でしたか』

『それと貴方、女を泣かせた事は無いって言っていたわよね。だったら私がその一人目になるわ、それで許してあげる』

『俺の頭じゃ、返せる言葉が思いつかない』

『安心しなさい。私、そんなに弱い女でも暇な女でもないから。だけど貴方と行った伊豆ドライブは本当に楽しかったわ、付き合ってくれてありがとう。大切な人を大事にしてあげて PS仕事の関係はこれまで通りよ。それじゃまたね』

ーーーーー。

同じ夜、ダイブギア社内。

専務室のソファーに座る海堂が、スマホをじっと見つめていた。

まったく、私らしくもない‥。

通話履歴を開き、電話をかける。

「三上、こっちに来れるかしら」

ーーーーー。

「お嬢様。どうされましたか」

「ここに座って」

ソファーに座る海堂が、その隣を指さして言う。

「何が有ったかは聞きませんが‥」

普段と違う海堂の様子を察した三上が、海堂の隣に座っていく。

「もっと近くに来て」

三上が静かに体を寄せる。

「三上‥一つ、わがままを聞いて貰える」

「何なりと」

「ありがとう‥今だけ胸を貸して」

そう言って海堂は三上の胸に顔を埋めた。

「お嬢様‥」

肩を震わせる海堂を見た三上が、その背中にそっと手をかけ、天井を見上げた。


週明け月曜日の夜、圭介のマンション自室。

ピロン。

加穂里からのラインだった。

『昨日は本当にありがとう。何だか私、助けられてばっかりね』

『どっちも事故だ。加穂里が気にする事はないさ』

『今日、病院に警察の人が事情聴取に来たわ』

『轢き逃げの事か』

『うん。犯人はまだ捕まってないって言うから、私が知ってる事は全部話したわ』

『犯人捕まったら殴ってやりたいな』

『ダメよ、そんな事したら今度は圭介さんが捕まっちゃうわーーあとね、あの時の子供が親と一緒に来たの。子供は無事だったって聞いて、ホッとしたわ』

『それはよかったーーしかし加穂里はすごいな。これ人命救助で表彰もんじゃないのか』

『やめてよ、表彰なんて』

今夜のジンロックは格別な味だった。


ある日の帝国商会営業部。

「前原、ちょっといいか。お前に見せたいもんがあるんだよ」

圭介の席まで来た小宮が、一冊のゲーム雑誌を圭介の机上に置いた。

「何だよ、これ」

「付箋の付いているページ。見りゃ分かるよ」

言われた通り付箋のあるページを開くと、そこは人気ゲームの紹介ページで、フリーゲームズ社の『逆走レースばんばんパニック2』の記事が書かれてあった。

「遊佐社長、新作にかなり力を入れていてな」

ある記事のところで圭介の目が止まる。

これが加穂里の言っていたアクセラの新アイテムか、確かにサファイアのチョーカーだなーー新キャラまで作ったのか‥って、これは‥。

紹介されてあったのはブレーカーというアクセラ専用のサポートキャラで、圭介が驚いたのはブレーカーの胸に付いているアメジストのチョーカーだった。

これって俺のチョーカーだろ‥あの社長、抜け目のない男だな〜。

「大した社長だよ、ほんと」

言いながら雑誌を小宮に返す。

「あとフリーゲームズな、eスポーツ公式トーナメントに参戦が決まったそうだぜ」

「そうか、それなら応援してるからと、社長によろしく伝えてくれよ」

遊佐と田宮の顔が圭介の脳裏に浮かんでいた。


ある日の夜、圭介のマンション自室。

バスローブ姿の圭介と加穂里が並んでソファーに座り、ワインを飲んでいた。

「あの日から圭介の牙、出なくなったね」

「加穂里の指だって光ってないぞ」

「うん。あの力、どこ行っちゃったんだろう」

「あった方がいいのか?」

「あると圭介、誰かの血を吸っちゃうでしょ」

「吸った方がいい?」

「だ〜め」

「何だよ、それーーでも安心しろ、もう俺には力なんか必要ない」

「本当?」

「加穂里がいるからな」

「バカ‥」

小声で答えた加穂里が圭介に寄りかかる。

「愛してる」

「愛してるわ」

ソファーの側に置かれた写真立てには、海の帰りに岡島が撮った後部座席で寄り添い眠る二人の写真が飾られ、静かに唇を交わす二人の胸には、輝く二色のチョーカーが今も揺れていた。

挿絵(By みてみん)

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